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小説
第二十四話(R15)
眠りから隔てる遠くの方で、細いメロディーが聞こえる。
笛の音だろうか。
耳をするすると撫で、心地良い調べを持っている。

緩やかな山を登り、なだらかな谷を滑っていく。
透き通った空気が拡がる雑木林。
そこに流れる、煌びやかな清流。
木々から舞った葉が、その川の流れに乗っていく。
近くには獣一匹も居ないだろう。
ただ静かな自然の中、川の囁く音だけが響く。

聞こえて来る笛は、そのような情景を想起させる優しい音をしている。

ぼんやりとした頭を持ち上げた節子は、数度目を瞬いた。
どうやら知らぬ間に別室に移されていたらしい。
先程まで居た座卓がある部屋とは違い、節子は布団を敷いた寝間に居た。
金糸で八重咲き撫子(なでしこ)を描いた布団、二つ並んだ枕、薄ぼんやりした行灯。
伽羅(きゃら)の香も炊いているようだ。

節子の隣に、蛇神は居なかった。
大きな布団で、ただ一人寝かされていたらしい。
また気を失っていたのだろうか。
そういえば、以前も一度、蛇神の社で意識を手放した事がある。

節子は蛇神を探す為に半身を起こした。
つい先刻脱がされた筈の浴衣は、きちんと着ていた。
蛇神が着せてくれたのだろう。
しかし、下着は付けていないようだ。

蛇神は何処へ行ってしまったのだろう。

彼の居場所など分からなかったが、とりあえず笛の鳴る方へ行ってみようと思った。
立ち上がれば、下肢がぬるぬるした。
先程の行為で使われた後口だけでなく、何故か陰唇の方まで滑っている。

そっと手を遣ってみれば、自身の体温で温くなった汁が纏わり付いているのが分かった。
それも、驚く程の量だ。

一歩歩けば、膣内からどろりとしたものが滲み出て来た。
まるでゼリーが零れ落ちたようだ。
蛇神の腕の中、こんなにも女としての悦びを得ていたのかと思うと、恥ずかしくも感じる。

余りに湿っていたので、蛇神を探すより先に、まず股座を拭うものを見付けなければならなくなった。
きょろきょろと辺りを伺ってみる。
枕元のすぐ傍に、手拭いと湯を張った桶があった。
これも蛇神が用意しておいてくれたのだろうか。

節子は、その手拭いで下肢を拭う事にした。
下生えが生えていない女の陰は、やはり予想以上に汁を垂らしていた。
つんと鼻を付く香りもあった。
生ものが腐った、或いは魚貝類のような臭いだ。

仄暗い部屋の外で、笛の音は続いている。
誰かが曲を奏でているらしい。

目を覚ましてくれたその音色を探す為、股座を綺麗にし終えた節子は、寝間の障子を開けた。
障子の向こうは、先程まで蛇神と乱れていた場所だった。
どうやら一続きの部屋だったらしい。

その和室の丸窓の向こうには、中庭がある。
縁側まで出て覗けば、元からある築山に、色鮮やかに紅葉する落葉樹が見えた。
そして、やや離れた所に、清らかな泉の水を流している。
遣り水のせせらぎの音が一層高くなるように大きな岩を立て加え、其処に小さな滝も落としている。
はるばると遠くまで野を作り、その季節に合わせた草花も、今が盛りだと咲き乱れている。
秋の夜空が一層映える庭だ。

月夜の下、庭の石岩に腰掛け、高麗笛を奏でている者が居た。
蛇神だ。
銀の月光を浴びた髪が、絹のように美しく光っている。
着ている着物も、常の直衣に戻っている。

妖美だ、と思った。
眩暈がする程だ。
宵の中、一人で笛を吹く彼は至上の美丈夫だった。
元より美しい容姿が一際輝いている。
奏でられるメロディーも、極上の背景効果音だ。

目を閉じて音楽に興じていた蛇神が、節子の気配にふと目を開けた。
口付けていた笛からも唇を離す。

「ああ、セツ。
済まないね、起こしてしまったかい?」
「いいえ」

節子は首を左右に振って否定した。
確かに彼の笛の音で起こされたのは事実だが、そんな些細な事で気を遣わせたくなかった。
出来る事なら、もっと彼の笛を聞いていたい程だ。

岩から腰を上げた蛇神が近寄ってきた。
そして、節子が佇んでいた縁側へと腰を掛ける。

節子もその横に腰を落とした。

「身体は辛くない?」
「はい、ちょっと背中がぎしぎし言うくらいです」
「そう。
では、治してあげよう。
後ろを向いてご覧」
「いえ、それは大丈夫です。
そんなに酷くないので」

