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風花と残月
葛藤、矛盾と収束

 組み伏せた身体に口付けて痕を残し、肌の上の傷跡に噛み付いて新たに小さな傷をつける。噛み方が甘かったのか、血が滲むことさえしない浅い傷跡にもどかしさを覚えた。足りない。身体にも心にも、もっと深い傷を残さないと、こんな程度ではすぐに消えてしまう。こいつの痛みなんて今は関係ないと、さっき思ったばかりだ。

 瞬間、先程も感じた思考と行動が一致しない、酷く奇妙な感覚が蘇って視界が眩んだ。
 触れたいのに、身体が言うことを聞かない。理性なんてものはとっくに飛んでいて、破裂した感情と本能に突き動かされていたはずなのに、ただリョウの肌に口付けと甘噛みを繰り返すだけで、それ以上の行為に進むことが出来ない。その上、リョウに触れている部分から感覚が失われていく。

 また胸の奥が軋んだ。それを合図に、ドクドクと脈打つ心臓の音が大きくなる。相変わらず言うことを聞かない身体は呼吸さえも思い通りにさせてくれなくなってしまった。
 ――いや、生理現象としての呼吸は正常だった。規則正しく空気を吸い、吐き出している。確かに酸素を取りこんでいるのに、この息苦しさはどこからきているのだろう。もう、自分に何が起きているのかさえ理解できない。

「……ゼロ」

 突然、リョウの声が耳元で聞こえた。
 眩み続けて黒く染まっていた視界が明るさを取り戻す。いつの間にか俺は、シャツが肌蹴たリョウの胸の上に頭を預けて目を閉じていた。俺の意思とは関係なく、呼ばれた名前に反応するように目を開き、顔を上げる。涙の痕が残るリョウの顔を見て、また胸の奥が軋んだ。ギチギチと痛むそれに呼応するように息苦しさが増していく。

 ソファに縫いとめていたリョウの腕が、するり、と何の抵抗もなく俺の手から抜け出した。それから、ごく自然な動作で俺に向かってリョウの腕が伸ばされる。
 ――酷く緩慢に感じられるそれは、事故に遭った瞬間の、全てがスローモーションになる感覚とよく似ていた。

 リョウの指先が俺の前髪に触れる。そのまま、瞬き一つできずにいる俺を抱き込むように腕が回された。
 俺の世界から音が消える。先程まで煩いほどに聞こえていた虫の羽音のような耳鳴りも、心臓の音も。

「ゼロ、」

 痛いほどの静寂を裂いて、リョウの声が響く。再び呼ばれた名前は、与えられた温もりと共にじわりと脳を侵食して行く。
 は、と短く息を吐いた。先程までの息苦しさが、胸の痛みが、嘘のように楽になっていく。

「好きにしていいよ。それでアンタが楽になるなら」

 今にも途切れそうな、だけど聞き慣れた声が告げる。俺を抱き締める腕は、未だに僅かな震えを残していた。

 リョウの中から俺が消えてしまったとしても、俺はきっと忘れられない。笑った顔も、共に過ごした穏やかな時間も、この温もりも――焼きついてしまった愛しい、という感情も。自分の体に彫り続けた刺青と同じだ。痛みを伴う鮮やかなそれは、きっと一生消える事はない。醜い感情と共に何度も思い出してしまうだろう。それだけでいい。

 思うように動かなかったはずの身体も、今は自由を取り戻していた。こいつを傷付ける必要はないのだと、どうしてもっと早くに気付かなかったのだろうか。自分の意思で、リョウの身体を押し返そうと力を込めた。リョウの温もりが離れていく――はずだった。

「……もうちょっとだけ、こうさせて」

 素直に離れていくだろうという俺の予想を裏切って、先程よりも少しだけきつく抱きしめられた。

「……な、んで」

 口にした言葉は、情けなく途切れてしまった。
 状況が飲み込めない。目の前の身体は今も震え続けているのに、何故。

「アンタが、寂しそうだから」

 傍に居たい、と。怯えとは違う色の滲んだ声が耳元で囁く。途端に込み上げてきたもので息が詰まった。
 今リョウが告げたのは、ずっと胸の内側に開いた穴に巣食っていた感情の名前だ。本当はもうずっと前に気付いていたのに、知らないふりをし続けていた。認めてしまえばそれに飲み込まれてしまうのだと、癒してくれる人間なんてどこにも居ないのだと思っていたから。

 何も言わず、リョウの手が俺の髪を梳く。その瞬間に視界が歪んで、熱い雫が頬を伝った。泣いているのだと気付いて目頭を押さえても、次から次へと頬を伝い落ちて行く。

「リョウ、」

 言葉に出して、愛しい名前を呼んだ。何?と問い返すリョウの声は温かく、たったそれだけでどうしようも無くなってしまった。
 俺が忘れないからいい、なんて嘘だ。本当は随分と前から、孤独に怯えていた。

 バラバラになっていた思考と感情が少しずつ収束して、唇が言わないと決めていた筈の言葉を紡ぎだす。

「……好きだ」
 
 傍に居てくれ、と呟いて、目の前にある愛しい体を抱き返した。



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