風花と残月
5.
「俺ね、リョウ君の飯作りに来たんだ」
「えっ?」
コートを脱ぎ始めたレンさんから、俺の心を読んだかのような台詞が飛び出す。あまりのタイミングの良さに、間抜けな声が出てしまった。
「『ガキ拾ったから来てくれ』ってゼロに言われてさ。こいつ全然料理できないんだよね」
こいつ、とゼロを見ながら言って、ケラケラと笑う。
笑われている当の本人に目をやれば、ばつの悪そうな顔をして煙草に火を点けていたが、俺の視線に気付いたらしく、咥えていた煙草を手に持ち替えて口を開いた。
「コンビニ弁当やらカップ麺よりはマシだろ」
ニっと笑いながらそう言う。さっきも顔色が悪いと言われたが、それを気にしてこんな事をしてくれたのだろうか。
こんな風に優しくしてもらっても、俺は何も返すことができない。どうやってお礼をすれば良いんだろう。
レンさんまで巻き込んでしまって申し訳ないやら、気にかけてもらえて嬉しいやらで何を言えばいいのか分からなくなってしまう。
「俺先に上がるねー。ゼロとリョウ君も早めに上がってきなよ」
レンさんはそう言いながら、俺とゼロを置いてさっさと二階に上がってしまった。ゼロは一度だけ大きな伸びをして、デスクの片付けを始めている。
俺は気持ちがモヤモヤして、どうしたらいいのか分からず、ソファの上に座ったままで動けずにいた。
ゼロも何も言葉を発さないせいで、部屋の中に微妙な沈黙が落ちる。聞こえてくるのは、ゼロが片付ける紙が重なり合う音だけだ。
重くなる空気に逃げ出したい気持ちが沸いて来た時、タイミングよくゼロが口を開いた。
「リョウ、悪い。外の看板取ってきてくれ」
「……わかった」
この空間から出られることに少しだけ安心して、玄関の扉を開ける。
レンさんが言っていた通り、止んでいた筈の雪が激しく降っていて、コンクリートの上にも少しずつ積もり始めていた。扉を閉めて歩き出せば湿った音を立てて、看板の前に向かう足跡ができる。
歩道に出ても人の往来は少なく、車の通る場所だけは雪が積もらずに濡れていた。
ゼロが拾ってくれなければ、今頃俺はどうなっていただろう。冷たい雪の中で一人、どこかで身を縮こまらせて、洋輔と親父の影に怯えていたんじゃないだろうか。
看板に手をかけたまま呆然としていると、先程俺が出てきた玄関の扉が開いた。中から顔を出したゼロが、俺が付けた足跡の上を歩いてこちらにやってくる。
「ゼロ…」
「遅ぇぞ」
俺の前に立ってぽんと頭に手を乗せ、困ったような、呆れたような声を出す。
今日、あの公園で目を閉じた時は、このまま死んでも構わないとすら思っていたが、今は違う。
他人の体温をあてにしてはいけないなんて事は嫌と言う程わかっているはずなのに、あまりにも居心地が良くて、心のどこかでそれを求めている自分が居ることに気付かされる。
何も言わないでいたら、呆れたようなゼロの表情が、心配そうなそれに変わった。
「……どうした」
「ゼロはなんで、俺に構うの」
最初から引っかかっていた疑問をぶつける。初対面から、まだ数えるほどしか日が立っていない。それなのに、ここまで良くしてくれるのが何故なのか分からないまま、ずっと聞けずにいたことだ。
正直、ゼロが拾ってくれて凄く助かってるし、余計なお節介だと思っているわけでもない。だけど、俺なら絶対にこんなガキには関わらない。一番最初の時点で、有無を言わさず病院送りにしておしまいだ。
「理由がないと、不安か」
ゼロの言葉に、無言で頷く。
いつの間にか俺を安心させてくれる存在になっていたけど、理由の分からない優しさはすぐに離れていってしまいそうで怖い。頭の上に乗った手の重みも、その温もりも、ずっと欲しいと思っていたものだったが、急に与えられたそれは、俺を混乱させるだけだ。
ふう、と頭上から溜息が聞こえる。
顔を上げると、俺より少しだけ高いところにあるゼロの顔が、微かに歪んだ。
「お前、ガキの頃の俺に似てるんだよ」
そう言った表情が、どこか悲しそうに見えるのは気のせいだろうか。何も、聞き返せなくなってしまう。
「当てがないなら、しばらく置いてやる。ある程度の目処が立つまでここに居ていい」
見捨てねぇから安心しろ、と言葉を続けて、俺の体をゼロの腕が包んだ。
いつもこうだ。どうやら、何も言わなくてもゼロには俺の考えていることなんてわかってしまうらしい。俺が言葉に出来ないでいた不安を感じ取って、いとも簡単にそれを拭い去ってくれる。
この人には敵わないなと、少しだけ笑いが零れた。
「ほら、雪酷いから戻るぞ」
体を離したゼロが、看板を畳んでそう言って歩き、寒いとぼやきながら扉を開ける。その服の裾を握って引き止め、振り向いた顔を見た瞬間、素直な言葉が声になった。
「ありがとう」
多分、今はこの言葉で良かったはずだ。
その証拠に、ゼロは一瞬だけ驚いたような顔をしたけど、すぐにくしゃっと笑って、俺の頭を乱暴に撫でた。
「素直になったじゃねぇか、クソガキ」
笑いながらそう言うゼロを見て、この人に伸ばした手が振り払われることは無いんだ、と確信した。
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