優しく笑む蛇神に柔く断る。
彼は「そう?」と不思議そうに首を傾げた。

本当は、治して貰った方がいいのだろう。
初めて経験した情交は、思いのほか熾烈(しれつ)だったのだ。

だが、その痛みは、初めて彼を受け入れた証でもある。
彼が残した印であれば、どんなものであっても受け入れたかった。
背筋の痛みなど苦ではない。
股座の不快な滑つきも、嫌ではないのだ。

高麗笛を袂にしまおうとした蛇神に、節子は再度口を開いた。

「何て曲なんですか?」
「曲?」
「さっき吹いてたやつです。
昔の歌ですか?」

蛇神が奏でていた曲は、節子が嘗て聞いた事の無いメロディーをしていた。
独特で、掴みどころがなくて、けれど目を閉じて聞いているだけで美しい景色が拡がるようでもあった。

彼は古来の神なので、その当時の曲なのかもしれない。
古風な調べのような調子もあったし、現代的でユニセックスのようなリズムもあった。
出来るならば、もう一度聞きたいとも思う。

蛇神は目を和らげた。

「名は無いよ。
私は余り頻繁に楽器を奏でる方でもないからね、今のも即興だ」
「即興でそんなにも綺麗な歌を?」
「そう言ってくれるのは、そなたくらいだよ。
ああ、そうだね。
敢えて名付けるならば、そなたの名をそのまま付けるのがいい」

彼がさらりと言いのけた言葉に、節子は頬を染め上げた。

曲に人の名を入れるといった気障な真似など、生まれてこの方された事が無い。
況してや、本当にそのような事をする者が居るとも思わなかった。

だが、純粋に嬉しくも思う。

「そなたを想って作った曲だからね。
こんなにも気分がいいのは初めてだ、曲を作りたくもなる」

蛇神が続けて言った言葉に、節子は益々頬を赤くした。

近頃の若いミュージシャンが、恋人の為にギターを用いて曲を作るという話は、聞いた事がある。
しかし、まさかそれを、自分自身が経験するだなんて。

蛇神は、節子の事を思って曲を作ったと言う。
それも、極上の調べを孕ませて、至高の音色で奏でて。
その上、節子の名など付けて。

嬉しいのを通り越して恥ずかしくなった節子は、膝を擦り合わせて顔を伏せた。
顔中に集まった熱をどうにかしたかった。
まるで釜茹でにでもされているようだ。

蛇神は完全に楽器を仕舞ってしまった。
もう一度吹いて欲しいと思っていたが、節子は強請る事も出来なかった。
それも全て、蛇神のせいだ。
彼が「そなたを思って作った」などと言うから、照れ臭くなってしまった。
自分の為の曲だと分かった以上、気安くリクエスト出来る筈も無い。

長い髪を風に揺らしながら、蛇神は目線を外の景色に移した。
秋の美しさをふんだんに表した庭は、とても清閑としていた。
先程まで蛇神に遠慮して鳴くのを止めていた虫が、時折鳴く程度だ。

蛇神が静かに息を吸った。

「そなたは舞妓の事を心配していたけれど」

突然出された舞妓の名に、節子は肩を揺らした。
そういえば、先程の行為の最中、己は思い切り嫉妬心を剥き出しにしてしまったのだった。

勿論、今はもう随分落ち着いている。
露天の湯の効果も切れ、嫉妬心や執着心、独占欲の温度も下がってきている。

だが、それら全てが完全に消えたのかといえば、そうでもない。
心の端では燻るように引っ掛かっているし、ほとんど薄れ掛けているといっても、確かに存在している。
折角蛇神と身体を繋げたというのに、結局はほとんど変わっていない。
ただ、総身が彼を受け入れただけで、問題の解決には至っていない。

節子の内心を読んだのか、蛇神が手を伸ばしてきた。
ゆっくりと髪を梳き通される。

「何の懸念も要らない。
私はそなた以外の女子は見ていないよ」
「でも、蛇神様」
「現在にも、過去にも、そなただけだ。
もし、そなたが私を縛りたいと言うのならば、それもいいだろう」

やや距離を縮められたかと思うと、髪の一房に口付けられた。

「尤も、神を独り占めにした娘など聞いた事が無いけどね。
だが、その第一人者になってみるのも悪くない。
寧ろ、疾うに私の心はそなたで占められているし、久々に再会した時も、私は『そなたの蛇神だ』と名乗った筈だ」

蛇神はいつもの優しい口調で言ってくれた。

彼の言う事は本当なのだろうか。

蛇神の端整な顔を眺めながら、節子はぼんやりと考えた。
しかし、信じたいと思った。
彼がそう言うのならば、それを信じたい。
騙されるだなんて、考えたくない。

猿田大神も言っていた。
蛇神は情の深い、頑固な男だと。

やはり彼は、誰よりも一途で優しい神なのかもしれない。
ただの博愛であれば、節子一人が独り占めしていいなどと言う筈が無い。
そう思いたかった。

何よりも、先程の曲が嬉しかった。
あの美しいメロディーは、自分のものだと思った。
こうやって蛇神と一緒に居る間も、彼は自分だけのものだ。
たとえ他の女と一緒に居ても、その心の中に自身が巣食えるのならば、それでもいい。

