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風花と残月
4.

 それから、足音を殺して二階に上がって。結局眠れずに迎えた朝は、嫌味なくらいに晴れ渡っていた。カーテンを開けて、いつも通り二人分の朝食を作って、ゼロを起こしに行かなきゃいけないのか、と思うと気が重い。
 だけど昨日帰ってきたのは随分遅い時間だったし、酒も入っていた。せめてアラームだけでもセットしてやらないとあの人は起きられないだろうと考えたら放っておくわけにも行かなくて。浮かない気分のままで階段を下った。

 ゼロが嫌いになったわけでも何でも無いが、流石に気まずいどころの騒ぎじゃない。どんな顔で、どんな声でゼロに接すればいいのかも分からないのだ。きっと妙な沈黙が生まれてしまうだろうし、俺はその空気に耐えられそうにない。

 そっと仕事場の扉を開けると、時計の秒針と機械の作動音だけが室内に響いていてまだゼロが寝ていたことにほっと安堵の息を吐いた。ソファの方を覗き見るとゼロがこちらに背を向けて眠っていて、ゆっくりと上下するその体が妙に遠く感じる。
 自分の行動一つでこんなにも距離が遠くなるのだと、今更気付いたところで最早どうしようもないのだ。これ以上余計な事を考えてしまう前にバイトに向かおうと、なるべく物音を立てないように動いて、カウンターの上にアラームをセットする。
 ゼロの体から目を逸らしたその瞬間。裏口の扉が開く音がして、思わずびくりと肩を震わせた。直後にいつも俺が二階から出入りする時に使っている扉を開けて入ってきたのは、見覚えのある顔で。そういえば昨日、この人もソファで死んだように寝てたなと思い出した。

「おはようございます、レンさん」
「お?おはよー。これからバイト?」
「はい」

 昨夜酔っ払って潰れていたとは思えないほど爽やかな笑顔と、いつも通りの軽い口調。窓から差し込む朝日に照らされてキラキラ光る、トレードマークの銀髪。右手にぶら下がったコンビニのビニール袋から察するに、どうやら朝食を買いに出ていたみたいだ。
 俺の前にあるカウンターの上にコンビニの袋を置いたレンさんに、アラームがなったらゼロを起こして欲しいと伝えると、「りょーかい」と苦笑しながら承諾してくれた。

「じゃあ俺、もう出るんで。よろしくお願いします」

 そう言葉を残して、足早に玄関へと向かった。長く話せば昨日の出来事を悟られてしまうかもしれない。あれは俺とゼロとの問題で、そこにレンさんを巻き込んではいけない。そう思いながらそそくさと靴を履き、ドアノブに手を伸ばしたその瞬間、リョウ君、と呼び止められた。振り返ると、いつも通り綺麗な顔のレンさんが思ったよりも近くに居て。

「もしかして、ゼロと喧嘩でもした?……なんか様子がおかしいからさ」

 鋭い言葉にぎくりとする。どこで気付かれたんだろう。特におかしな行動を取ったつもりはなかったのだが。

「……喧嘩ってわけじゃないんですけど、ちょっと色々あって」
「そっか……まぁ、深くは聞かないよ」

 聞かれたくなさそうだしね、と続け、目を伏せて笑った。
 前々から思っていた事だが、レンさんのこういうところはすごくゼロに似ている。聞かれたくないと思う所には絶対に踏み込まない。それでいて、いつも一定のポジションからこちらの言葉を待っていてくれる。踏み込んではいけないと分かりながらも、ゼロの内側に踏み込んでしまう俺とは正反対だ。

 レンさんは、そんな事を思っている俺を気に構わず、でもね、と少しだけ間を置いてから言葉を続けた。

「こいつの事、見捨てないでやってくれないかな」
「……え?」

 思わず間抜けな声が出てしまった。俺がゼロを見捨てるもなにもないだろう。その逆ならありえるかもしれないが。
 レンさんの言葉の意味がわからなくて、何も言葉を返せずにいると、意思の強そうな……だけど温かいレンさんの目が真っ直ぐに俺を見つめて。すぐに少しだけ視線がずらされて、形のいい唇が再び言葉を紡ぎだす。

「こいつは誰かを傍に置いたことが無いんだ。恋人も、家族も。こんなに長くこいつの傍に居るのは君が始めてなんじゃないかな」

 寂しい奴だよねぇ、と続けて苦笑する。
 そういえば、ゼロの口から家族の話を聞いたことがないし、毎晩違う相手と寝ているのは知っているけど、特定の恋人というのも見たことがない。それはゼロがもういい年の大人で、ゼロの性格的に一人身の方が気楽だからだろうと勝手に思っていたのだけど……レンさんの口調から察するに、理由はそれだけじゃないような気がした。
 でも、それならどうしてゼロは俺がこの家に居る事を許してくれるのだろう。家族と離れて、恋人も傍に寄せないような人が、ただ気まぐれに拾っただけのガキをいつまでもここに居させる理由が分からない。

「きっと、君がゼロに似てるからだと思うよ」

 俺の心の内を読み取ったかのように、穏やかな声でレンさんが呟く。
 その言葉に、ああ、だからこの人はゼロと仲が良いんだ、と思った。こちらが声に出すまでもなく気持ちを読み取って、いつも的確な言葉を口にする。軽そうに見えて聡い。なんだかんだと軽口を叩き合いながらも、ゼロがレンさんに気を許している理由はきっと、この人のこういうところにあるのだろう。

 改めてそう認識して勝手に関心している俺に、レンさんは、だからこいつの事見捨てないでやってね、と同じ台詞を繰り返した。

「多分、そのうち俺の言葉の意味もわかるよ。出掛けに引き止めちゃってごめんね」

 いってらっしゃい、と何事もなかったかのようにレンさんが笑う。行ってきます、とよくわからないまま言葉を返して、ドアノブを回した。
 太陽は出ているものの、道路には雪が積もっていて、歩くたびにサクサクと音を立てる。気温で溶けた雪に足を滑らせないように歩きながら、先程の言葉の意味を考えた。
 俺とゼロのどこが似ているのだろう。ゼロも昔の自分と俺が似ているとは言っていたけれど、今のゼロと俺が似ているとは思えない。俺にはゼロみたいな余裕はないし、外見だって全く違う。唯一似ているのは、俺もゼロも悪い夢に魘されることがあるってところだけだ。でも、そんな事はレンさんが知っているはずもない。

 一体彼は何を持って俺とゼロが似ていると言ったのだろう。
 いくら考えてもわからなくて、バイト先につく頃には考えることすら諦めていた。


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あきゅろす。
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