風花と残月
2.
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喉の奥から声を絞り出しても、それに返答はない。
冷たい右手を自分の左手で握り締めても、同じように冷えた手では温もりが得られず、その虚しさにぎゅっと唇を噛み締めた。
周囲の大人達が、哀れみの混じった目で俺を見つめ、可哀想にと囁く声が聞こえる。
本当にそう思うならこの手を誰か握ってくれと、そう言いたいのを必死で堪えて、周囲の視線から逃げるように顔を俯けた。
俺の目の前には、箱の中身を見るための踏み台が置かれている。
叔母に促されるまま足を踏み出し、踏み台にのぼって、少し背伸びをしながら箱の淵に手をついてそれを覗く。
白い骨が、人の形を残したままでばらばらと詰められていた。
箱に付いた手が視界の端で僅かに震え、零れそうになる涙を飲み込み、冷えていく思考と共に、何かが少しずつ失われていくのを感じる。
ああ、もう俺は一人なのだ。
こみ上げる喪失感の中で、どうしようもなくそう思った。
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リビングのソファで目を覚ました。夢を見ていたはずだが、不思議といつもの飢餓感がない。相変わらず指先は冷え切っているが、それを暖めたいと思う気持ちはどこにもなく、ただ、妙に冷静な思考が古びた記憶のパズルを完成させてしまったのだと告げていた。
身を起こし、リョウ、と同居人の名前を呟いてみたが返答はなく、そういえばバイトに行くのを見送った後にここで眠ったのだと思い出した。
定休日だからもう一眠りすると言った俺に、笑いながら「行ってきます」と背を向けたのを覚えている。久しぶりに早起きをしたせいで、時間の感覚が曖昧だ。
ラップのかかった食事とコーヒーがテーブルに用意されていて、ご丁寧にも書置きが添えられていた。
それを見つけた瞬間、不似合いだ、と何者かが俺の頭に囁きかける。夢と同じ喪失感が足元から這い上がってきて、その不快な感覚に背筋がゾクリと震えた。
リョウ、ともう一度、いるはずのない同居人の名前を呼ぶ。それが広い部屋の中に吸い込まれていって、圧倒的な孤独感が俺を包んだ。
胸の奥に穿たれた穴が、その面積を広げていく。
それをどこか他人事のように思いながら、黒いジャケットを羽織った。
◇
鈍色の空が続く道を、少し早足で歩く。
久しぶりの休日に何をしているのだ、と自分を責めたくもなるが、速度を落とさぬままに歩き続けた。
駅前の群集を抜け、閑散とした住宅街へと入り込む。
時刻は14時、微妙な時間帯のせいもあるのか、一切人の往来がない路地は物寂しい風情を醸し出していた。
ろくろく舗装もされていない道路は、踏みしめる度に小石がぶつかり合って音をたてる。俺の古い記憶の中にあるものと変わらないそれを、懐かしいと感じながらその道を進んだ。
たどり着いたのは、住宅街のはずれにある質素な寺だ。
手に持った花を濁ったステンレスの花立に供える。
僅かに揺れてその花弁を散らし、冷たい風がそれを空の彼方にさらって行く。
墓石は風雨に曝されて汚れ、伸びたままの雑草や朽ちかけて文字の読めなくなった卒塔婆と共に、その墓が長い間放置されていた事を語っていた。
ここに眠る人間の顔を、俺は知らない。
覚えていないと言ったほうが正しいかも知れない。
ただ、墓石に刻まれた「敷島」という名前は俺の苗字と同じもので、いつかは俺もここで眠りにつくことが決まっている。
組みあがってしまった古い記憶のパズルが、俺をこの場所へと誘い出した。
ここは、俺の両親が眠る墓だ。
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