自由論争C

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国境って、敵か味方かわけるためにあるわけじゃないよね
おなじ生き物なのに攻撃か防御かの論争をすること自体おかしいって、思ってくれないの?
撃たれるときは撃たれるとか、なんでそんな悲しいこと言うの
私がナイフを持った人でもそう思う?
世界中の人って他人のようで他人じゃない、つながってるから
疑いなく信じたいなら相手に信じられなきゃ
信じられたいなら信じるべきだ
争いを前提に、人とつきあいたくないのはみんなも同じなはず
丸腰かどうかより、やっぱりそこは一人ひとりの意識なんだよ
たった一人の友達をつくるときとおんなじ意識と友愛を持って接するべきだと思う
このままじゃ良くならないから意識改革が必要なんだ
念頭に置くものが、ひとりひとりこんなに違うって知るのは悲しいけどそれがバランスで、ひとつの正解なんだろうし
おなじように考えてくれるのが無理でも、それもひとつの正解なんだろう
そんな風に尊敬してくれるのは素直にうれしい、だけど一番は、やっぱりわかりあいたい
そんなんもともこもないよって言われればそうだけど
メールなんかじゃ伝わらない思いがお互いたっくさんあると思うんだ
私はひとつも難しいことは言えないし言わない
例えるなら子供がストレートに言うような、そんな感覚しかもたない
広く見なきゃわからないこともあるし、近くから見なきゃわからないこともある
この単純さを、わかってほしい
それを言うのはずるいことかもしれないけど、これだけは、命をかけてでも思うことなんだ

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謝ることと許すことを成すために、意識と友愛を持つんだよ
でも人間はかしこくなれるって信じようよ
もとから そんなことは出来ない って思えば一生叶わない
憎しみは憎しみしか生まない
だからこそどこかでふんばらないと、連鎖は終わらない
憎しみより友愛を
って、難しいけど、絶対に無理じゃない!
そう信じなければ実現さえしない

人間が使って造るためにはそれをコントロールする必要がある
それが行きすぎた
当たり前の考え方になってきた
自分で境をつくることこそが、全てのわかれめなんだ

うん、だから、目指すものはいっしょって言ったよ
イメージするゴールは、単純で明白な、景色をしてるでしょ?
ねじ伏せる気どころかそんな権利人にないだろうね
目を見て話せばまた違った解釈も生まれるだろうし
でも意識の根っこは変わらない
生まれたときはみんなゼロで真っ白だったんだから
やっぱりこういうのは、自分の周りの環境とか家庭とかで大きく変わる
それは事実で
今私がこの価値観で、平和を願い、生命を感じる素晴らしさを知ることができるのは、両親とか、周りの自然とか、いろんなものの関係のおかげで、
それにすごく感謝してるし
こんな環境で育ってよかったと思える
実際に自然と触れ合って、その大切さを知って、命を知って、それを大切にして、人を思いやる心を教えてくれる人がいて、この思想が生まれたんだから
これから先の子供たちにも、そう思ってほしい
レイチェル・カーソンだって、まず子供に教えたのは自然と触れ合うことだった
やっぱりね、自然と触れ合わないと感じれないことってある
自然の生命の流れを感じれば人は変わると思う
それって社会情勢とか産業とか関係なく、「人間」としての根本がそこにはあるわけだから
自然から離れていってる人間に、まともな判断はできない
だって自然の中に私たちは生きているから

私は信じてる
どんな人間でも、生命のよろこびと苦難と充足を知ってるって
わかりあうことができる、気づくことができるって
そしてなにより、変えることができるって

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あきゅろす。
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