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風花と残月
2.


 テーブルに置いてあった紙を手に溜息を吐く。ろくに乾かしもしなかった髪の毛から、ポタリと水滴が落ちた。

 予想通り、あの翌日から俺とリョウの距離は広がっていった。
 基本的に俺は下の仕事場で寝起きをし、リョウはアラームだけをセットして、俺を起こさずにバイトへ向かう。相変わらず毎日俺の分の食事を作ってくれるが、目を合わせることもない。ろくろく会話をする事もないままに互いを避け続ける日々を送っていた。
 うっかり鉢合わせた時などはリョウが露骨に怯えるのがわかって、触れられないもどかしさを埋めるように毎晩誰かしらを呼び出しては飽きもせずに交わった。ただ、体でいくら欲を吐き出して他人の熱に触れても、相変わらず満たされることはなく、それが余計に俺の苛立ちを煽った。
 悪循環だ、と思いながらどうすることも出来ないまま、先日までの穏やかな時間が嘘のように家の中には常に重い空気が立ちこめる結果となってしまった。

 ……まあ、普通に考えればこうなるよな。
 そう心の中で呟いて、再び深い溜息を吐いた。

 先程から俺が手にしているのは、リョウが持ってきたのだろう、賃貸物件の情報が書かれた書類だ。赤い丸がつけてあるのは、狙っている物件だろうか。
 いつもならとっくにバイトが終わっているはずの時間だが、未だに帰ってくる気配がないところを見ると、下見か契約か――いずれにせよ、出て行くつもりだというのは明らかだった。

 それが普通の感覚だ。こんな空気の悪い家に居たいと思えるはずもないのだから。

 書類をテーブルの上に戻して部屋の出口へと向かう。
 湿った髪の毛をタオルで拭きながら、携帯を取り出してメールの確認をするも、呼び出した相手からの返信はなく。やり場のない苛立ちをぶつけるようにして、少し乱暴に扉を開けた。
 それを閉める際に覗いた室内は暗く冷え切っていて、数ヶ月前まではこの家に俺以外の人間の気配などなくて当然だったのだという事を思い出す。明るく温かい部屋も俺の帰りを迎える声も、リョウがここに来てからのもので、最初は違和感を感じていたはずなのに。
 いつの間にかそれに慣れ、違和感どころか求め始めている自分に気付いて、苦い笑いが零れた。
 離れていくことなんて最初から決まりきっていたのに、今更惜しいと思うなんてどうかしている。

 一階へ続く階段を降り始めた。踏みしめるたびにギシ、と軋んだ音を立てるのが耳障りで、一人きりの家はこんなにも広いものだったのだと今更のように実感する。
 少しだけ早足で下って溜息を吐くと、思いのほかそれは虚しく響いた。

 手放すのが惜しいと思っても、今まで他人を必要以上に近寄らせたことなどなかったのだから、引き止める術も知らない。たとえ知っていたところで俺に引き止める資格などないことくらいは自覚している。
 ――遅かれ早かれこうなるのは目に見えていた。もともと、いつかは出て行く予定だったのだから、それが少し早まっただけの事だ。と、そう思うようにしても、感情が追いつかない。

 怯えられたまま離れて、やがてリョウの頭の中から俺の存在が消えていくのだろう。そう思うと、どうしようもなく心が乾いていくような気がした。


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あきゅろす。
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