そこまで考えが行き着いて、生まれたばかりの独占欲が、とても素直に沈んで行った。
初めて味わう嫉妬は決して易しいものではなかったが、そのお陰で気が付いた事もあった。

彼は、節子だけを特別扱いしてくれる。
果たしてその特別扱いが何処まで深いものなのかは分からないが、軽くない事だけは確かだ。
蛇神は、今までどんな神すらもしなかった事をしてもいいと言う。
出来る限り、その言葉を信じたい。

節子が蛇神に対して抱いている感情は、もはや立派な恋心だ。
完全に一人の男性として見ている。
だからこそ抱く黒い感情もあるが、今は先刻の台詞だけで幸せに浸る事も出来る。

互いの想いを確認し、育てていくのは、これから先でも遅くない。
早く答えが欲しいのも山々だが、今は十分だ。

節子がはにかんで蛇神を見上げれば、ややもせず顎を捉えられた。
節子の心内が全て伝わったのだろうか。
彼も常以上に穏やかな顔をしている。

顔を寄せ、優しく下唇を舐められた。
しかし、深く口付ける事なく、彼はすぐに顔を離した。
優しい蒼の目が細くなる。

「それにしても、随分と声が枯れている。
鳴かせ過ぎたかい?」
「えっ?」
「勿論、私としては、もっと掠れていてもいいけどね」

蛇神がぺろりと舌を出す。
どうやらからかわれているらしいと分かって、節子は顔を一層赤く染めて身体を離した。

その逃げた肩も難なく掴まれ、また軽く抱き寄せられる。

「蛇神様」
「宵が明けるには、もう少し時間がある」

やや声色のトーンを落として、蛇神が言う。
もしや、もう一度、先程の行為をするつもりなのだろうか。

節子は、蛇神の腕の中で互いの鼓動の音を聞いた。
神だから心臓も鳴らないと思っていたが、そうでもないらしい。
節子よりも随分遅いようだが、確かに彼も音を立てている。

「セツ、私が怖いかい?」
「いいえ、全然」
「そう」

蛇神は僅かに安堵したように言った。

「それならば、いいのだけど」

抱き締められたまま、背中を撫でられた。
節子も、相手の背に手を回してみた。
ふんわり優しい彼の匂いは、酷く落ち着く。
ずっとこのままで居るのもいいかと思ってしまう。

しかし、実際には、いつまでもこのような甘ったるい時間を過ごすばかりでは駄目だろう。
何より、この出雲に長く居る訳にはいかない。
いつかは帰らなければならない。

たとえ蛇神を愛していても、彼と共に居たいと思っていても、節子は戻らなければならない。
家へ帰り、学校へ行き、勉強を始めなければならない。
長期間に渡る茶蛙の代理も無理があるだろう。

ある程度の時が経てば、帰らなければ。
あの化け物の件のほとぼりが冷めた頃には。
いや、それでは遅いだろうか。

そもそも、蛇神は例の事件を片付ける気はあるのだろうか。
出雲に来て、彼は何もしていない。
此処に永住する気だろうか。

「蛇神様は怖くないけれど」

節子は顔を上げ、蛇神を見た。

「こんな事ばかりしてたら、勉強が」
「遅れてしまう、とでも?」
「はい。
学校で付いて行けなくなっちゃうし。
いい加減には帰らないと」
「全く、そなたの勉学好きには感心させられる」

蛇神は眉尻を下げて笑った。
言葉通り感心しているというよりは、呆れているのかもしれない。

「私が今度こそ帰したくないと言ったら、そなたはどうするんだろうね」
「ちょっと、困るかもしれないです」
「そなたが困る顔も嫌いじゃない」

意地悪そうに笑んだ蛇神が、僅かに体重を掛けて来た。
その重さに耐え切れずに背を反らすと、簡単に押し倒されてしまった。

手首を掴み、床に押し付けられる。
月光の光を背に、彼の影も一層濃くなる。

「そなたを初めて見た時から決めていた。
この、透き通るような瞳に見詰められた時からね」

彼が言っているのは、十年前の話だろうか。
まるで、その時から見初めていたような口振りだ。

蛇神が頬を撫でてきた。
その手が、ゆっくりと下方へと落ちていった。
折角来た筈の浴衣も、再度脱がされる羽目になった。

宵闇は、未だ続くようだ。
帰省の旨も、強く言えていない。

頭蓋に過ぎっていた不安は、彼の手管に上手く酔わされ、絆され、瞬く間に薄らいでいく。
節子は、庭に近い縁側という場所で、また悦びの声を漏らす羽目になった。





TO BE CONTINUED.

2009.03.23

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