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小説
第二十二話(R15)
「良い部屋だ」

食事を済ませた節子と蛇神は、宿泊用の部屋へと通された。
案内したきり、出雲の小間使いの女はさっさと引っ込んでしまった。
節子と蛇神に気を利かせたのだろう。

蛙も風呂から帰って来ていない。
その他の神々も居ない。
今度こそ二人きりだ。

節子は、部屋の中央にある座卓の傍に腰掛けた。
蛇神の寝室よりもやや近代的な和室だ。
調度品も、比較的馴染みがあるものばかりだ。
神々の憩いの場であると共に、さすが旅館としての機能も果たしているといえよう。

畳敷きの十畳程の空間。
中央に備えられているのは長方形の立派な欅(けやき)の座卓、それを挟んで向かい合うように添えられた座椅子、細工の凝った茶棚箪笥。
ほんのりと灯りを灯している行灯は、鶴の影絵を描いている。
障子入りの丸窓も洒落ており、中庭の美しい風景がよく見える。
つい先刻風呂に入った際は夜だったというのに、今は夕焼け空だった。
神の世の時間は、常に定まらないのだろうか。

節子と向かいに座った蛇神は、用意されていた提子に手を伸ばした。
節子も傍にあった急須から茶を淹れ、軽く啜った。
香ばしい玄米のお茶だった。
程好い苦味と甘みが口内に拡がる。
先程までの蟠りも、すっと薄らいでいった。
蛇神も、美味そうに酒を煽っていた。

「セツ」

目が合った蛇神が、「此方へ」と手招きする。
一度座ったものの、傍に寄りに来いという事らしい。

彼はとても紳士な男だが、こういったちょっとした所作の一つが神らしい。
普通の人間の男であれば、これもただの横柄な呼び寄せに見えるだろう。
だが、蛇神はごく自然にして見せるのだ。
だから、節子も抗えない。
彼に呼ばれれば、素直に応じてしまう。

再度立ち上がり、節子は蛇神の隣に腰を落ち着けた。
すると、其処では無いといわんばかりに腰を引き寄せられ、蛇神の膝の上に乗せられてしまった。
逃げられないよう、腕も回された。
背中越しに伝わる彼の体温に、どきりと胸が鳴る。

「食事はどうだった?」
「あ、はい。
海老が美味しかったです」
「そう。
それは良かった」

側頭部に口付けられた。
また胸が不安定に高鳴る。
心臓に悪い。

節子は蛇神を軽く制した。

「蛇神様。
あの、私」
「私は、そなたを此処に連れて来て良かったと思っているよ」

蛇神が、節子の言葉を遮った。

「私の傍を離れたばかりに、危険な目になど遭わせたくないからね」

顎を捕らえられる。
そのまま、互いの唇が触れそうな程に距離は縮まった。
蛇神が節子に顔を寄せてきたのだ。

もう何度も彼の唇は味わっている。
この涼やかな瞳に見詰められるのも、今回が一度目ではない。

それなのに、まるでこれこそが初めてように緊張する。

「もう永久に私と共に居ると約束しておくれ」

返事を待たずして、ゆっくりと距離を詰められた。
最初は、柔く下唇を食まれた。
そして、その唇を軽く吸われ、ぺろりと舐め上げられた。

誘われるように口を開けば、今度は舌が中まで入り込んできた。
ぬるりとした唾液も流れ込んでくる。
歯の裏まで舐められた。

舌を絡め取られる。
濃厚な口付けに、酸素はすぐに足りなくなる。
意識まで朦朧とする。

後頭部を手で支えられているので、逃げる事も出来なかった。
ただ彼からの口付けを受け入れるだけだ。
見様見真似でおずおずと舌を動かせば、彼の腕の拘束もきつくなった。
強く求められている気さえする。

また絆されている、と思った。
だが、思っていても抗えない。

足りない酸素を求めるように、蛇神の衣類の裾を掴んだ。
彼の綺麗な着物に、くしゃりと皺が寄った。
それでも、濃厚な口付けは止まらない。

やっと離れた頃には、節子の頬は真っ赤に染まり上がっていた。
互いの唇から二人の唾液の糸が引いた。
薄く銀掛かった糸だ。

「セツ」

名を呼ばれて、その蒼眼を見た。
深い青色の奥に、のぼせた節子の顔が映っている。

彼の声は、何処か切なげだった。
もっと深い所まで求められているのではないかと思う程だ。

節子の身体は、かっかと熱くなってきていた。
酒を飲んだ訳でもないのに、強いアルコールにすくわれたようだ。

くらりと視界が揺れる。
それを支えるように、蛇神が更に強く抱き締めてきた。

その腕の強さに比例して、また節子の総身が熱を孕んだ。
急激に胸の内が激しく鼓動した。

このままでは、熱さに浮かされてのぼせてしまう。
心臓が一生分の拍動を終えてしまう。

節子は手を伸ばし、再度、蛇神を制した。

「あの、少し離れてくれませんか」
「何故?」
「何だか、身体が熱くって」

本当の熱でも出始めたのだろうか。
風邪でもひいてしまったのだろうか。

そう思う程に全身が高揚している。
息まで浅くなっている。
視界も本格的に覚束なくなってきた。

だが、蛇神は「ああ」と軽く頷くだけで、拘束を解こうとしない。

「そろそろ効いて来る頃だと思っていたよ」
「え?」
「露天風呂に入っただろう。
あれは人間の隠れた欲求を最大限まで引き伸ばしてくれる成分が入っている。
そなたの身体も、例外では無いよ」

