風花と残月
寂寞
◇
来客がある、と言ってリョウを二階に上がらせて、仕事場の扉を開けた。暗い室内は冷え切っていて、減菌機の作動音だけが静かに響く。
後ろ手に扉を閉め、そこに背を預けるようにしててズルズルと座り込んだ。
ありえない。先程からその言葉ばかりが頭を支配していた。思考を切り替えるため、煙草の箱から中身を一本だけ取り出して口に咥える。
ライターの火を近づけ、先端がじりじりと赤く燃えて行くのを見定めながら深く吸い、吐き出した白い煙が室内に漂うのをじっと眺めた。
ありえないとは思いつつも、感情を自覚してしまった体は酷く正直で、抱きしめた体の感触を思い出しただけでも熱を持ち始めている。こんな状態のまま上の部屋で二人になっていたら、確実に手を出していただろう。
思春期のガキか、と自分に呆れつつ、ポケットから携帯を取り出し、いつものようにアドレスを探り、カチカチとボタンを操作して、目的の人物にメールを送る。
やや落ち着いてきた体を引き摺ってソファまで移動し、背凭れを倒してそこにごろりと寝転がった。
すぐに帰ってきたメールに目を通し、返信を打ちながら、記憶の隅に追いやっていた18歳の誕生日を思い出す。俺が他人と自分に明確な線を引いた日だ。
思えば、あの日も雪が降っていた。雪の降る日にはろくなことがない。
あの日、施設の門を閉めた時、近しい存在が離れていく瞬間が最も孤独なのだと思い知らされた。施設の職員も、友人も、自分がそこから出てしまえば、その瞬間から全く係わりが無くなるのだと気付いたのだ。
その足で両親の墓に向かい、もう二度と行かないと決めた。最後には一人になるのなら「特別な誰か」なんていう存在は一生作らない方がいい。これ以上何かを失うのはごめんだと。
リョウに触れてはいけない、と頭の中で警鐘が鳴り響く。よりにもよって、離れていくことが決まっているガキに惚れるなんてどうかしている。
あいつもいずれ、ここを出て行くだろう。これ以上近くに寄れば、その瞬間の喪失感に耐えられなくなってしまう。
分かっていながら、自制しきる自信がない。先程だって、触れたいと思った次の瞬間には抱きしめていた。
こんな思いを抱きながら、同じ家で生活をしないといけないなんて、まるで拷問だ。
気付いてしまった感情と自らを戒める言葉に、頭の処理が追いつかず、自虐に満ちた笑いを浮かべる。
ふと右手に持った煙草を見れば、灰が長く伸びていて、あまりにも脆いそれに自らの理性を重ねた。僅かな震えで折れ床に落ち、バラバラになって崩れ去る。
その光景に、やりきれない気持ちと共に深く息を吐けば、胸の奥に穿たれた穴がその面積を広げた。
体とは裏腹に冷えていく指先で自分の肩を抱きながら、呼び出した人物が扉を開けるのを待つ。
こうやって適当な相手を呼んで、怠惰な快楽で感情を誤魔化す行為にも、いつの間にか慣れてしまった。今までと唯一違うのは、思う相手ができたことくらいで、結局俺はどこまでいっても同じ事の繰り返しだ。
ぎちぎちと、感情の軋む音が聞こえる。
その音の中で、弱い本能はリョウの名前を呼び続けていた。
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