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風花と残月
玲瓏たる日々
「……早いな。もう終わったのか」

 一通りの荷物をまとめ終え、ソファの上でくつろいでいた俺にゼロがそう声をかける。
 俺は結局、この家から出て、一人で暮らすことを選んだ。もう部屋も契約してしまっていたし、ゼロに頼るだけの自分でいるのも嫌だった。そして何よりもこのまま共依存に陥るのが恐ろしかった。深すぎる共依存の結末を、俺は洋介との生活でよく知っていたから。
 ゼロは当初かなり渋っていたが、俺の気持ちが変わらないことを悟ると、「合鍵は作れよ」と遠まわしな承諾をしてくれた。

「大体終り。もともと荷物も少なかったから」

 あの日から今日までの時間は慌しく、しかし穏やかに流れた。それまでと変わらず俺はバイトに行って、前と同じ用に二人で食事をするようになって、同じベッドに潜るように戻って、なんら変わりのない日常だ。すぐ目前に迫った引越しも、忘れてしまいそうなほどに。
 もともと俺はモノに対する執着があまりない。これといって趣味もないし、この家にあった俺のものなんて着替えと、ちょっとした暇つぶしに使う本くらいだ。引越しのための荷物なんて、あっという間にまとめ終わってしまった。服を置かせてもらっていたタンスは一段だけ空になって、それでああ、俺はもうここを出て行くんだと実感した。
 少しだけ、寂しいと思う。いつでも声をかけられる距離にいたのが、明日からは変わってしまうのだ。

 目を閉じてそんなことを考えていたら、不意にすぐ傍でゼロの笑い声が聞こえる。反射的に開いた目の、すぐ前にゼロの顔があって、予想外の距離に驚いてしまう。
 そのままぐっと近づいてきたと思うと、唇に柔らかいものが触れた。目を閉じる間もなく離れていって、微笑んだゼロが俺の頭を撫で回した。

 ――あの日から、キスをするようになった。俺とゼロの間にはお互いだけがわかる「そういう空気」が流れる瞬間ができて、俺の知らない人が、ゼロの腕の中で眠っていることもなくなった。
 思いを伝え合っただけで、明確な言葉にしたわけではないけれど、俺とゼロは恋人という関係になったのだと思う。
 ゼロは以前より少しだけ優しい声で俺を呼ぶようになったし、スキンシップも増えたような気がする。相変わらず夢にうなされることはあるようだったけど、冷えたその手は、俺に触れるようになった。お前に触ると安心する、と素直に言ったゼロは、子供のような顔で笑った。
 俺も、ゼロを呼ぶ時は以前より少しだけ穏やかな気持ちになった。一方的に手に入れていた安心を、俺もゼロにあげることができるのだと、そう実感することが増えて、 以前とあまり変わらない日々なのだけど、甘い、と感じるような、そんな雰囲気が常に流れていた。


「……あんた、キス好きだね」
「お前限定でな」
「恥ずかしい、つーの……」

 よくもまあ、照れもせずにそんなセリフを言えたものだと思うと同時に、言われる対象が自分だということに気付いて、頬が熱くなるのを感じた。
 居た堪れなくて視線をそらしてしまった俺を、ゼロの腕が包んで、クツクツと笑う声が聞こえた。こういう風に触れられることには慣れていないけど、嫌いなわけではない。ゼロもそれを知っていて笑うのだろう。柔らかな温もりと、それに付随する安心感。長く忘れてしまっていた、くすぐったいようなその感覚は、だけど確かに「幸福」だと感じる。

 あの日、この人の隣で引け目を感じる事無く笑える自分でいたい、と強く思った。未だに過去の記憶は俺を苛むけれど、せめてその事実に怯えたくはない。
 この人は俺の怯えを目ざとく見つけては、自分の痛みや弱さを押し込めて、俺に触れるのを躊躇する。そうやって気を使わせて、保護されるだけの対象ではありたくない。
 ゼロが辛い時、その手を伸ばしてもらえる位置に居られるように。



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