にこやかに彼は言うが、節子は言われた事が上手く理解出来ない。

欲求とは何だろう。
そんなものを最大限にまで引き出して、何があるというのだろう。

そう思いはしても、どうすればいいのか分からない。
蛇神だけは節子の異状を得心しているらしく、落ち着いたままだ。

あの露天の風呂に入っていた滑ついた何かが、この熱を齎せているのだろうか。

蛇神の口振りからは、そう取る事が出来る。
そういえば、何が混ぜられているのか問うた時も、不自然に隠された気がする。
彼は、これを狙っていたのだろうか。

しかし、何故このような事をされるのだろうか。
彼の意図が分からない。

「痛みも無くなる。
全てが心地良く感じる筈だ」

蛇神が節子の腰帯をするすると解いた。
帯が無くなれば、忽ち小さな胸が露になった。

そこに滑り込むようにして彼の手が触れる。
指の腹が胸の頂きに無造作に当たった瞬間、節子の中でぱちんと何かが弾けた。

急激に熱を孕んでいた血潮が、派手な音を立てて沸騰し始めた。
下肢の奥がぐつぐつと動き始めた。
自分には無い異物を求めているようだ。

そこで、やっと蛇神の言っていた事が分かった。
頭では理解出来なくても、身体と本能がそれを教えてくれた。

節子の中で眠っていた性に関する欲求が、矢庭に炎を上げたのだ。
そのせいだろうか。
いつもに増して、目の前に居る男が掛け替えの無い狂おしい存在に見える。

「蛇神、様」

怖くなって、蛇神を呼んだ。
しかし、彼は余裕げに笑むだけだ。

「出雲は良い。
便利なものも多い。
退屈もしない。
私の社で暮らすのが嫌だというならば、此処で暮らせばいい。
此処は安心だ。
軽いちょっかいを出して来る輩は居ても、そなたの命は保証される」
「でも、それは」
「セツ。
そなたが攫われたと聞いて、私が平気だったと思うかい?
そなたにもしもの事があって、私が何とも思わないとでも?」

言葉の調子とは裏腹に、何とも弱気臭い台詞を吐く。

からかっているのだろうか。
蛇神は、いつだって面白がっているようにしか見えない。

ずるい人だ、と思う。
そのような事を聞かれても、肯定も否定も出来る訳ないではないか。

その上、こんな状況では何も出来ない。
ただ、心臓の上に置かれた掌がそっと動く様に震えるだけだ。

黙っていると、胸の両の頂をいたずらに抓られた。
そこからばちばちと電気が走って、背中がぐんと反った。

濃度の濃い酸素が肺から漏れた。
それと同時、自分が出したものとは到底思えないような嬌声が上がった。

首筋をねっとりと舐め上げられる。
ずるずると動くその舌は、なめくじが這い回るようだ。
一度うなじの方まで上がってきた彼の舌が、耳裏を突く。
そして、そのままたぶを噛まれた。

「私は神だが、それ以前に一人の男でもある。
愛しい巫が奪われれば、焦りもするよ」

鼓膜のすぐ傍で囁かれた声は、とても扇情的だった。
節子の女の陰が、一際強くじくじくと疼き始めた。

その疼きはどんどんと拡がっていき、次第に強いむず痒さになった。
太股を擦り合わせて、何とかその痒みを遣り過ごそうとする。
だが、遣り過ごせるどころか、それは更に酷くなっていく。
一度回り始めた欲望の歯車は、油をさされたように勢いを増した。

節子の脳内では、あられもない姿をした自分の姿が思い浮かんでいた。
このまま股を広げ、その中心部をこの蛇神に吸って貰えたら、思う存分弄くられたら、どんな官能に溺れる事が出来るのだろう。
そして、以前のように、抗う暇もなく全てを掻っ攫って欲しい。

節子は、己がそんなに淫乱な思考回路を持っていただなんて思わなかった。
だが、今は少しでも早くその淫らな快楽に浸りたくて仕方がないのだ。

いつまでも胸を蹂躙している蛇神の腕に、自分の手を重ねた。
彼の厭らしい指の動きに合わせて、今も体内の熱はじわじわと上げられている。
胸の尖端を摘まれたり、控えめな膨らみを揉みしだかれたりする度に、もっと過激な刺激が欲しくなる。
心も身体も、不埒な色に染まっていく。

