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 「もうここまででいいよ」


 そう言ったのは己。


 「・・・・わかった」


 そう答えたのは彼。


 彼がなんて思ったか分かる沈黙で、その時、思わず苦笑をこぼした。


 それに、彼はいつもの無愛想をほんの少しだけ、くずした。






  別れを切り出したのは自分。
  好きになったのも自分。
  愛を返してくれただろう彼。
  信じきれなくなった、私。
  耐えきれなくなった、自分。



始まりも、終わりも、全ては自分だった。






 「麻衣」


 車の中での会話を思い出して笑った私に、ナルは咎めるように名前を呼んだ。


 「・・・うん。じゃあ、ね」


 駅の近くに止めた車から少し離れたところ。少しの道のりを2人で歩いた。


 もうこれで最後。


 少しなのにとても長く感じたのは私の心が彼と離れたくないと言っているかのようで、どこか滑稽だった。


 終電の電車が行ってしまってもう誰もいない駅。


 家まで送ると言ってくれた彼の言葉に否と返して、駅まで送ってもらった。


 どうやって帰るつもりだ、と暗に尋ねてくる彼の瞳をわざと知らないふりをして、最後の別れを切り出すために向かい合った。




 ただ、傍にいるだけで、笑い合えた。幸せだった。そんな日がいつまでも続いていくと信じていた。無知なあの頃の自分が憎いと思った。




 「ねぇ、ナル」


 いつものように家に帰っても書斎にこもるナル。私は当然のようにナルの家に寄って、紅茶をいれた。


 「私は、さ」


 本を読んでいるナルはちらりとも見ず、返事を返さなかった。けれどこれもいつものこと。私はそのまま話を続けた。


 「幸せ、だよ。ナルがいて、ぼーさんがいて、リンさんがいて、綾子がいて、真砂子がいて、ジョンがいて、安原さんがいて、・・・皆がいる」


 自然と笑みがこぼれた。


 「変わらないものなんてないって分かっているけど、いつまでも続いていけばいいな、こんな日常が」


 大学へ行って、相変わらずSPRでバイトして、たまに皆が来て、皆で調査に行って。


 「ナルと恋人らしくデートなんてしたことないけど、私は別にこのままでいいなぁ、なんて、さ」


 今日、昼間、SPRに顔を出した綾子とぼーさん。彼等にナルとデートはするのかと聞かれ、そういえば一度もしていないことにその時気づいた。


 だけど大学を終えれば職場に上司としている彼。仕事が終われば恋人として一緒に過ごす彼。別にデートなんてしなくても良いと思った。


 これ以上の幸せは、なんだか怖かった。


 「そうか。・・・」


 彼のページをめくる指が話始めてから一度も動いていないことに気づいた。思わず笑みがこぼれた。


 「うん、大好きだよ」


 お気に入りのクッションを抱えて彼の足元に座り込んだ。


 「あなたの傍にいるだけで、いいんだ」


 あなたを嫌いになるくらいなら、・・・・。



― ― ― ― ― ―



 じっと彼の黒曜石のような瞳を見つめる。


 吸い込まれそうなその瞳に、ダメだと思いその視線を遮るようにして瞳を閉じて、別れの言葉を言うために口を開いた。


 「・・・!っ、」


 唇に柔らかい感触。彼の低い体温がじんわりと広がる。


 「・・・ふっ」


 啄むような軽いキス。けれど、決意した私には痛かった。奥底に封じた思いが溢れてきそうで、怖かった。


 抱きしめてほしい。


 あなたのその腕で、1秒でも長く、あなたを感じていたい。


 そして、離さないで。




もう喧嘩することも、


  ――、「なんで、あんたはそうなのよっ」


     本に没頭して食事を忘れた時、


     「確かに論文も大事だけど私にはナルの体の方が大事なんだよ?」


     大事な論文を仕上げるために1日、2日、ほっとけば食事も、寝ることもしない彼。


     「麻衣には関係ないだろ」


     じゃあ、私はあんたにとってなんなのよっ


     なんて思ったりもした。結局、聞くことはしなかったけど。


     (こわかったから、彼の答えが)




もうやきもちを焼く事も、


  ――、「Hello、Oliver」


     金髪で、綺麗な女の人。


     「オリヴァー様の婚約者でございますわ」


     ナルのパトロンの娘で、婚約者。


     「ナルは私のものよ」


     調査先での依頼者の娘でナルを気に入った子。


     彼に惚れる人はそれはもう沢山で。体や力や能力やらで、彼の興味を引こうとしていた。


     (言えなかった。彼の彼女だと。だって私は彼に見合うものなんて何一つなかったから)




もう、顔を見ることさえできなくなる。 


  ――、「ナル、私達別れよう」


     電気のついていない部屋。
    (だって私が消したから。)


