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風花と残月
2.

 どれくらいそうして居ただろう。リョウ、とゼロに名前を呼ばれて、抱きついたままだった自分の体勢を思い出した。はっとして顔を上げると、ほぼ同時にきつく抱きしめられて、ゼロの顔が見えなくなる。

「……なんかあったなら言えよ。聞いてやるから」

 聞えてきた声は先程までの穏やかなそれとは全く別のもので。俺を気遣う台詞とは裏腹に、何かに縋るような口調だった。
 ゼロのこの声には、聞き覚えがある。同じだ。ガチガチに冷えた手で、ゼロが俺に触れたあの夜と全く同じ声をしている。、

 きっと、酒のせいもあるんだろう。あの夜と同じようにすぐ傍にあった頭を撫でると、俺を抱きしめる腕の力がすっと弱くなって、ゆっくりと体が離れていく。再び顔が見えるようになった時、ゼロは今まで見たことがないくらい、空っぽな笑顔を作った。

 その瞬間、気付いてしまった。
 何が決定的なスイッチになったのかは分からない。
 掌と背筋を冷たい汗が伝った。自分が異常に緊張しているのがわかる。口の中が乾いて、ゼロ、と名前を呼ぶ声ですら上手く絞り出せない。
 
 心臓がとてつもない速さで脈打って、そのドクドクという音が耳の内側でやけに大きく響いた。聞かないほうがいいのかもしれないという思いが頭を過ぎる。
 それでも唾を飲み込んで、カラカラに乾いた喉を潤して。真正面から狼みたいな瞳を見据えた。
 聞くなら今しかないと思ったのだ。

「……ゼロは、何が怖いの」

 やっとの思いで絞り出したその言葉も震えてしまった。ゼロの瞳が一瞬だけ見開かれて、やっぱり聞かなければ良かったと後悔するが、もう遅い。
 俺はゼロを蝕んでいた何かに感付いていたし、先程の表情を見た瞬間、今まさにこの人が怯えていることにも気付いてしまったのだ。

「俺に触ると落ち着くって、何かが怖いって事だろ。この間も今も、あんたは何に怯えてんの?」

 ゼロの表情が険しくなっていくのに気付いても、疑問をぶつけ始めたら止まらなくなってしまった。空っぽな表情と冷えた手の理由が知りたくて、頭で考えるよりも先に、次々と言葉が飛び出していく。

「時々、助けを求めるみたいに俺に触れるのは――」

 どうして、と言い終えるよりも前に、視線が変わった。天井が見えるのと同時に、背中に僅かな衝撃を感じて声が詰まる。
 ゼロが覆いかぶさってきて、もともと薄暗かった視界が更に暗くなる。

「うるせぇ」

 獣の唸り声にも似た低い声が、すぐそばで響いた。やばい、と本能的に感じ取る。
 一瞬でソファの上に組み敷かれてしまった。ギリギリと締めつけられる腕が痛い。俺を押さえつけるゼロは何も読み取れない表情をしている。

「ご、め……」

 反射的に言おうとした言葉が途切れて、変わりに恐怖が込み上げてきた。
 怖い。今のゼロは洋輔や親父と同じ声で、同じ表情をしている。そうさせたのは俺だ。踏み込んではいけないところに踏み込んで、ゼロを怒らせてしまった。どうしたらいいのかわからない。このまままた、今までと同じ結果にたどり着くしかないのだろうか。
 最初は僅かだった恐怖やがて全身に伝わって、体が震え始めるのを止めることが出来ない。

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