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「何も言わないって事は……なるほど、揺れてますか。なら一桁増やしましょうか。一億Gで手を打ちませんか」
シャルは、何も言わなかった。
「迷う必要がありますか?セリ・アーシェイドには知性・才覚があります。
しかし、このままではこの村でその知性・才覚を発揮せずに一生を終えるでしょうね。ここでは一生村から出ない方も多いそうですから。
私達は、彼の成長を妨げるこの劣悪な環境から、彼を救い出そうと考えているのです」
シャルは尚、何も言わない。しかし、レムが口を開く度に……シャルの表情は、次第に険しくなっていった。
シャルは決して、揺れているわけではなかった。
「……いやだと言ったら?」
「……その時はその時です。力づく……というのは、本当は好きじゃないのですがね……」
レムはそう言って、不敵に笑った。シャルに負ける気は、ないといった風に。
「……なるほど。お前の言いたい事はわかったよ。つまり、取引するとか言いつつ俺に選択権はないっていうわけだな?」
「よくわかってるじゃないですか」
しれっと言うレムに、シャルは沸々と怒りが湧き上がってきた。
シャルは元来、滅多に怒る事のない温厚な性格だった。例えば、シャルが普段から気に入っていた懐中時計。それを誤って、セリに壊されてしまった事がある。
セリはシャルが毎日それを肌身離さず持っていた事を知っていたから、シャルに叱られると覚悟した。
しかし、セリが懐中時計を壊してしまった事を素直にシャルに話すと、シャルは壊れた懐中時計を崖から海に投げ落として「ただの時計だよ」と笑ってみせたのであった。
そんな感じで、自分の事では滅多に怒らないシャルであったが、身内の事となると別だった。
キッとレムを睨みつけたシャルを見て、レムは不敵に笑った。
「……どうやら穏便に解決してくれる気はないようですね。それならやむを得ません」
レムは、懐から魔杖を取り出した。魔杖を見慣れないシャルにとっては、レムの持っている杖がただの棒切れに見える。
「少々手荒な真似をさせていただきます。悪く思わないでくださいね、悪いのは穏便な交渉を拒んだ貴方なのですから」
「何が穏便な交渉だ、ふざけるな!!」
シャルは咄嗟に木刀を構えて、レムに向かって猛ダッシュした。
しかしレムとシャルには些か距離があったため、レムは魔杖で一瞬の内に透明な硬い防御壁を作り出した。
シャルは、それに気付かずに勢い欲防御壁に突っ込んでしまった。元々足の速いシャルがレムに襲い掛からんばかりの勢いで走ってきたので、その分反動のダメージも大きかった。
シャルは思わずその場にへたりこみ、呻いた。前歯が何本か欠けたような気がする。
「……ふう。あと一瞬遅かったら危なかったですね、予想外のスピードで……それにしても」
レムは、ひび割れた防御壁を見た。
「……ダイナマイトでもかすり傷一つ付かない防御壁にひびを入れるなんて」
レムは、少しだけ……少しだけ、身震いした。
レムにとって、シャルという人間は予想外な所が余りにも多かった。瞳術が効かない、大金に釣られない、防御壁を大破する。
だがしかし、そのシャルも、今のでほとんどノックアウトに違いない。どうせこの仕事を終えたらシャルと関わり合う事はなくなるのだ。もう二度とこちらから接触しなければいいだけの話。
そう思い、レムが油断しかけた瞬間だった。
たった今まで痛みで悶絶していた筈のシャルが、ムクリと立ち上がったのだ。
そして、ペタペタと見えない壁の存在を確認した。
しばらくの間そのようにしていて壁の存在を認知したシャルは、ボソリと呟いた。
「……こんなもの……」
呟きながら、シャルは肘を曲げ、グイと引いた。そしてぎょろりとレムを睨みつけた。
そんなシャルの形相を目にしたレムは、大きく目を見開いた。先程の余裕さは欠片も見えず、その表情はただ驚愕に包まれていた。
その驚愕は、突然溢れ出したシャルの殺気への恐怖心からもたらされたものではなかった。ただ、信じられないと、そればかりがレムの頭を過ぎった。
シャルの青かった目が、赤く染まりあがっていたからだ。
「こんなもの!!何枚だろうとぶっ壊してやる!!」
バリィィィンと、派手な音が響き渡った。シャルが、力いっぱい振り回した肘で防御壁を粉々にしたのだ。
再び起こった予想外の展開に、レムはまたしても驚きを隠せなかった。……ひびが入って少々壊れやすくなっていたとはいえ、あの防御壁を粉々にするとは。
真っ赤な目をしたシャルが、レムに向かって猛然と走ってくる。先程までとはまるきり違う、鋭い殺気だった。殺気で人を刺し殺せるとしたら、それこそレムを刺し殺せるくらいだ。
───これはちょっと、予想外にまずいですね。油断したら次の瞬間にはあの肘打ちで首の骨を折られそうだ
考えている暇などもはや無かった。レムは、魔術でシャルの足がちょうど足を着きそうな位置に太い木の根をはやした。
レムしか目に映っていなかったシャルは足元に突然生えた木の根に気付かず、木の根につまづいてまんまと転んだ。
シャルが倒れこんだその一瞬をレムは見逃さず、すかさず魔術で倒れ伏したシャルの周りに太い木の根を生やす。
ものすごい早さで生えてきた根は、シャルの首の周りと両手両足を地面にがっちりと固定した。
だが、もつのはどうせほんの数秒だろう。そう思っている間にもシャルは暴れるので、もう既に右腕を押さえていた根がぶちりとはち切れている。
その数秒の間に、レムはレオンを召喚し、レオンに跨る。レオンが背中に生えた翼で地面を離れようとした頃には、既にシャルを拘束する木の根は全て切れていた。
流石にいくらシャルが色々と予想外でおかしい少年であるとはいえ、空中の相手に攻撃するなんて真似はできない筈だ。レムはひとまず一息ついて、懐からあるものを取り出し、何かを確認するかのようにそれを見た。そして、再び眉を顰めた。
「降りて来いレムデス!!お前だけは許さねぇ!!ぶっ壊して海に放り込んでやる!!」
地上で、レムから見るとだいぶ小さくなったシャルが怒鳴る。
「今日の所はひとまず引き上げます。……大丈夫、もう仕事はほとんど達成したも同然ですから」
「おい!!逃げるのか!?」
「勘違いしないでくださいよ、諦めたわけではありませんから。また来ます」
「レムデス!!待ちやがれ!!」
「では、また縁があったら会いましょう」
そう言って、レムはレオンに乗ってどこかに姿を消した。
シャルはギリリと歯軋りをした。空を飛んでいる相手に対しては何もできない自分が歯痒かったのだ。
だがしかし、シャルが怒った原因となったレムがいなくなった事で幾分か冷静になったシャルは、セリに駆け寄った。
「……セリ……俺がもっとしっかりしていてばこんな事には……」
シャルは、セリを抱えて村へと走り出した。
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