風花と残月
8.
*****
扉のある薄暗い部屋の中で、見知らぬ大人達をぼんやりと見上げた。
皆一様に黒い服を着て、涙を流しながら白い箱の中身を見つめている。
まだ背の低い俺は、少し高いところにあるその箱の中を覗くことができない。
陰鬱な空気の理由すら分からぬままに、モノクロームの空間で立ち尽くしていた。
これは夢だとわかっているのに、あまりにも色のない世界は妙な現実味を帯びる。
呼吸すらも憚られるような錯覚を覚えて、乾いた声を絞り出した。
*****
「っ……!」
がば、と勢い良く身を起こし、声にならない叫びを上げた。
ズキズキと痛む頭に、具合が悪くてソファの上に眠っていた事を思い出す。
具合の悪さといい、夢の内容といい、人生で最悪の寝起きだ。
脈打つこめかみを押さえてゆっくりと室内を見渡せば、西日の差していた仕事場は薄暗くなっていた。どのくらい眠っていたのだろうかと時計を見れば、短針は6の真上にあって、さほど長い間眠っていたわけではないことに安堵する。
コーヒーでも飲もうとソファから降りようとして、体の上に毛布がかけられていたことに気が付いた。
「……リョウ?」
霞む思考をめぐらせて、思い当たる人物の名を呼んだ。夢と同じように喉の奥がからからに乾いていて、想像以上に掠れた声が出る。
呼びかけた名前に返事はなく、自ら発した言葉がぐらぐらと頭の芯を揺さぶって、激しい頭痛に顔を歪める結果に終わった。
ソファの上で痛む頭をかかえていると、パタパタと階段を下りる音が聞こえてくる。すぐに奥の扉が開いて、先程呼んだ名前の人物が顔を覗かせた。
「あ、起きたんだ。薬と水もってきたよ」
そう言いながら、ソファの横まで歩いてくる。水だけを受け取って飲むと、乾いていた喉に染みこむような感覚を覚えた。
「風邪?」
「多分そうだ」
リョウの問いに返した声はまたしても掠れ、自己管理すらまともにできていない自分に苛立ちを覚えた。
熱のせいか、寒気がする。
その上暗く、色彩の少ない空間は先程の夢を彷彿とさせ、昨日と同じ行動に走りそうになって、ギリギリのところでそれを押し留めた。
「……悪い、電気つけてくれ」
「はいよ」
部屋の中に光が満ちて、急激な明暗の差に再び頭が痛んだ。
「一応粥も作ったけど…食う?」
「いや……食欲ねぇ。悪い」
四肢が重く、軽い嘔吐感がある上に、リョウの声すらもどこか遠くから聞こえてくるような気がする。
どうも本格的に風邪を引いたらしいとようやっと自覚して、テーブルの上に置かれたままの薬に手を伸ばした。
水と共にそれを胃の奥へと流し込み、コップの中身を全て飲み干してから長い息を吐く。体の心から寒気が上がってきて、背筋が震えた。
「動けそうなら、二階上がろうぜ。ベッドで寝なよ」
「いや…ここでいい。同じ部屋で寝たらお前にうつる」
「じゃあ俺がここで寝るから、ゼロは上いきなよ」
リョウにそう言われるが、酷く体がだるい。
動かせないことは無いが、熱が上がってきているせいか視界もはっきりせず、正直二階に上がるのは億劫だ。
「なあ、具合悪いならちゃんとしろってば」
リョウの声が急に不安そうなものに変わる。重たい腕を上げて、いつものように頭を撫でてやれば、不安げに顔を歪めて俺の服を握りしめた。
「……どうした」
こいつのこんな表情を見たのは久しぶりで、思わぬ展開に少しばかり動揺するが、頭を撫でる手を止めずに声をかける。
リョウはしばらく無言で俯いていたが、やがて思い切ったように顔を上げ、目線を合わせないままたどたどしく喋り始めた。
「な……何か、すげぇうなされてたし、あんた昨日から様子おかしいし……変な病気かもしれないだろ」
「おいバカ、泣くなっつーの」
喋りながら段々と泣きそうな顔に変わって行ったのに慌てて、半分条件反射のようにその体を抱きしめた。
期せずして昨日と同じ行動を取ってしまい、今朝のぎこちなさを思い出して、やっちまった、と後悔するが、そんなことに葛藤したのは俺だけだったようだ。
抱きしめた体から動揺は感じられず、しかし「まだ泣いてねえ」と言う声が震えていて、それでようやく極端に心配されていたのだと気付いた。
気が抜けたのと同時に、腕の中で泣きそうになっているクソガキに対しての保護欲が沸きあがってきて、いつものようにその背を軽く叩いた。
「……ただの風邪だからそんな心配すんなよ」
「わかんねぇだろ、そんなの。いいから病人はベッドで寝ろよ」
もしかして、昨日からずっと不安な思いをさせていたのだろうか。
体を離して頭を撫でてやっても、眼を逸らしながら「ベッドに行け」と繰り返されて、結局は俺が折れる羽目になった。
動きの鈍い体をソファから引き剥がし、リョウに引き摺られるようにして二階に向かう。
自分で認識していたよりも体力を消耗していたらしく、ベッドの上に倒れ込んだ瞬間に視界が狭くなった。
「やべぇ。これ結構しんどいわ」
「だから早く寝ろっつったじゃん。明日になっても熱あったら病院行きなよ」
ごほごほと咳き込む俺に、まだ心配そうな声をしたリョウが言う。額に冷却用のジェルシートが張られるのを感じて、閉じていた瞼をうっすらと持ち上げた。
「心配かけてごめんな」
「……悪いと思ってるなら早く治せよ」
寝転んだまますぐ傍にあった頭を撫でてやれば、ようやくいつものような表情に戻って、それに安堵する。
「はいはい」
気付けば今朝のぎこちなさはなくなり、普段と変わらぬ空気が戻ってきている。
体は多少しんどいが、寝起きに感じた不快感は、いつの間にか消えていた。
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