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痛くはない
時は終業式前日。
いつものように智香子に連れられてテニス部を見に行ったその日も、レギュラー陣に歓声を飛ばす生徒が集まっていた。
目当ての人へ必死のアピール。
休憩時間までは部員と話せないが、こらえて声援を送り続ける。

「岩崎、おおきに」
「頑張ってね」

タオルを渡して軽く応援の一言を添える奈留は、彼女たちにどう映っただろう。
そんなことは後の展開からすれば、一目瞭然である。

「マネージャー気取りの岩崎奈留ちゃん」

水汲み用のバケツを水道にセットした瞬間、名前を呼ばれた。
振り返ると茶色がかった長髪の女子生徒がいて、ゆっくり近寄ってくる。
なぜ話しかけられたのか。
何度も顔は見るものの交流はなく、不思議に感じた。

「マネージャー千鳥?」
「腕上げて」

仲良くお喋りしましょう。
そういう雰囲気ではない、と相手の不満げな顔が物語る。
言われるがまま左腕を上げた奈留は、若干伏し目がちに次の指示を待った。
ところが、突然襲ってきた痛みに思わずしゃがみ込む。
背後にいた他の生徒がカッターナイフで奈留の左腕を切りつけたのだ。

「あんたらさ、応援しとるファンの身になってみ。痛い目見んと理解できひんぶりっ子がおるだけで腹立つわ」

怒気を含んだ眼差し。
おそらく何と返してもまともに聞いてはくれない。
かすかに浮かべた口を固く結ぶ以外の方法は、痛みの前にかき消された。

「謙也くんたちに近づいたら容赦せん――」

激しく睨みつける女子生徒の顔が脳裏に焼き付き、何日経とうと恐怖にさいなまれる。
悲しみ、苦しみ。
今度は表情を照らす明かりがはっきり心を読み取る。
白石は内容を理解し、フーッとひと息吐いた。

「オサムちゃんが教えてくれんかったら、何もわからんまま夏休み終えとったわ」
「え?」
「智香子も同じ目に合うた身や」

奈留のみならず、忍足もぴくっと肩を動かした。
黙っておきたいが、温厚な白石でさえ我慢ならない事態に発展したということ。
初めて語られる、もう一つの事件。

「俺が部長を引き受けた時、真っ先に喜んで飛びついてきたりしててな。女子の嫉妬買いまくりで……。あいつはそれを自虐ネタに変えるくらいタフやけど、耐えたんやと思う」

本当かどうか、耳を疑う。
あの気が強い智香子がひどい目にあったとは。
心当たりがあるとするなら、昨年のS―GP決勝戦ネタだ。
“絶対やり返す”のスローガンを立てて望んだ、誰かへの皮肉を交えたもの。
確かに、自虐的に見えなくもなかった。

「びくともせん奴に絡んだかておもろないから、奈留責めようっちゅー考えやろ。俺らと二番目に近い存在の」

呆れつつ、奈留の包帯にそっと触れる。

「痛かったな」
「謙也くんが人気者だって証拠だから痛くはない」
「ほなどうあるん?」

白石に背を向け、揺らぐ気分を落ち着かせる。
隠すのはもう無理だと悟った。
受けた傷がもたらした痛み以上の思い。
言えることは言ってしまおう。
本人が扉を隔てた場所で全部聞いている状況の中、答えた。

「のしかかってくる」

重荷。
そう聞こえて、たまらず忍足の足は戻る部屋へ向きを変えた。
急いで立ち去り、廊下は再び無人になる。

「わからへん……」

二人のあいだには同じ「好き」があればいいのに。
悲しみ、苦しみ。
こうして同じく見えて違う感情に締め付けられる互いは、わずかに離れていく。





To be continued.
20101122

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