その時ふと、先程の舞妓の姿が脳裏を過ぎった。
節子の前で、安く稽古指導を請け負った蛇神。

今は節子に対してだけ甘ったるい顔を見せているものの、本当は誰にでもそうなのではないだろうか、と思った。
このような行為も、節子以外の娘にもしているのではないだろうか。

猿田大神は、節子が蛇神初の巫だと言っていた。
だが、巫でなくとも、蛇神と身体の関係を持っている女が居ないとは聞いていない。
日頃からこのような事をしている相手が節子だけとも聞いていない。

そう思った瞬間、薄らいでいた灰がかった感情が胸一杯に拡がった。

「蛇神様」

また蛇神の名を呼んだ。
不安の種類は先程と異なっていた。

身体は彼を欲している。
しかし、心は禍々しい渦を持って、頑な扉を閉め始めた。

こんな心境のまま流されたくない。

灰色の情動は、瞬く間に真っ黒になっていく。
黒くなればなる程、怒りや憎しみが込み上げる。

軽々しい事ばかりする蛇神に腹が立った。
遠慮する事なく近寄ってきたあの舞妓に腹が立った。
顔も名も知らない、況してや存在するかどうかも分からない、蛇神に抱かれたかもしれない女達に腹が立った。

どうすればこの美しい神を独り占め出来るのだろう。
自分だけのものに出来るのだろう。

露天風呂は、隠れていた性欲だけではなく、独占欲や憎しみまで強くさせた。

他の女など見て欲しくないのだ。
巫でも生贄でも何にでもなるから、この己だけの傍に居て欲しいのだ。

そもそも、今の己は蛇神にとって何なのだろうか。
すでに巫となっているのだろうか。
或いは、未だ巫の候補なのだろうか。
そうなのだとしたら、正式な巫になれば、蛇神はこの我儘を聞いてくれるのだろうか。

「蛇神様にとって、巫って何ですか」

重ねた手に力を入れ、振り返った。
蛇神は一度手を止め、目を細めた。

「急にどうしたんだい」
「どうしてこういう事をするんですか。
巫は、そういうものなんですか」

節子の問いに、蛇神は答えなかった。
無表情で、じっと節子を見るだけだ。

やはり彼は、何を考えているか分からない。
分からないからこそ、不安になる。
こんなにも思わせぶりな事ばかりしておいて、当のその気持ちはどうなっているのだろう。

「愛しいって、どういう意味ですか」

蛇神は、先程「愛しい巫」と言った。
本来、「愛しい」という言葉は好意の対象にしか使わない。
尤も、ただの好意ではない。
愛情にまで発展した時に用いるのだ。

だが、彼は神だから、その愛情も何処から何処までが本気なのか分からない。
神ゆえに博愛なのだろうか。
誰に対しても均一した情を持ち、広く愛するのだろうか。
節子の事も、それと同じ程度にしか考えていないのだろうか。

彼は人ではないから、人特有の情と、それに伴って起こる欲求が異なるのかもしれないのだ。
神にとっての「愛しい」は、人間という小さな存在そのものを指しているのか、或いは節子を一人の女として見ているのか。
そのどちらかが分からないのだ。

蛇は愛情深いと言っていたが、それもただの神としての愛情なのだとしたら、とんだ見当違いだ。
節子は、彼の男としての情愛が欲しいのだ。

そこまで考えが行き着いて、やっと気が付いた。
節子はとうに蛇神に惹かれてしまっていたのだ。

勿論、ただの好意ではない。
それは憧れであり、崇拝であり、何よりも一人の男性としての恋愛感情だった。

気が付かぬ間に恋に落ちていた。
寧ろ、落とされていた、と言った方が正しいのだろうか。
蛇の尻尾に巻き取られるように、ずるずる、ぐるぐると、とぐろを巻いて落ちてしまった。

「蛇神様」

答えを強要するように、掴んでいる手に力を込めた。
彼は一度逡巡して、すぐに笑んだ。

「字の如くだよ、セツ」
「でも、それは」

ただの「博愛」なのではないだろうか。

そう聞きたくても、聞けない。
明確な答えが欲しいのに、いざ自分から強く聞き質す事が出来ない。

もし、彼が節子の事を一人の女として情愛を抱いてくれていると言えば、この身体も心も全て投げ打ってもいいと思う。
露天風呂の作用かどうかは分からないが、情欲と熱に浮かされた節子は、そのような事まで考えているのだ。

しかし、蛇神は節子の望んだ答えを発さない。

「そんな懸念も何も考えられない程に酔わせてあげよう」

節子の胸で遊んでいた彼の手が大きく動いた。
そのまま身体を抱き起こされたかと思うと、近くにあった衝立に手を付いて立たされた。





TO BE CONTINUED.

2009.03.12

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