風花と残月
5.
◇
痛む体を引きずって、明け方の暗い道を方向も考えずに歩く。どこに向かっているのかとかこの先どうするのかとか、そんなことも考えられない。
ただ、洋輔と暮らしたあの家から離れることだけを考えて歩き続けた。
帰る場所がないということよりなにより、思い出してしまった記憶の重さに思考が奪われて、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
昔の記憶に押しつぶされるような気がして、それを振り払うように走り始めた。
息が、上がる。雪が降るほど気温は低いはずなのに、体は焼け付くように熱くなって、もうわけがわからない。
「はぁっ……」
立ち止まり、上がった息を落ち着かせながら、目に入った公園に逃げ込んだ。
入り口付近にあった自販機でホットの缶コーヒーを買い、屋根が付いたベンチの上に座り込む。
(これから、どうしよう)
膝を抱え、自分の直面する現実に思考を移す。
貯金も手持ちもあまりない。今はバイトもしていないから、金がなくなったら、そのままホームレスまっしぐらだろう。手持ちが続く限り漫画喫茶か何かで寝起きして、収入を得られる仕事を探さなければ。
思考をめぐらせながら、散々殴られた体が痛み始めた。汗をかいた体も冷え始めて、握り締めた缶コーヒーで指先を暖める。
見上げれば、白み始めた空に細い月がぽつりと浮かんでいた。
雪雲に挟まれて、夜に置いていかれたような、あまりに孤独なその姿になんとなく自分を重ねてしまう。
結局、また一人になってしまった。
脅かされることがない安堵と共に、頼る物がない不安に押しつぶされそうになる。実家から逃げ出した時もこうだった。
俺の人生は逃げてばかりだ。最初は実家から逃げて、今は洋輔から逃げて、このまま安息の地を得ることなく一人きりで終わっていくような気がする。
あの部屋に戻るという選択肢は、ない。
今も気を抜くと、親父の影と洋輔の姿がちらついて叫びそうになる。戻るくらいならこのまま死んだほうがよっぽどいい。
じわ、と目の端に涙が浮かんで、抱えた膝に顔を埋める
どうせこうなるなら、誰かが傍にいる喜びなんて知りたくなかった。知らなければ、それがない事を寂しいなんて思いもしなかったのに。
(少しだけ、寝よう)
心も、体も限界だ。
考えてみれば、食事も睡眠もまともにとっていない。マイナス思考になってしまうのもきっとそのせいだ。
疲れた体に、睡魔に抗えるほどの気力は残っていない。少しだけ寝て、目が覚めたらすぐに移動しようと思って目を閉じる。
どのくらいそうしていただろうか。半分くらい夢の世界に入りかけた時、公園の入り口の方からさくさくと雪を踏み分ける音が近づいてくるのに気がついた。
遠のきかかっていた意識が現実に戻される。
もしかしたら不審者として通報されてしまうのではないかと思い当たり、それだけは勘弁してくれと思いながら、膝に顔を埋めたままで硬く目を閉じた。
声をかけられるかもしれない、警察かもしれないという緊張で、冷えていた指先が更に冷たくなるのを感じる。
そんな俺に構うことなく、雪の上を歩く音はどんどん近づいてきて、俺から少し離れたところで止まった。
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