風花と残月
3.
最後にこの場所に来たのは、自分の18歳の誕生日だ。かれこれ、7年間も墓を放置していたことになる。
ふと空を見上げれば、灰色の分厚い雲の間から雪が舞い始めて、それが冷たい墓石の上にふわりと落ちる。
俺が良く見るあの夢は、両親の火葬の記憶だ。
唯一俺の記憶に残る両親の姿は骨で、声もなく、温もりもなく、ただかつて人だったものとして収骨台の中に横たわっていた。
雪の日に気分が悪くなるのは、あの日にも雪が降っていて、それが強く焼きついているからだと、今更ながらに自覚する。感情は過去に取り残されたまま、空虚な本性に蓋をして。他人の目にはさぞや滑稽に映ることだろう。
長く息を吐いて、墓を掃除することも、線香を上げることもしないままに踵を返す。本当は、二度とここに来る予定なんてなかったのだ。
夢のせいで感傷的になっていた自分に気付いて、乾いた笑いが誰もいない墓地にひっそりと響いた。
胸の奥がざわつく。そこに穿たれた穴に宿る感情の正体に気付いていながら、知らないふりを決め込んだ。認識したところで、この先も怠惰な肉体が熱を求めることに変わりはないし、冷えた手を温める温もりは与えられないのだ。
俺はこのままでいい。満たされないと分かりきった物を認めても、虚無感に耐え切れなくなるだけだ。
波立つ心を押さえつけ、墓地を出て、雑踏の中へと逃げ込んだ。
◇
自宅の近くにある公園の、ベンチの上に腰を下ろす。群集の中を歩くうちに酷く体が疲れ、気付いた時にはこの場所へと足が向いていた。人気のないこの公園は、少し落ち着く。
時刻は17時を回り、雪の降る公園の入り口で幼い子供が親の迎えを待っている。それを眺めながら、そういえば俺は外で遊んでいても迎えが来たことなどなかったな、とぼんやり思った。
両親が亡くなって、引き取り手が見つからずに、最終的には施設に行くことになった。その頃の記憶は既に曖昧だ。
事故だったのだと、少し大きくなってから施設の職員に知らされたが、それをどこか他人事のように聞いていたのを覚えている。
写真もなく、記憶にもない親の話は、遠い国で起きている戦争をブラウン管ごしに見る感覚に良く似ていて、現実感のないそれはただの「事実」として俺の記憶に刻まれた。
公園の入り口に立っていた子供のもとに、母親らしき人物が駆け寄ってきて、「寒かったでしょう」と声をかけながらその手を握る。雪景色の中、手を取り合って去っていく姿に僅かな羨望を覚えて、ぼんやりとその光景を眺めていると、母子と入れ替わるように見覚えのある影が現れた。
「……タイミング良すぎんだろ」
思わずぽつりと呟いた。バイト帰りらしいリョウが、俺に気付いて嬉しそうに笑い、少し小走りでこちらに駆け寄って来る。
「今帰りか」
「うん。ゼロ、どっか出かけてたの?」
「おう」
「病み上がりなんだから少しは大人しくしてなよ」
白い息を吐きながらそう言うリョウに腕を伸ばし、傷んだその髪の毛を撫でれば、いつものように目を細めて笑った。
「リョウ」
なんとなく、今日の日中、夢から覚めたときと同じようにその名前を呼ぶ。
部屋の中では虚しく溶けたその声が、目の前の小さな体に届くのかどうか確かめたかったのかも知れない。
「なに。っていうか重い」
軽く瞑られていた目を開けて、頭を撫でていた俺の手を、リョウの手が掴んで退ける。口では文句を言いながらも、相変わらず顔は嬉しそうなまま、「手、冷えてんね」と言って笑った。少し小さな手を握り返せば、そこからじわりと温もりが広がる。
相変わらず降り続けていた雪が、薄暗い公園のベンチや土の上に少しずつ積もり初めている。冷たい墓石の上では溶けずに残ったそれが、繋いだ手の上で溶けて、確かな熱がそこにあるのだと俺に教えた。
もしあの火葬場で、誰かがこうやって俺の手を握っていてくれたら、違う今があったかもしれない。
「風邪ぶり返すよ。帰ろう」
繋いだままの手を引いて、俺をベンチから立たせようとしながらリョウが言う。
突然、今朝方感じた形容しがたい感情が胸を過ぎって、たまらずその体を引き寄せた。出会った頃に比べて少しだけ肉付きの良くなった体が俺の腕の中に飛び込んでくる。
「ちょ……何してんだよ!」
慌てる声を聞きながら、こうやってこいつを抱きしめるのは何度目だろうと思う。
胸を過ぎった感情の名前を探して、抱いた体から伝わる熱に、自分の鼓動が早くなるのを感じた。
他の誰でもなく、リョウに触れたいと叫ぶこの感情の名前を、俺は多分知っている。
「ゼロ、離せってば」
伸びて来た手に頬を抓られて、仕方がなく腕を解いた。離れていく熱が愛しい。
弟のようなものだと思っていたはずのクソガキに、いつの間にこんな思いを抱いていたのだろう。
今まで誰に対しても持つことのなかったそれは、認めてしまえば驚くほどあっさりと俺の中に落ち着いて、暖かく胸を満たしていく。
「なあ、そんな寒いなら早く帰ろうぜ」
「……だな」
立ち上がってリョウの手を引き、雪でぬかるんだ道を歩きながら、よりによってこいつか、と複雑な溜息をついた。
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