風花と残月
3
信じられないものを見るように、ゼロの目が見開かれた。
「嘘、だ」
少しの間を置いて、呟くように言う。それからゆっくりと目を伏せ、俺の手を握るの指はそのままに言葉を続けた。
「決めた、んだろ」
「何が?」
「ここ。出てくって、」
俺の手を握る力が少しずつ強くなって、ゼロが言葉を詰まらせた。歯を食いしばる音が聞こえそうな程、ゼロの表情が険しくなる。
――ああ、そういう事か。
今までがそうだったのか、それとも本当に誰も近くに置いたことがないのかは分からないが、一度離れたらもう会う事がないのだと。この人はきっと本気でそう思っている。だから「出て行く」といった俺が気持ちを伝えても、それを信じることが出来ないのだ。
「俺は別にここが嫌になったから出てくわけじゃないよ。嫌になるわけがない。ただ、このままゼロに頼り続けて嫌われるのが――一人じゃなにも出来なくなるのが、怖かったんだ」
出てったって、いつでも会えるだろ。捲くし立てるように言葉を紡いで、最後にそう付け加える。言い切ったその瞬間、一気に溢れ出してきた感情に押されるように、握られたままだった手を解いて、少し驚いたような顔をしているゼロを再び抱きしめた。
可愛い、だなんて。俺より年上で、ずっと強いと思っていたこの人に対して、そんな事を思う日が来るなんて。出会った頃には想像もできなかった。
「今日はあんたの方がガキみたいだ」
普段俺の事を子供扱いしてるくせに、置いて行かれるのを不安がるなんてまるっきり子供じゃないか。そう思って笑いを噛み殺せば、うるせぇ、と拗ねた様な、それでもいつもよりはいくらか弱い声が聞こえる。
俺はこの人の事を何も知らない。どんな人から生まれて、何を思い、どうやって人生を歩んできたのか。きっと持ち得る情報はこの人が俺に対して持つそれよりもずっと少ないだろう。知らないままでも構わない。ゼロが俺に対して何も聞かないでいてくれたように、俺もゼロが話したいと思ってくれる日を待とう。
その日が来るまでは傍に置いてくれるのだろうと、確信めいたものがあった。
「――今更、冗談だったとか言うなよ」
そう言って俺を抱き返したゼロの手が、少しずつ温もりを取り戻していく。
いつも俺に安心をくれるこの手が、もう二度と冷えないでいいように。
「……言わないよ」
互いの心音が伝わる距離で交わす言葉は心地良く、窓の外の雪も、深くなっていく夜の闇も、いつの間にか恐ろしいとは感じなくなっていた。
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