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小説
第十九話
連れて来られたのは、ひたすら広大な風呂部屋だった。
大浴場らしい。

「凄いですね」

まるでレジャープール施設だと節子は思った。
檜風呂、岩風呂、滝風呂。
中には大きな滑り台が付いている風呂まである。
張っている湯は温泉なのだろうか、色とりどりの色をし、豊かな湯気を立てている。

その各々の浴槽の中に浸かっているのは、更にとりどりの姿をした神達だった。
牛にしか見えない者、顔が幾つもある者、形すら留めていない者、様々だ。
その誰もが湯の中で寛ぎ、憩い、楽しそうに笑っている。

脱衣場は無かった。
湯の中に入ろうとすれば、その瞬間に彼らは湯浴み用の浴帷子(ゆかたびら)に着替える事が出来るからだ。
浴帷子はそもそもサウナなどで着るものだが、神達はそのような事を気にしている風も無い。

中には好んで衣類を脱ぐ仕種をし、浴帷子に着替える者も居たが、それもごく僅かだった。
また、浴帷子を着ずに裸のままの者も居た。

所々に下働きの者達の姿も見えた。
部屋の隅で床を磨いている者、湯加減を見ている者、神の背中を流している者、石鹸を運んでいる最中で転んでいる者、楽器を奏でて神達を喜ばせている者。
皆忙しく動き回り、熱心に働いている。
蛇神の下使いの蛙のようにさぼっている者は一人も居ない。

余りの広さに感嘆の溜息を漏らした節子に、蛇神は言った。

「露天もある。
そちらを貸切にしようか」
「え?」
「そなたは他の者に裸を見られるのが嫌なのだろう?
番頭にその旨を伝えて来よう」

節子は一度、風呂内に黒狐が入って来た事に抗議した事がある。
蛇神はその旨を覚えていてくれたらしい。

軽く節子の頭を撫でた蛇神は、出入り口の方へと踵を返した。
この大部屋に入る前に、顔を合わせた者が居る。
恐らくその者が番頭なのだろう。

腰を屈めた節子は、足元で楽しそうにはしゃいでいる蛙達に耳打ちした。

「本当、凄い所ですね」

話し掛けられた赤蛙は、水かきをぶらぶらさせて応えた。

「当たり前じゃ。
此処を何処と思っとる」
「何処と思っとる」

黄蛙も同じように水かきを動かした。
どうやら此処で精一杯泳ぐつもりらしい。
その準備運動といったところだろうか。
やはり蛙故、このような大きな水場に来ると気が高揚するのかもしれない。

蛙達は、もう話し掛けるなと言わんばかりに興奮していた。
節子を蚊帳の外に追いやり、どの風呂がどのようだと二匹で盛り上がっている。
これ以上相手にして貰えないと分かった節子も、苦笑いを浮かべて視線を外した。

すると、すぐ目の前にすらりと伸びた美しい足がある事に気が付いた。
だが、その横には相反した逞しい足があった。
一本ずつ、男と女の足があるのだ。

「お前が蛇神の巫とやらか」

顔を上げれば、足以上に男か女か分かりにくい者が立っていた。
右側はいかめしい男なのだが、左側は何ともたおやかな女の姿をしているのだ。

吃驚した節子は、もう一度足の方に視線を落とし、それから再度その者の顔を見た。
やはり男女の区別が付けられない。
顔同様、胸も左側だけが盛り上がっている。
腰も括れている。

