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小説
第十話
「変な化け物に襲われた?」

また蛇神に後ろから抱かれる体勢になって、節子は先程あったばかりの事を話した。
ついでに、ここ最近で起きている神隠しの噂も付け加えた。

蛇神は驚いている。

「蛇神様のせいじゃないんですか?」

首をやや傾けて問うた。
蛇神は、僅かに眉を顰めて見せた。

「どうして私が。
しかし、やはりか」
「やはり?」

彼には思い当たる節があったらしい。
手を一度顎に持って行き、数秒考える。
それからまた口を開いた。

「他の女子はともかく、セツは私のお手付きだからね」
「お手付き?」
「そう。
神が寵愛する人間に興味本位で手を出してくる世の怪は少なくない。
だから私は、余計にそなたをあちらには帰したくなかったのだけど」

成る程、と節子は頷いた。

節子はこうも簡単に会話しているが、そもそも神というものは非常に尊い存在だ。
皆が憧れ、頭を垂れる。
その神が一個の物に執着すれば、他の者もそれに興味を示し始める。
自然な流れだ。

人間とて同じだ。
テレビに出るような有名人が何かに注目すれば、その視聴者までもがその物体に注目するようになる。
そして流行は拡がっていくのだ。

神が一人の人間に執心するというのはそれと同等、或いはそれ以上の事だ。
蛇神と同じような人間外の者達からすれば、その「柏木節子」という人間が珍しく映るのだろう。

だが、節子にしてみれば、いい迷惑なだけだ。
己は好きでこのような立場に居る訳ではない。

「お手付きじゃなくならせばいいんじゃないですか?」

お手付き、という意味が然程分からないまま提案した。
蛇神は節子の言葉に目を見開き、すぐに苦笑いする。

「それは無理な注文だ」

髪の毛に口付けられた。
その所作が余りに甘やかで、どきりとしてしまった。

この蛇神は、何を思ってこのような事ばかりをするのだろう。

節子の中で不快な靄が掛かった。
もしこれが人間であれば、この類の戯れは好きな相手にしかしない筈である。
恋愛感情ありきの行動だ。
少なくとも、節子はそう思っている。

だが、蛇神は人では無い。
人とは到底掛け離れた、ずっと上の方に住む種の存在だ。
それ故、恋という感情も持っていないように見える。

それならば、この数々のじゃれ付きは何なのだろう。
節子を慈しむような言動には、どんな理由があるのだろう。
巫といわれる立場は、大概そのようなものなのだろうか。

節子の疑問は大きくなった。
大きくなればなる程、その疑問に対する疎ましさも増大した。

しかし、今その真の程を聞くのは憚られた。
「私の事が好きなのか」と問うて、もし「否」と返答されてしまったら。
その後の自分の気持ちの明暗を考えると、気が乗らなかった。

だが、節子は特段、蛇神に執着しているつもりはない。
多々流され、惹かれているところはあるが、完全なる恋愛対象として見た覚えは無い。

それなのに、何故、好きでは無いと言われる事が怖いのだろう。
これではまるで、節子の方こそがこの男に想いを寄せているようだ。

蛇神の態度を不可思議に思っている内に、今度は自分の気持ちさえも分からなくなってきた。
しかし、その節子の悶々とした内心など気にせず、蛇神は続ける。
今度は優しく髪を梳かれた。

「今回は赤蛙が傍に居て良かった。
とはいえ、これからも安心は出来ない。
だからといって、私が始終そなたの傍に居て、社を留守にし続ける訳にもいかない。
これからは、きちんとした護衛として蛙を一匹連れてお行き」

本当は此処から帰したくないのだけどね、と彼は付け加えた。
だが、どうやら今日は無事に家に帰してくれるつもりらしい。

節子はほっとした。
それと同時、彼の関心が自分から離れていっているような気がして、寂しさも感じた。

家に帰さないと言われた時は、本当に困った。
それなのに、今は「帰してやる」と言われて、逆に寂しく思っている。
益々自分の気持ちが分からなくなる。

節子から視線を外した蛇神は、外に向かって声を掛けた。

「青蛙、そこに居るのだろう?」

呼び掛ければ、すぐに声が返って来る。

「へい、何でしょうかね」

先程まで少年の格好をし、楽器を奏でていたというのに、呼ばれたその者はすでに蛙の姿に戻っていた。
ひょこりと顔を覗かせたかと思うと、ぴょこんぴょこんと近付いてくる。

今まで蛙を可愛いと思った事など無かったが、こうも毎日見ていると親しみすら感じる。
口は悪いが、喋る両生類というのもなかなか可愛らしいものだ。

「黒狐を連れて来い。
あれに頼みたい事がある」

蛇神は青蛙に指示を出した。
蛙はあるのかないのか分からない短い首を捻る。
しかしすぐに考える事も放棄したのか、「了解」と言って姿を消してしまった。

黒狐とは、初めてこの社に来た際に見た浅黒い男の事だろう。
確か、琵琶を持って奏でていた。

あれから一度も姿は見ていないが、今も此処に居るのだろう。
そういえば、この社に居候していると言っていた。

「此処まで来て貰うんですか?」

節子はくるりと振り返って聞いた。
蛇神もさらりと返す。

「そうだけど」
「嫌だ。
私、こんな格好です」
「私もこんな格好だ」

節子を茶化しているのだろうか、蛇神はあっけらかんとしていた。
そういう意味で言った訳ではないのに、と節子は頬を膨らませる。

今、節子は全裸で湯に浸かっている。
蛇神は下半身だけ軽く浴衣で隠しているようだが、入浴中な事に変わりは無い。

裸姿を他人に見られるというのは、普通であれば恥ずかしいものだ。
だが、蛇神にはその感覚など分からないらしい。
神であるが故に、羞恥心という必要不可欠な感情も欠如しているのだろうか。

