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風花と残月
2.

主の居ない室内はあまりにも殺風景で、俺がこの場所に居ること自体が間違っているような錯覚を覚える。

「ゼロ」

 もう一度、今度は少し大きめの声で名前を呼んでその姿を探すが、どこにも見当たらない。
 見慣れたパーカーがソファの上に脱ぎ捨てられていたが、どうやらゼロはどこかに出かけているらしい。いつもなら山積みの灰皿には吸殻がなく、デスクの上も綺麗に片付けられていた。
 看板が室内に残されて居るのに気付いて外に出ると、扉の正面には「定休」の看板がかけられている。雪の上に足跡が残っていないあたり、おそらく早い時間から出かけているのだろう。

 部屋の中に戻り、携帯を取り出してゼロの番号にかけると、少しの間を置いてから室内に着信音が鳴り響いた。
 一瞬何事かと思ったが、音の発信源がデスクに置き去りにされたゼロの携帯だと理解して、耳に当てた携帯の通話終了ボタンを押した。

「携帯くらい持ってけよ……」

 そう呟くと、しんとした部屋の中でその声が妙にはっきりと響き渡って、壁や床に吸い込まれていく。それに微妙な虚しさを覚えて、上の部屋より少しだけ座り心地の良いソファに腰を下ろした。

 ゼロがこうやってフラッと居なくなるのは別に珍しいことでも何でもない。ただ、ここのところずっと会話もしてないし、突然居なくなられると少し不安だ。本音を言えば探しに行きたい気持ちもあるが、そんな歳でもないし外だってまだ明るい。なによりゼロの行きそうな場所に心当たりもないというのが一番大きい。
 これだけ長く同じ家で生活をしているのに、俺はゼロの本名すら知らないのだ。あまりにも近くにいたせいでそんなことも忘れていた。

 今更だなぁ……と溜息を吐いてからソファの上で横になる。上の部屋にあるものより少しだけ寝心地の良いそこでウトウトとまどろみながら、すぐ傍に脱ぎ捨ててあったパーカーを抱きしめて窓の外に目をやった。

 相変わらずちらちらと雪が降り続けている。音も無く枝や塀の上に積もって辺りを白く塗り替えて行く様を見て、公園でゼロに拾われた日を思い出した。
 苦手な雪の日にわざわざ出かけて、どこで何をしているんだか知らないけど、あの時は温かかった手も今は少し冷たくなっているのだろう。
 抱きしめたパーカーに顔を埋める。いつもの香水と煙草の匂いが鼻先に香って、少しだけ不安が和らいだような気がした。

 あと何時間かすればゼロが帰ってくるだろう。
 俺はいつものようにお帰り、と告げればいい。そうしたらいつも通りの少しほっとしたようなゼロの顔が見れるはずだ。

 誰かの帰りが待ち遠しいなんて、もしかしたら初めての経験かもしれない。
 早く帰ってこい、と口に出して呟き、ゆっくりと目を閉じた。


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