蛙に助けを求めようとしても、彼ら二匹は知らぬ間に向こうの方へと行っていた。
ぴょんこぴょんこと跳ねながら、どの湯船にどの順番で浸かろうかと楽しげに話している。

「めんこい顔をしている。
どうだい、このあたしの巫に乗り換えないか」

節子はその男女両方を備えた者に腕を取られ、立たされた。
声も中性的だ。
益々どちらか分からない。

しかし、近くに寄られれば、その不揃いな容姿に目が釘付けになった。
一瞬おかしな風貌だと思ったものの、よく見てみれば非常に目を惹き付けられるのだ。

右側の精悍な顔は、女の根底にある欲を刺激される。
左側の優艶な顔には、ただただ視線を奪われる。
この者も神なのだろうか、何処か神々しささえあった。

男の腕の方で腰を掴まれた。
そうかと思えば、女の指で頬を撫でられた。

アンバランスな感触に、ついどきりとしてしまう。

「引き抜きは止めて頂きたい」

その時、背後で不機嫌な声がした。
蛇神の声だ。

振り返れば、眉を怪訝に顰めた蛇神が腕を組んで立っていた。
その強い眼差しは節子を通り抜け、真っ直ぐに男女両性の神を見ていた。

「や、済まない」

睨まれた神は、ぺろりと舌を出して節子から身を引いた。

「余りにめんこい娘だったもので。
ちょっとした戯れだ」
「戯れで手を出されては敵わない」

解放されたかと思いきや、今度は蛇神にぐいと引っ張られ、腕の中に閉じ込められてしまった。
今までとんと気が付かなかったが、この神は大層嫉妬深いようだ。
まるで消毒だと言わんばかりに節子の頬と腰を摩ってくる手付きには、苛立ちが見え隠れしている。

蛇神の棘付いた態度に、男女両性の神は「もう手は出さない」と笑い、出入り口の方へと足を向けた。

「ではね」

女の横顔で振り向き、両性の神はさっさと去って行ってしまった。
だが、蛇神はすっかり機嫌を損ねてしまったようだった。
たとえ引き抜きの話が冗談だったとしても、納得しかねないようだ。

蛇神は節子の身体を横抱きにして抱え上げた。
嫉妬の続きなのかどうかは分からないが、此処から先は抱いたまま密着して移動するつもりのようである。

節子は、ほんの一瞬でも他の神に気を取られてしまった己に罪悪感を覚えた。
蛇神と節子は恋人同士という甘ったるい関係ではない。
巫の件はさておき、明確な男女の仲を約束した覚えも無い。

しかし、蛇神以外の者にうつつを抜かす事は良くないと思う。
何故だか分からないが、そう思ってしまった。

蛇神の機嫌をとりなすように、節子は口を開いた。
恋人の嫉妬を宥める時というのは、このような気持ちになるものなのだろうか。

「本当に沢山神様が居らっしゃるんですね」
「そうかな」
「はい、ちょっと驚きました」
「まあ、日本の神だけでも凄い数になるだろうね。
私も全ては把握していない」

口振りだけでは、彼の機嫌の状態が上手く分からなかった。
未だ怒っているようにも聞こえるし、何も気にしていないようにも聞こえる。
表情も常通りの涼やかな顔に戻っている。

節子を抱いたまま、蛇神は大浴場の奥へと進んで行った。
途中、石鹸を積んで遊んでいる蛙二匹が居たが、それも無視だった。

奥に進めば進むほど、大風呂内は更に賑やかで楽しそうなものとなった。
熱燗を平らげた神の一人が居眠りをしている。
湯あたりした兎が岩の上で伸びている。
数十メートルもある曲がりくねった滑り台から落ちて来た童が、甲高い声を上げている。

何処を見ても、楽しんでいない者など一人も居ない。

「やっぱりレジャー施設みたい」

節子はぽつりと呟いたが、それに蛇神は返事をしなかった。
怒っているせいではなさそうだった。
大部屋の奥めいた先にある、小さな木製引き戸の前まで到着したからだ。

扉には、桃色の花が描かれていた。
この戸の向こうに、また違う風呂があるのだろう。
そういえば、蛇神も先程、露天風呂を貸切にするなどと言っていた。

木の戸を開ければ、今度は曇ったガラス戸が現れた。
湯気で真っ白になってしまっているようだ。

それも開け放つと、突然ぱっと視界が開けた。
そして、色とりどりのツツジの木に囲まれた、小さな露天風呂が目に映った。

湯の上には、花弁が散っている。
この出雲の社内に入るまで真っ青に晴れ渡っていた天上も、満点の星空となっている。
闇夜の中、灯篭がぼんやりと照らす明かりが非常に風情だ。