     町のネオンと、満月の光だけが部屋を照らす。


     「・・・・・」


     書類を見ていた彼は静かに顔を上げた。


     「私、疲れちゃった。ナルに付き合ってらんない」


     彼には私なんて必要ないのではないか。


     私のやっていることは彼にとってお節介でしかなく、リンさんという人がいて、ただ、彼のテリトリーを荒らしているだけなのかもしれない。


     一度、信じられなくなると、何もかも信じられなくなった。


     彼が確かに愛してくれていたことも、信用してくれていたことも、私には虚夢でしかなかった。


     「・・・・わかった」


     何にも感情が読めない黒曜石の瞳が瞬いた。


     「SPR、やめるから」




――――ーー‐‐……‥‥・・・




 不思議だね。


 なんで人はすぐ、守れない約束をするのだろう。

 私には、もう嫌というほど分かっていたはずなのに。



 約束なんて、必ずしも守られることなどないということに。



 「ナル、私達っていつまで続くと思う?」


 調査の帰り、1日では渋谷に帰れず途中、ホテルに寄った。ナルは一人部屋で、彼一人しかいなかった。


 調査の内容に、ふと思った疑問を彼に投げ掛けてみた。


 「・・・・知らない」


 彼には好きな人がいて、彼女にも好きな人がいた。けれどそれは、それぞれ別な人で、同じ家に暮らしていたのにそれぞれ違う人を思って生活していた彼ら。


 そんな人間関係の中で行われた調査に、どこか疑心暗鬼になっていたかもしれない。


 「うーん。そこはさぁ、もうちょっと・・・」


 その続きを言っても相手はナルだ。言っても無駄だと悟り、とたん口は重くなった。


 「じゃあ、永遠に続く、でいいか?」


 真っ直ぐに見つめられた黒曜石の瞳はどこか闇深く、挑戦的だった。


 お前は僕をずっと愛していられるか?


 なら彼は私を永遠に愛してくれるのだろうか。


 彼にそう問いかければ、彼はなんと答えるのだろうか。


 笑うだろうか、そんな確証もないこと分かるはずもない、とでも言うだろうか。


 「僕は少なくとも今、麻衣を愛しているし、これからも愛してゆく」


 私が疑心暗鬼になっていたかを知っていたかのように、心を読んだかのような彼の言葉に、ふと涙がこぼれ落ちそうになった。


 「ナ、ル。・・・・、私も、」


 かすれた声にどこか恥ずかしくなった。


 「私も、ナルのこと、愛してるよ。永遠にナルだけを愛していたいな、」


 ぐいと引かれた腕。


 すっぽりと彼に包まれた体。


 「ナ、ル?」


 珍しく彼に抱き込まれた。


 「なら僕も、永遠に麻衣だけを愛していたい」


 彼も少し情緒不安定になっていたのだろうか。


 彼がこうも素直に感情を出すことが滅多にないことで少し戸惑う。


 けれど、私の首筋に顔を埋めるように額をのせる彼がどこか小さな子供のように感じられてそっと頭を撫でた。


 「一生、ナルの傍で生きていたい」


 「あぁ、一生、傍にいろ」



 言葉でお互いを繋ぎ止めたように錯覚してしまった。


 人の心を繋ぎ止めるものなど、どこにもないと、知っていたのに。




――――ーー‐‐……‥‥・・・




 「・・・、っナル」


 離された唇がやけに淋しかった。


 「・・・麻衣、お前は本当にそれで、・・・・いや、なんでもない」


 その言葉が何を言いたかったのか痛いほどよく分かる。


 その意味が優しすぎて心が痛いよ、ナル。


 あなたが、なんで私が別れを切り出したのか分かっていることを知っていて、私はあなたが何を思っているか分かってしまう。



――、二人はあまりにも近すぎて、お互いのことをわかりすぎてしまった。――



 痛いくらい抱き締めてくれた貴方。


 私も貴方を抱き締めたい。


 あの時のように、黒い、闇のような貴方の髪を撫でたい。




もう、横で笑うことも、


  ――、「ナール、食事いこっ。
      ベジタリアンなお店見つけたんだよ」


     その能力ゆえにお肉も、魚も食べない貴方。


     一緒に食事したくて、調べて自分で作ったり、お店を探したり。


     「いい」


     「じゃあ、リンさんと行っちゃおうかな」


     ふざけて言えば、


     「・・・、わかった、用意してこい」


     仕方なさげといった感じで本を閉じる貴方。


     愛おしくて、笑みがこぼれた。



もう、横で眠ることも、


  ――、「なる〜、今日はもう寝ようよ」


     12時過ぎた深夜、いつまでも本を読んでいる貴方に声をかけた。


     「1人で寝ればいいだろう」


     こちらを見向きもしない。


     「うー。1人で寝たくないんだってば」


     今日はなぜか淋しい。1人で寝たくない気分。


     「一緒に寝ようよ?」


     そっと彼の服の裾をつまめば、溜め息をつかれた。


     「仕方ない」


     頷いた彼に、嬉しくて抱きついた。




もう、名前を呼ぶことさえも、出来なくなる


 「ナル」



 約束のものほど不確かなものはなく、
    心をつなぎ止めるものは、約束じゃない



約束なんて、・・・・その時の、自分への気休めに過ぎないのかもしれない。




 「抱きしめて、」


 最後のお願いだから。


 そう口にすれば彼は痛いほど抱きしめてくれた。


 貴方の腕の中で、あと一秒でも長く貴方を感じていたい。


 もう喧嘩することも、
やきもち焼くことも、
顔を見ることも。

 貴方の横で笑うことも、
眠ることも、
名前を呼ぶことも。


出来ないの。


もう、貴方に会いたくなっても、息ができなくなっても、

貴方を呼ばないよ。


ナルに、オリヴァーに、
  頼らないと決めたから。




 「・・・・」


離された身体。二人の間にむわっとした夏の風が流れた。


 「それじゃ、さようなら」


 またねは使わない。もう二度と会うことはないだろうから。


 コツン。


 ミュールが音を鳴らす。


 一歩、後ろに下がって、名残惜しげに貴方を見て、背を向けた。


 向かう先は、駅に待たせておいたタクシー。


 振り返りはしない。


 だって、私の心はまだこんなにも彼を愛しいと叫んでいるから。



END


執筆日 09/09/10
更新日 09/11/15







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