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風花と残月
2.

「長時間彫らせちゃってごめんね」

 目の前の男が申し訳なさそうに言う。今日朝一からの客、年齢は四十代前半。三ヶ月に渡って通ってもらい、コツコツ彫り続けた右腕が今日完成した。

「いえ、それよりもケアだけ気を付けて下さいね。肘にかかってるから色抜けしやすいんで」

 コーヒーを差し出して告げる俺に、男は了解、という言葉と共に誇らしげな笑みを浮かべた。
 彫りあがったのは竹林を抜ける虎。打ち合わせに打ち合わせを重ね、時間をかけて彫った作品なだけに、完成した達成感は俺も大きい。

「もし色が抜けたら、いつでも気軽に連絡して下さい」

 基本的に、自分で手がけた仕事のアフターケアは無料で行っているのだ。ぶつけてしまったり、引っかいてしまったり…様々な原因で色が抜けることはままある。今回のように肘等の関節ににかかるようなデザインだと、特にそういったトラブルが起こりやすい。

「ありがとう。それにしても相変わらずいい仕事するね」

 彫りあがったばかりの虎を見ながら、嬉しそうな顔でそう言われる。
 少し照れるが、褒められて悪い気はしないし、我ながらいい出来だとも思う。躍動感のある虎の体も、勇猛なその表情も、胸を張って俺が書いたと言える程の仕上がりだ。
 朝早くに起きるのは苦手だが、こうして嬉しそうな客の表情と、仕上がりを見る瞬間が一番やりがいを感じる。

 それから少しだけ雑談をして、支払いを済ませた男を見送って外に出た。 
 太陽は西側に傾いて、あたりの景色は茜色に染まっている。悪くないな、と思いながら室内に戻り、壁にかけた時計を見れば時刻は十六時。先ほどまで使っていたマシンの洗浄を済ませ、ゲスト用のソファに腰掛けると、どっと疲れが沸いてくる。

 今日の仕事は、結構な長丁場だった。施術の間に何度か休憩を挟んだとはいえ、八時間もマシンを握り続けた手が重い。この後はデザインの打ち合わせもないし、かなり集中力も落ちてきてる。今日は少し早めの店じまいになりそうだ。

 疲労感から、そのままソファの上でダラダラと煙草をふかしていると、何の前触れもなく入り口の扉が開いた。


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あきゅろす。
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