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ささやかに
時同じくして、隣の部屋。
一人でいると余計なことを考えてしまうため、まだ皆と共に過ごしたかったが、時刻は間もなく“十一”を指す。
真っ白の布団を敷き、寝る支度は整った。
しかし瞼を閉じても浅い眠りにすらつけず、奈留は深呼吸してみた。
なぜ自分がここにいるのか。
理由は、七月最後のあの日。
ふらふらしながら入ったレストランでばったり出くわした渡邊との会話の中にある――。

「嫌がらせ……受けたやろ」

そう言われたのは、お冷やを取ろうとコップに手を伸ばした時だった。
ちょうど作っていた笑顔が若干ひきつり、返答に迷う。
もちろん思い当たる節があるからだ。
周りの景色が薄らぐように色を失い、モノクロの光と化す。

「受けてないですよ」
「奈留。俺はおまえが女子に腕握られたとこ、見てんねんで」

奈留が目線を上げると、帽子の陰に覆われた目とぶつかる。
普段の陽気さがまるでない真剣な眼差し。
捕らえられては、嘘はつけないと悟った。

「オサム先生は、なんでマネージャーじゃない私を合宿に誘うんですか?」
「その傷を、みんなが気にしとるからや」

そう言うと、渡邊は穏やかな顔をした。

「こないだ言うたよな。『みんなが大好きだから離れます』って」

はい、と頷く奈留。
内心はかなりの動揺に襲われていた。
だが、あまりに優しげな物言いを広げる相手を前に、逃げることなどできない。

「大好きなら離れたらあかんし、孤立なんかさせへんで。しつこい奴ばっかり集まりよんねん、うちは」

皆心配している。
傷の理由や中身を知らずに……。
自分が思っていた以上に大好きな人たちは人気者で。
絡むと妬みや羨みの念を嫌な形で向けられる。
“テニス部の特別な存在ではない自分は場違いだ”と、誰に打ち明けても傷つけてしまいそうで、黙って離れたのだ。

「テニス部が好きなら毎日来てええねん」
「でも」
「『やられたらやり返す』っちゅー言葉もある。ささやかに実行してみいひん?」
「実行?」
「合宿について来ればわかるっちゅーこっちゃ」

有無を言わさず押し通す渡邊が、この時ばかりは救いの神に見えた。

「親に聞いてみます」
「そこはズバッと明るい返事聞きたかったわ! まあ強制やないし、じっくり考えとってくれ」

にこやかな顔に戻ると、クエスチョンマークだらけの奈留へメニュー表をちらつかせる。
奢るつもりなのだ。
とりあえず何か選んで頼め、と店員の視線を気にしつつ目で合図した。

「これは俺の予想やけど、自分が来ること一番楽しみにしとる奴もおるで」
「え?」
「わからんやろな。よっしゃ、世間話でもしようや!」

辛気臭い話に終止符を打つ笑顔。
窓の向こうの世界にも変化が表れる。
それは光に照らされ、晴れやかな風に満ち、この先の希望を感じさせるものであった。
話は盛り上がり、長く長く続いた。
家庭のこと。
進路のこと。

「そういえば謙也くんも言って……あっ」

そして無意識に出てしまう、テニス部のこと。

「奈留はあいつらが……本題に戻るけど、結局好きなんやろ」

口を手で塞ぐ奈留が、どうしようもなく無自覚な性格の持ち主であるために、皆どれほど苦労しただろう。
反動で揺れたコップの中の氷を見て、渡邉は教え子たちに軽く同情すら覚えた。

「好き……ですよ」
「ついて来てくれるか?」

――あの後忍足が登場し、場は和やかに進展していったのだ。
今日は眠れぬ夜を過ごすに違いない。
初めて包まれた温もりが残る限り。
優しい腕の感触を覚えている限り。
明日からまた、新たな思いを抱え、歩いていく。





To be continued.
20130201



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あきゅろす。
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