とにかく嫌だ、と節子は思った。
先程、蛙が浴場に入って来た時は平気だったというのに、あの黒狐という男に自身の裸を見られるのは抵抗を覚えた。

蛙は、蛙姿のままだったからだろうか。
或いは、蛙は元が少年のような姿をしているからだろうか。

仔細は分からないが、黒狐に見られるのはやはり恥ずかしい。
いくら乳白色の湯で隠れて見えないとはいえ、些か困る。

「連れて参りました」

節子が本格的に文句を言う前に、蛙の声がした。
そちらに視線を遣れば、蛙に連れられた黒狐が其処に居た。
相変わらず琵琶を抱えている。

節子は隠れるように蛇神に身を寄せた。

「わざわざの足労、すまないね」

節子を片手で抱き、蛇神は言う。
そして、近くに寄るよう指示した。

「一つ聞くが、ここ一帯で最近人攫いがあるようだ。
何か知っているか?」

風呂縁まで来た黒狐は黙ったまま首を左右に振った。
蛇神も「そうか」と頷く。

「では、心当たりは?」

また首を横に振った。
口を開く素振りは全く見せない。

蛇神は節子の身体を二、三度撫でて「うーん」と唸った。
何か考えているらしい。

蛙もひょこひょこと近付いてきた。
何の話をしているか興味を持ったようだ。

蛇神は再度黒狐に視線を向けた。

「少し頼まれてくれるだろうか」

返事の代わりに、黒狐は琵琶を掻き鳴らした。
じゃらん、じゃらんという軽快な音が鳴る。
しかし、此処が浴場のせいか、些か篭った音になっていた。

その琵琶の音を肯定と捉えたのか、蛇神は尚も言う。

「最近、若い娘が忽然と居なくなっている。
物の怪の可能性も否めない。
その方で調べて貰えまいか」

狐はジャカジャカジャカと派手に弦を弾いた。
古代の楽器のくせに、そのライトさは最近のヘビーメタルを思わせる。

「必要ならば、蛙の一匹や二匹、連れて行くがいい」

狐はリズムに乗せて更に音を奏でた。
そして、傍に居た青蛙を摘み、頭の上に乗せてしまった。

どうやら、この青蛙を連れて行くつもりらしい。
蛙も訳が分からないといった顔を浮かべていたが、為すがままにされていた。

軽くお辞儀をして、黒狐は浴場から去って行った。
退場のテーマよろしく、琵琶も始終鳴っていた。
まるで蛇神からのお使いを喜んでいるようにも見える。

狐自身の足取りは静かなものだったが、余りにアップテンポで琵琶が鳴らされるものだから、彼が自らスキップでも踏んでいるようだった。
その滑稽な音楽が遠くに消えてから、節子は蛇神に声を掛けた。

「彼、喋らないんですか?」

琵琶ばかりを弾いて、口は一向に開こうとしなかった狐。
不思議に思った節子が聞けば、蛇神も首肯する。

「黒狐が喋るところは見た事が無いね。
声の代わりに、琵琶ばかりを弾いている」

「おかしな男だろう?」と蛇神は言ったが、厭わしいと感じている風は無かった。
寧ろ、「面白い男だろう?」と言っているようだ。

黒狐も、蛇神の知り合いのようなので、人間とは到底掛け離れた存在なのだろう。
かくも神やら物の怪やらは奇妙なもの揃いである。

だからとってその一つ一つに反応していては、今まで培ってきた常識が壊されてしまう。
節子は、蛇神の教えてくれた内容に軽く頷くだけで、それ以上は何も返さなかった。

「さて、夕餉でも頂こうか」
「え?」

蛇神は、話はこれで終わりだというかのように、ぱちんと指を鳴らした。
すると、また不思議な事が起こった。
節子達が入っていた湯が、みるみる水位を下げ始めたのだ。

これでは己の身体が丸見えだと節子は慌てたが、それも杞憂に終わった。
湯が落ちていくにつれ、裸だった筈の己の総身に薄いベールが現れたのだ。

それは徐々に明確な形を象り、仕舞いには先まで着ていた制服と寸分違わぬ姿となった。
湯が完全に底を付いた頃には、蛇神自身も狩衣を着用していた。
今日は萌黄色の着物なようだ。

「今日も遅くまで塾とやらに行っていたのだろう?
お腹も空いているんじゃないのかい」

節子を横抱きにし、蛇神は浴場を出た。
外では、待機していた緑蛙が居眠りをしていた。

「空いています」

素直な節子の返事を聞き、蛇神はにこりと笑う。

「では食事にしようか。
湯に長く浸かっていたから、今宵はさっぱりしたものがいいね」

節子に優しく語り掛けながら、彼は鼾を掻いている蛙を足蹴にした。
蛙は、「げひ」という間抜けな声と共に、壁に頭を打ちつけていた。





TO BE CONTINUED.

2009.01.23

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