silent child
3
初日の今日は、ケイ先生の自己紹介が半分くらい。そして残りの半分は、ギターの部位の名前や、基本的な使い方くらいしか習わなかった。
それでも、なんだか本格的になってきた感じがして、興奮が冷め止まなかった。
最後に少しだけ、ケイ先生が弾いてみせてくれた。
おっとりしたケイ先生が弾いてみせたのは、スピード感のある、わりと激しいフレーズ。
――先生のギターは音を叫ぶ、叫ぶ、叫びまくる。
信じられないくらいの速さで、白く細長い指が弦の上を滑っていく。弦を持ち上げたり、揺らしたりするのは、多分テクニックってヤツなんだと思う。
最後に、ピックを弦に沿ってギュルルルと滑らせてから、右手を元の位置に戻し思いっきりジャーンと弾いて終わった。
音で溢れていた世界に、無が返ってくる。
実際には聞こえないのだけれど、僕の心臓だけが、バクバクと音を立てているような気がした。
「っていう感じ。はい、今日のレッスンはお終い。」
――凄い! 先生は凄い!
まだギター初心者の僕には、どう凄いのかなんて分からないんだけど……、ただ凄いってことだけは分かった。
優しくて綺麗なケイ先生。優しいだけじゃなくて、綺麗なだけじゃなくて……、荒々しくて、激しくて、凄くて……、とにかくカッコ良かった。
僕はケイ先生を見つめたまま、暫く椅子に座っていた。
「ケンタ君……? 終わりだよー。」
そうだ。終わりだ。
僕のレッスンは一回一時間。一時間だけ感じることの出来る世界。
優しくて、綺麗で、カッコ良いケイ先生と二人で居られるのは一時間限定。ケイ先生の声と、ケイ先生の音だけの世界に居られるのは、一時間限定。
僕は、この部屋から出て行かなくてはいけない。人々で溢れて、ざわざわと日常生活の音溢れる元の世界へ。
僕は自分の荷物を纏め、席を立つ。ケイ先生の前まで歩いていき、そこで止まった。
(言わなきゃ……)
あの5文字を……、ケイ先生に言いたい。凄く楽しくて、ドキドキした一時間だったから……、どうしても言いたい。そんな一時間をプレゼントしてくれた先生に……、どうしても伝えたい。
それなのに――、僕はやっぱり音を出すことが出来なかった。
たったの5文字なのに……っ、1文字すら音にならないんだ……。
僕はちっとも変わっていない。
いつかのように……、僕は先生の前で真っ赤になって下を向く。
どうして僕は変われないんだろう?
先生は僕の頭をポンポンと軽く叩いてから、僕の代わりに音を出した。
「また来週ね。待ってるから。」
そう言って、扉を開けてくれる。一気に店内のざわざわという音で溢れ返る。僕はコクリと頷いて、現実世界へと戻っていった。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!