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小説
第十七話
蛇神の腕は優しい。
安心さえする。

その手付きに身を任せて酔っていると、今度は抱き起こされた。

「さあ、セツ。
もう起きようか」

乱れていた衣服も整えられた。
どろどろに蕩けていたらしい下肢も、そっと直衣の袖で拭ってくれた。

だが、朝から快楽の淵へと追い遣られた脳は、ふわふわと覚束ない。

「では、出掛けるとしよう」
「え?」
「そなたは今日より出雲で暮らして貰うからね」
「出雲?」

節子が問うと、蛇神が答えるより先に、部屋の壁がゆらりと歪んだ。
その歪みの輪は、次第に大きくなっていく。
ひずみの奥の方から、桜の花弁も舞い込んできた。

歪みは、直径四メートル程の大きさになった。
その瞬間、中に大きな物体の姿が現れた。

一番に目が行ったのは、巨大な牛の鼻先だった。
そして、それを繋ぐ轅(ながえ)。
その先に、人が数人入れる程の金色の屋形箱。
七部割り黒漆塗りの車輪。

平安時代、貴族が用いていたといわれる牛車である。
牛を共に引く者は、蛇神直属下使いの蛙の少年二人だ。

節子はあんぐりと口を開けた。
自分の部屋に古来の乗り物が現れるとは夢にも思わなかったからだ。
牛一匹が部屋の中に入るとも思わなかった。

勿論、何らかの蛇神の恩寵を受けている牛故に、これもただの畜生ではないのだろう。
それでも、まさかこんなに小さな部屋に、こんなに大きな乗り物と動物が現れるだなんて。
考えられる筈がなかった。

蛇神がさっと合図を送れば、蛙の少年達は牛車に乗れる手配をしてくれた。
牛車は大概後ろから乗り、前から降りるものである。

節子は、あれよあれよという間に、牛車の屋形箱の中に詰め込まれてしまった。
人一人が入っても、なかなか余裕がある広さだ。

節子が呆然としていれば、すぐに蛇神も乗って来た。
そして、胡坐を組み、後ろから優しく抱き抱えられた。

「此処で生活していくに当たって、蛙の護衛だけでは不安だと分かったからね。
出雲に行けば、その懸念も無いだろう」
「え、あの」
「黒狐なら、引き続きこの界隈で起きた神隠し紛いの調査をしている。
有力な情報を掴み次第、彼も出雲に来ると思うよ」
「いえ、その」
「出雲は良い所だ。
とても綺麗な地でね。
神も多々来ている、賑やかだし、暇もしないだろう」
「えっと、そうじゃなくて」
「うん?
他に何か聞きたい事が?」

節子の問おうとしている所を先読みして答えたつもりだろうが、蛇神の言う所は少々ずれていた。
確かにそれらも気になる事の一つではあるのだが、それよりも一番に聞きたいものは、もっと他にある。

「何で、出雲なんですか?」

節子は、出雲に行く理由が分からないのだ。

突然、節子の部屋まで現れた蛇神。
そうかと思えば、好き勝手に身体を弄られ、そして今度は出雲に行くなどと言う。

彼が言っているのは、出雲大社の事だろうか。
出雲大社に行くにしても、何故急にそんな所へ行く事になったのかが分からない。
其処に何があると言うのだろう。

節子の疑問符の種は、そこにあった。

「今日は何月何日か分かるかい?」

節子のこめかみに唇を落としながら、蛇神は言った。

脳内のカレンダーを捲ってみる。
確か昨日は九月の三十日だった筈だ。

では、今日は。

「九月の三十一、じゃなくて。
えっと、十月一日、ですか?」
「そう、神無月だ」

九月に三十一日目は無い。
今日は十月に入ったばかりの初日だ。

蛇神は、その「十月」を古来の呼び名で表現した。
古来は、月の名を陰暦の異名で呼ぶ。
たとえば、睦月、如月、弥生、卯月などだ。
現代とは異なったその呼び方で表せば、十月は「神無月」と言われている。

