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風花と残月
2.


 公園で拾ったクソガキがうちに住み着いて二週間が経つ。

「……ただいま」
「お帰り……おつかれ」

 仕事を終えて二階に上がると、リョウの声と料理の香りが俺を出迎えた。行くあてがないならここに居ろと言ったのは俺だ。
 毎晩、帰ってくると何かしらの料理を作っておいてくれる。手料理なんてここ何年も食ってなかったが、最近は案外こういうのも悪くないと思い始めた。

「晩飯、何?」
「……クリームシチューだけど」

 相変わらず口調は小生意気だが、随分と懐いてくれたように思う。
 ソファの上でくつろぐリョウの頭に手を置いて、傷んだその髪をすくように撫でる。指通りの悪い髪だが、この触り心地は嫌いじゃない。
 リョウも最初はガキ扱いするなと口を尖らせていたが、最近ではもう慣れたのか、目を瞑ってされるがままだ。

「お前、ほんと猫みたいだな」
「……意味わかんねぇ」

 今にもゴロゴロと喉を鳴らしそうな顔を見て、笑を噛み殺しながらする会話も、最近じゃ良くある光景だ。
 意外な事に家事全般はこなせるらしく、今まで休日にまとめてやっていた洗濯などをこまごまと済ませておいてくれるし、同じ家に居て邪魔だと思うようなタイプでもない。

「そういえば俺、バイト決まった」
「良かったじゃねぇか」

 ぐしゃぐしゃと、少し乱暴に頭を撫で回せば、口ではやめろと言いつつも、リョウの顔が笑いたいのを必死で堪えているのがわかって、その素直な反応に安堵する。

 あの日、風呂から上がったリョウが「置いてもらうからには」と前置きしてから、ぽつりぽつりと今までの経緯を語り始めた。
 恋人との関係や、実父との過去。硬い声で少しずつ語られるそれらに、口を挟むことなく聞き入った。

 最後に、「迷惑なら、明日出て行く」と言って俯いたリョウの、膝の上で握られた手が目に入った。
 余程力を込めていたのだろう。先が白くなるほどきつく握られたそれが、微かに震えているのに気がついて、リョウの不安の大きさを知る。

 いつものように頭を撫で、大丈夫だと伝えるように抱きしめてやれば、胸元で安堵の息を吐くのが分かった。
 聞かされた話は俺が想像していたよりもずっと根が深く重いものだったが、抱いた体の震えが止まったことで、ひとまずの不安を取り払ってやれたのだと悟る。
 もっと時間がかかると思った、相変わらず細い体を抱きしめたままそう口に出せば、俺の服の端を掴んで首元に顔を寄せたリョウから、「あんたなら話しても平気だと思った」と、弱々しい声が返ってきたのを思い出して、少し笑みが漏れる。
 あのときに比べて顔色も良くなったし、肉もついてきた。体に残ってしまった傷は消えないが、あの日首元と手首にできていた新しい傷は綺麗になりつつある。
 一人で抱え込んでいただろう重い荷物を、少しでも下ろしてやることができたのだろうか。

「……何笑ってんだよ」

 俺にかき回されてぐしゃぐしゃの頭になったリョウが口を尖らせる。年相応なその表情に、また頬が緩む。頭に乗せていた手をどかしてリョウの隣に腰を下ろすと、二人分の重みでソファが軋んだ。

「バイト、いつからだ」
「明日…の朝十時」
「うえ、早……サクっと飯食って寝るか」

 俺の台詞に、「あんた寝起き悪すぎなんだよ」とリョウが笑う。

 こいつも、よく笑うようになった。
 初対面の時に見た、何かを押し殺すような、今にも泣き出しそうなあの表情も、今では見せることはない。
 ずっとどこかに壁のようなものを作られているように感じていたが、レンが来たあの日以降はそれも無くなった。
 素直に甘えてこないのは相変わらずだが、そういうところも含めてこいつらしいと感じられるようになったのはつい最近だ。

 表情の多くなったリョウを見ていると、単純に可愛いな、と思う。
 兄弟なんて居たことは無いが、弟みたいなものという表現がしっくりくる。
 拗ねたツラも、時折見せるはにかんだ笑顔も、俺の顔を綻ばせるには十分すぎるものだ。こんな感情は、今までに感じたことがない。


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あきゅろす。
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