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風花と残月
2.
 頭の上に手を置かれたまま、ちらりとゼロの方を覗き見る。
 マグカップを取ろうとしていたが、俺の視線に気付いたらしく、目線だけをこちらに向け、唇の端を少しだけ上げて笑った。
 その表情を見て、俺の手の中にあるマグカップに負けないくらい暖かいものが胸を満たしていく。

「……手、重い」

 本当はその重みが心地良いのだが、子ども扱いされているのが悔しくてつい強がるような言葉を吐いてしまった。
 そんな俺の心中なんて、きっとお見通しなんだろう。ゼロが喉の奥で笑って、俺の頭から手を退かした。

 まだ湯気を放つココアに口をつける。丁度いい温度と甘さだ。一口飲み、ほっと息を吐いてからゼロを見れば、マグカップ片手に、この間俺が読んでいた雑誌をめくっている。その手があるところで止まって、「ほら」といくつかの写真が乗ったページを見せられた。

「それ、俺」
「え?」

 雑誌ごと受け取りそのページをよく読んでみれば、どうやら彫り師に取材をした記事らしいことが分かる。取材に答えている彫り師の名前は……「ZERO」。この間貰った名刺に書かれていた名前と同じだ。

「……あんた、その道では有名だったんだね」
「違ぇよ。ある程度この仕事してると一度は取材受けるもんだ」

 絶対数の少ない職種だからな、と言って、さも面白そうに笑う。そんなものなんだろうか。
 インタビューの内容は、彫り師としてのスタンスや信念、それとタトゥーを入れようと考えている人へのアドバイスなど。これを読む限りだと、ゼロのスタジオは結構評判が良いみたいだ。

「あのさ。俺、ゼロに聞きたいことあるんだけど」
「何だ」

 俺の体にイレズミは入っていないし、知り合いで入れてる奴もいない。興味を持ってからずっと気になっていた事を聞けるのは今しかないと思った。

「き……傷跡の上とかでも、できるの?」

 聞き辛くて、少し言葉に詰まってしまう。傷を隠したいだけの軽薄な台詞に聞こえただろうか。
 少しの沈黙が落ちて、まずいことを聞いたのかもしれないと思い始めた時、ゼロがゆっくりと口を開いた。

「できる……けど、少し色は入りにくいし、傷が消せるわけじゃねえぞ」
「……そっか」

 自分で聞いておいて、他にどう言葉を返したらいいのかわからない。また少し俯きかけたとき、ゼロが軽く俺の背を叩いて立ち上がった。

「真剣なら、相談ぐらい いつでも乗ってやる。最後は自分で決めろ」

 そう言って、カップを手にキッチンに向かう。

 あの時、この雑誌を読みながら、入れてみたいという考えが頭を過ぎった。安易に消せる物では無い事くらいはわかっている。
 それでも、自分で鏡に映して汚いと思うこの体でも、そこに何か意味を残せるならと、そう思ったのだ。

 自分で決めろと言ったゼロの声は、投げやりではなく、真剣だった。
 ガキの戯言だと咎めるでも、入れちまえよと無責任に進めるでもない。俺の真意なんて一言も口にしていないのに、軽い気持ちで言ったわけではないことを察してくれたのだろうかと思うと、無性に嬉しさがこみ上げてきた。

 流し台から、ゼロが振り返る。

「飲み終わったんならそれ持ってきな」

 それ、とは俺の手の中にある、空になったカップのことだろう。手に持ってソファから立ち上がり、ゼロの横に立つ。
 俺より少し大きな手がそれを受けとって洗い始めるのをじっと見つめた。

「ゼロ」
「ん?」
「……」

 声をかけたはいいが適当な言葉が見つからず、とりあえずゼロの服をぎゅっと掴む。
 ゼロの手の中で泡まみれになったカップが、蛇口からの水で少しずつ綺麗になっていく。

 こういう時はなんて言えばいいんだろう。「ありがとう」は何かが違う気がする。

 苦笑の混じった溜息が聞こえて見上げれば、カップを洗い終えたゼロの手が俺の頭の上に置かれた。
 そのまま、ごく自然な動作で撫でられて、その心地良さに目を瞑る。

「傷、見せな」

 腕の傷も、首の傷も、できれば見られたくないという気持ちに変わりはないが、見せる事への不安なんてとうの昔に消えている。
 どうしてゼロはこんなも安心するのか分からないが、気付けば本能は警戒を解き、この人は大丈夫だと俺に告げていた。

 兄弟が居たら、こんな感じなんだろうか。

「……なあ、ゼロのイレズミ見せて」

 ソファに戻り、服を脱ぎながらそう言った。前に見せてくれると言っていたのに、俺が眠ってしまったせいで見れなかったのだ。

「これ終わったらな」

 薬箱をごそごそと漁り、ガーゼや軟膏を取り出しながらゼロが言葉を返す。腕の傷を見ても何も言わず、手際よく傷口が処置されていく。

「よし……っつーか眠そうだな、お前」

 包帯を巻かれながらウトウトしていた俺を見て、ゼロの顔にいつもの困ったような笑みが浮かぶ。
 着てろと渡されたゼロの服に袖を通して、ソファの上で横になれば、もう夢の世界はすぐそこだ。

「リョウ。寝るならベッド行けベッド」

 そう声をかけられたが、生憎そんな気力はもう残っていない。横になったまま目を瞑ると、溜息と一緒に抱き上げられて、あの香水がすぐ傍で香った。
 やっぱりこの匂いは好きだなと思って顔を寄せれば、ゼロが笑った振動が伝わってくる。そのせいで、もう意識を繋ぎとめておくのも限界だ。

 全身の力を抜いて体を預けたとき、ゼロが笑いながら何かを言ったような気がした。


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あきゅろす。
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