「神無月になれば、神は出雲に集まる事になっている。
私とて例外ではない」
「それで、どうして私が」
「そなたを此処に一人残しておけないからに決まっているだろう。
さあ、行くよ」

どうやら神無月は、字の如く「神が無い月」になるらしい。
そういえば、そのような話を何処かで聞いた事があった。

十月になれば、全国の神は出雲に集まり、各々護る土地を留守にしてしまうらしい。
その所以に、十月は神無月と呼ばれるのだ。
蛇神も、その習わしに沿っているようだ。

蛇神が外に居る蛙の少年達に合図を送った。
赤蛙と黄蛙の子だ。
二人は、牛の背をぺちぺちと叩いて、動くよう合図を送った。

節子は慌てて蛇神の方へと振り返る。

「あの、困ります」
「何故?」
「私、学校が」

節子はこのまま蛇神達と旅行染みた戯れをするつもりは無かった。

出雲と言えば、島根県の中東部にある町である。
そんな所に行くとなれば、数十分で行って帰って来られる筈も無い。
神の力を持ってすればそれも可能なのかもしれないが、その当の神の口調は、十月中は出雲に滞在するようにも聞こえた。

そんな事をすれば、節子は丸々一ヶ月家を空ける事になる。
親が心配するだろう。
今度こそ激雷を落とされる筈だ。
一ヶ月間も学校と塾に行けないのも問題だ。

節子が通う徳祥高校は、非常に進度が早い事で有名だ。
一ヶ月顔を出さないだけで、すぐに落ち零れになってしまうのは目に見えている。
節子が行方不明になれば、クラスメイトや幼馴染の美鈴も騒ぎ立てるだろう。

出雲とやらに、行く訳にはいかない。

「その件なら問題無い」

節子の心配を他所に、蛇神は悠然としていた。

「茶蛙」

名前を呼べば、今まで何処に隠れていたのだろうか、茶蛙の少年が出て来た。
しかし、何故か節子の制服を着ている。
未だ幼い子が節子の制服を着ている様は、可愛らしくもあったが、滑稽だった。

その姿を捉えた蛇神が、ぱんぱんと二度手を叩く。
その瞬間、茶の少年の周りに沢山の花弁が舞った。

花弁達は、みるみる茶の子を取り囲んで行く。
仕舞いには、彼の姿は花々で見えなくなってしまった。
だが、その数秒後、その花弁はぱっと散ってしまった。

其処に現れたのは、先程の茶の子では無かった。
節子そっくりの女だ。

「ええ?」
「これがセツの身代わりになる。
少々蛙臭い所を除けば、誰にも分かるまい」

鏡で自分を見ているようだった。
節子そのままの茶蛙は、腹立たしいのやら悔しいのやら、微妙な顔をして顔を顰めている。

「茶蛙さん」

心配になって、節子は身体を乗り出した。
偽節子こと茶蛙は、黙って唇を前に突き出すだけだ。

「これも、仕事をせんかった罰じゃ」
「干物にされるよりきついわい、ひっひっ」

赤と黄の少年がからかった。
茶蛙の子はむっつりしたまま、その赤と黄の少年を睨み付けている。

「車を」

蛇神が声を上げる。
節子も再度強く抱き締められた。

牛車を引く黒く逞しい牛が、一度前足を掻く。
辺りの空間が歪み出した。
桜の花弁が頻りに舞う。

牛車がゆっくりと揺れた。
節子が小さく悲鳴を上げると、蛇神が「大丈夫だ」と身体を摩ってくれた。

その優しい言葉の直後には、二人を乗せた牛車は何も見えない闇の中へと入って行った。
遠くの方で、茶の少年の雄叫びが聞こえた気がした。





TO BE CONTINUED.

2009.02.24

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