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はんしんふずい。
ごたいまんぞく。
一年経ったら、渡してほしい。まだ、春が俺を忘れていなかったら−−‥……。


飛行機から降り立ち、様々な人間が行き交うフロアーを見渡す。初めて見る景色にとてつもなく遠い場所に来たのだと実感させられる。不安と緊張を全身に押し込め時差で怠い背筋をピン、と伸ばして春は歩き出す。

力強く、一歩、踏み出した。







あれから三年の月日が流れた。
春がビデオメッセージを受け取ってから、透馬が消えてからは四年になる。
季節は四回巡ったし、年だって重ねた。就職ももちろんして今じゃ社会人二年目を迎えている。
世界は常に変化している、なんてどっかの誰かが言っていたけれどあながち間違ってはいない。時間は過ぎるし、朝が来れば夜になる。一ヶ月なんてあっという間、一年なんてもう言わずもがなだ。

けれど、あの頃から停滞したままの時間が春にはある。四年前に止まってしまった世界が、確かに存在している。密かに、ひっそり、ただただ存在している。
本来ならば、この時間は凍ったまま溶けたりしなかったのだろう。停滞した世界は半永久的に停滞したままで、春は一生を終わらせたのかもしれない。

けれど、

「…ちょっと薄着だったかなぁ。寒い」


腕をさすりながら春はきょろきょろ辺りを見回す。目当てのものは向こうからやってきて、春はさっとそれに乗り込み、行き先を告げる。


「△△△病院までお願いします」




停滞していた時間が、ゆっくり、動き出していた。







−−−君に、俺の愛は届いただろうか。



ビデオメッセージを親友に託し、それから半年後。透馬は手術を受けた。助かる見込みは絶望的だったし、例え成功したとしても以前のように元気な身体には戻れない。厳しいリハビリと治療が必要になる。担当医の言葉が重たくのしかかる度、透馬はただ恋しい人を思い浮かべた。

自分は春の世界で死んだ。多分、奇跡が起きない限り現実の世界でも透馬に未来はない。けれど。だからこそ。
会いたい。春の傍に誰かがいて、自分の居場所がなかったとしても。もう、他に愛する人がいたとしても。一目、君を見たい。見たいんだ。笑っている元気な姿を確認出来たらほんの少しだけ、自分を許せる気がするから。
誰より大切な君を、置き去りにした自分をほんの少し。許せる気がしていた。


そして手術当日。
透馬はかろうじて、命を繋ぎ止めた。


だが、手術が成功して最初の一年は喜んでもいられない状態だった。自力で起き上がることも出来ず、喋ることさえ困難で食事も点滴と流動食を余儀なくされた。体調も不安定で何度も高熱を出すし、酷い時は嘔吐、失神さえする。透馬はそのたびに朦朧とした意識の中で春を呼んだ。呼び続けた。春、と呟けば微かに残った力を、気力を、感じられたから。

そうこうしている間に、透馬は少しずつ回復の兆しを見せる。微々たるものだが、担当医もカルテを見て難色を浮かべる回数が減っていく。同時に、点滴の量も少なくなり食事も流動食から普通食に変わっていった。
やがて、リハビリが始まる。


一年、ベッドで過ごしてきた同然の身体は透馬の予想を遥かに超えて思うように動きはしなかった。体力、筋力共に信じられないほど衰え、自分の身体ではないような錯覚を覚える。透馬はようやく担当医が口にした厳しいリハビリの意味を理解したが、けして挫けなかったし、諦めもしなかった。

一度、自分は死んだのだ。
絶対に死にたくなかった世界で呆気なく、死ぬしかなかった。
けれど今は、死んだはずの世界を見られるかもしれない。この目で、この耳で、この身体でもう一度愛しい世界を感じられるかもしれない。


「…諦めてたまるか」


病室のベッドに横たわり、疲れ果てて力の入らない手を握り締める。まだまだ細く痩せた腕に力を込めては弛め、天井を睨み付ける。透馬の決意は誰の目から見ても確かなものだった。


気が付けばリハビリを始めて二年。春が二度訪れて通り過ぎ、透馬は二十四になった。元々整った顔を更に大人びかせた透馬は、リハビリのおかげで昔のようながっしりとした男らしい肢体に戻り、退院間近には院内の密かなアイドルと化していた。どうやら日本だけでなく海外でもイケメンはイケメンらしい。
実際、入院中に基本的な日常会話を出来るようになった透馬は看護士や患者と交流をしてきたのだ。日本人としては高い、180を超える身長に、黒髪がよく似合う透馬が流暢に他国語を話せば存外、想像出来ない事態ではない。正直、何度か告白されたりもした。
けれど透馬は決まってこう答える。


『遠い場所に…置いてきた人がいるんだ。俺は、その人しか考えられねえ。だから、ごめんな』


普段、めったに笑わない透馬が優しい笑顔を浮かべる。
ただ一人を一途に想い続ける透馬の姿に周りがより一層熱を上げていくのは仕方がないだろう。だが同時に、透馬の想い人には適わないと思い知らされもする。あんな柔らかい微笑み、今にも涙を流してしまいそうな切なさを滲ませた笑顔を浮かべさせられる人に、誰が勝てようか。


当人の知らぬ場所で着々とファンを増やし続けていた透馬は今、黙々と退院手続きを進めていた。入院中増えてしまった日用品をバックに詰める。テキパキ荷物を片付ける姿は、数年前まで病魔に侵され瀕死の状態だったとは思えない。
それほどまでに、透馬は昔のような姿を取り戻していた。


こんなもんか、荷物をまとめ終わり肩にかける。透馬は忘れ物がないか、ベッドを見渡し不意に動きを止める。見慣れたこの部屋で、沢山の出来事があった。ほとんどは苦しく、辛い思い出しかないけれどここで知り合った友人や看護士との出会いは透馬にとってかけがえのないものだ。
自然に笑みを零して、透馬は病室を後にする。

俺は色んな人に支えられて生きているんだ。それを知ることが出来た。今まで当たり前だったことが、本当は絶妙なバランスの上に成り立っていて命は廻っている。自分はその事実を知らなかっただけ。

俺は弱く、ちっぽけな人間だけれど。
大切な君を置き去りにしてしまうほど、弱い人間だけれど。
あの時、二人がまだ一緒だった頃、君は笑ってくれたから。俺に向かって笑い返してくれたから。
自分にも出来ることがある、ちっぽけでも弱くても自分には出来ることがあるんだ。それが、嬉しくてたまらない。

もしも、透馬は願う。切に願う。

もしもまだ、春が自分を忘れていなかったら、必要としてくれるなら。


俺は春を、幸せにしたい。

会いたいよ、春。







「今まで、ありがとうございました」


病院の玄関で担当医と看護士に頭を下げる。皆一様に微笑んで良かった良かった、と頷いてくれる。透馬もつられて微笑み返せば、看護士のみんなは頬を染めて担当医がやれやれ、肩を竦めた。
透馬はもう一度頭を下げて地面に置いていたバックを持ち上げる。そうして歩き出そうとした時だった。



「透馬!!」




暖かな風が一際強く吹いて、振り返ればすぐそこまで、「春」が来ていた。



















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あきゅろす。
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