流石、神の御殿だ。
花に囲まれた小さな日本庭園のような露天風呂は、余りに美しい。

節子を下ろし、蛇神はさっと腕を振った。
すると、彼が着ていた直衣はたちまちに消え、浴帷子姿となってしまった。
以前、蛇神の社で湯浴み中に着ていた風呂用浴衣である。

「さあ、セツ」

風呂に入る準備の出来た蛇神が手を伸ばして来た。

だが、節子は未だ寝間着のままだ。
蛇神のように一瞬で浴帷子に着替える術など無い。
そもそも浴帷子など持ち合わせてもいない。
だからといって、此処で自分だけが全裸になるのも憚られる。

「私も、浴衣を着たいです」

自分にも蛇神と同じような浴帷子を用意して欲しい。
そう暗にお願いするつもりで言ってみれば、彼はひょいと片眉を持ち上げた。

「そなたには必要無いよ」

随分と素っ気無い言い方だった。
節子は、「どうして」と反論した。
しかし、それを言い終える前に、自身の服が消え去っている事に気が付いてしまった。

またもや蛇神にやられたようだ。
自分だけが、あられもない裸身を剥きだしにしてしまっている。

「蛇神様!」

節子は胸を押さえてしゃがみ込んだ。
何が可笑しいのか、蛇神は愉快そうに笑い始めた。

「そう怒らないで」

楽しそうな調子を乗せたまま、蛇神は節子を再度抱き抱えた。
先程の嫉妬心めいたものは、何処ぞへと消えてしまったのだろうか。
満足そうな笑みは、日頃と何ら変わらない。

抱き上げられた節子は、結局そのまま蛇神と湯の中に浸かる事となってしまった。
湯の中では、赤と金の斑模様をした鯉が数匹泳いでいた。
しかも、湯自体も、片栗粉を混ぜたようなとろみがある。

鯉が泳ぐ度に、そのぬらぬらした湯が肌を擽った。
湯加減は非常にいいのだが、慣れない湯の感触が気になって仕方ない。

「お湯がぬるぬるします」

不快ではないのだが、快くも無い。

その代わりに、蛇神は珍しくも節子の身体を不用意に触ろうとしなかった。
ただ抱いているだけだ。

前回は肌を何度も撫でられた。
寧ろ彼は、節子が傍に居るだけで何処かを触ろうとする傾向にある。

それなのに、今は湯だけが節子の肌を擽るのだ。
しかし、そのぬめついた湯は、蛇神の濫りがわしい指を連想させる。

「そなたの身体に良い物が色々と混ざっているからね。
そのせいでぬるぬるするのだろう」
「何が入っているんですか?」
「酒が主ではないかと思うけれど」

そう言うと同時に、耳のたぶを軽く食まれた。
その感触にぞくりと身体が疼いたが、やはりそれだけだった。

彼は、それ以上何もしてくる素振りを見せないのだ。
噛まれた耳たぶも、呆気なく放されてしまった。

「そなたは仔細まで知らなくてもいいよ」

今度は額に口付けられた。
だが、またすぐに離れていった。

風呂の中であっても、彼の唇はひんやりと冷たかった。
湯の中だろうが、火の中だろうが、彼の体温は一定のままなのだろうか。

鯉が節子達のすぐ傍を行き交いしている。
その度に、ぬめりを帯びた湯が節子の胸や腹、そして股座を刺激する。

そのせいで、時折、胸の先端や下肢の雛尖が敏感に反応した。
しかし、それだけだった。
蛇神は始終涼しげな顔で風呂を楽しんでいるだけだった。





TO BE CONTINUED.

2009.03.04

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