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風花と残月
4.


 窓の外の景色にちらちらと白い物が混ざり始めた。痛み始めた頭を抱え、溜息を吐く。
 ――まただ。また今日も雪が降る。

 他人が聞いたら、そんなものはただの偶然だと笑うだろう。いつまでそんな記憶に縛られているのかと。だが、俺が雪を嫌うのには――他人の体温を求めるのにも――十分過ぎる理由だ。両親の葬式も、叔母に見捨てられた部屋の外でも、施設の門を閉めたあの日もそうだった。何かが離れていく日には、必ず雪が降っていたのだから。
 暗い記憶ばかりが蘇ってきて、気を紛らわすようにデスクの上に転がっていた煙草の箱に手を伸ばす。軽く上下に振っても音のしないそれに舌打ちをして、ぐしゃりと握り潰した。吸殻が山になった灰皿と、冷め切ったコーヒーに苛立ちが募る。

 先程から感じていた頭の痛みは焼け付くような激しいものへ変わった。腹の底で黒い感情が渦巻いているのが分かる。煙草の切れた今、それを紛らわす術すら失ってしまった。
 煙草を買うついでに外へ出て、少し頭を冷やした方が良い。今の状態でリョウと顔を合わせたら、取り返しのつかないことをしてしまいそうだ。

 上着を取ろうと腰を上げたその瞬間、裏口の戸が開く音が聞こえて、遅かった、と奥歯を噛み締めた。少しの間を置いて、遠慮がちに仕事場の扉がノックされる。ノブを回す音に、体が強張るのが分かった。

 同じ家で生活しているはずなのに、まともに顔をあわせるのは久しぶりだ。視線を伏せ、ただいま、と不安そうにリョウが告げる。おかえり、と返せば少しほっとしたような顔で息を吐いた。

「……とりあえず、座れよ」

 コーヒーメーカーのボタンを押しながら、渦巻く黒い感情を押さえ込んでそう告げる。俺の言葉を受けてソファへ腰を下ろしたリョウの顔には、警戒の色が浮かんでいた。
 あのさ、とリョウの口が躊躇いがちに言葉を紡ぎかけて、止まった。なんだよ、と言葉を促す事は簡単だ。だが、続く台詞を聞きたくないという気持ちがあるせいか、それを口に出すことができない。目の前では新しくコーヒーを入れたばかりのマグカップが二つ、湯気を立てている。

 重く、理由のない沈黙が部屋に落ちた。家の前を走る車の排気音も、室内にある機械の作動音すらもどこか遠くに聞こえる。カチカチと時を刻む秒針の音だけがやけにはっきりと響いて、それだけがかろうじで俺と現実を繋ぎとめる糸のように思えた。
 時間が止まってしまったような気さえするほどの長い沈黙を破って、再びあのさ、とリョウが声を発した。

「俺、来週出てくよ」

 告げられた言葉に、心臓が大きく脈打つのが分かった。
 そうか、とその台詞だけを絞りだし、軽く目を瞑って息を吐く。落ち着け、予想していた通りの展開だ、と自分に言い聞かせながら。

 マグカップから立ち上っていた湯気が消えかかっているのに気付いて、それを手に振り返った。
 硬い表情と俺を見ない目、膝の上できつく握り締められた手。それらは出会った頃のリョウを思い出させ、保護欲と同時に罪悪感を煽った。――こうなってしまったのは、ほぼ間違いなく俺との事が原因だろう。

「……部屋は、もう決まったのか」

 絞り出した言葉は、感情を抑えているせいか随分と無機質な音で響いた。リョウの肩がビクリと跳ねる。ああ、また怯えさせてしまったのだと気付いてもどうしようもない。リョウの目の下に薄い隈を見つけて、この数日間、どれだけの恐怖をこいつに与えていたのだろうかと悔やんでももう遅いのだ。うん、と応える声は硬く、俺がリョウの目の前に置いたマグカップに伸ばされた腕は僅かに震えていた。

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あきゅろす。
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