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silent child


「また来週ね。待ってるから。」
 綺麗でカッコいい笑顔で……、ケイ先生は、手を軽く上げながら言う。

 先生がお店の方へと振り返る。
(先生が……、行っちゃうっ!)

「ケンタ君……?」
 僕の手は、勝手に先生の服を引っ張っていた。先生は、驚いたような、困ったような顔で、僕の方を振り向く。

――言わなきゃ。あの5文字を。

 そう思って、口を薄っすらと開けるんだけど……、僕の口からは音が出なかった。
 微かに、ひゅーひゅーと息が漏れる音が聞こえるだけ。

 絶対に言いたい。
 今日こそは絶対に言いたい。

 だって――、先生は僕にジュースを奢ってくれた。
 だって――、先生は今日、30分もサービスしてくれた。

 お願いだから……、言って。お願いだから……、音になって。たったの5文字なんだよ……?

 結局僕は――、言えなかった。

 たったの5文字なのに……、そんなことも音に出来ない僕。
 凄く悔しかった。凄くダサかった。

 先生の時間を5分無駄にした。僕はその事実に気付き、先生の服から慌てて手を離す。

 先生は、そんな僕に優しかった。また、いつかのように僕の頭をポンポンと軽く叩く。

「分かってるから。ちゃんと分かってるから。」
 僕の顔をじっと覗き込んで、そう言った。

――ケイ先生、大好き。

 僕は最後にケイ先生に向けて、大きくお辞儀をした。これが今の僕の……、精一杯。

 ケイ先生は、ひらひらと僕に手を振って、お店に戻って行った。
 恥ずかしくて……、顔が熱くて……、また自転車を全力で漕ぎまくってお家に帰った。

 お家に帰ってから、今日のレッスンの復習をしようと思い、僕の相棒をケースから取り出す。
 僕の相棒の、2フレットと3フレットの間に、白いピックが挟まっていた。
(しまった! 返すのを忘れてた!)

 この真っ白のピックは僕のじゃない。ケイ先生の。
 抜けてる僕は、自分のピックを忘れてしまい、今日だけケイ先生のピックをかりた。

 そのピックを弦の間から抜き取り、マジマジと眺める。
 真っ白だと思っていたそれには、薄っすらと英字が見え隠れしていた。

 真っ白になりかけているのは、ケイ先生の努力の証。これを使って、何度も何度も練習を繰り返したんだろう。

「ありがとう。」

 ケイ先生の前で言えなかった5文字を、白いピックに代わりに伝えた。

 その日僕は、ずっと、その白いピックで弦を弾きまくった。
――叫べ! 叫べ! 叫びまくれ!
 頭の中で“ありがとう”の5文字を思い浮かべながら。

 次こそは何となく言える気がした。次のレッスンで、このピックを返す時こそ……、絶対にあの5文字を言おう。
 僕はそう決心した。


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