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風花と残月
灰に沈む
「……きったねぇ体」

 浴室に入り、そこの鏡に映った自分の体を見て思わず声が漏れた。洋輔が俺の体を揶揄するときにいつも口にする言葉だ。

 光の加減で分かる小さな傷跡から、一目で分かるケロイド。
 洋輔に殴られて出来た痣は、変色して紫色になり、火傷の跡は皮膚が引き攣っている。
 先程切られたばかりの首元は血液がこびりついて、傷はまだ乾いておらず生々しい。

「っ……」

 こびりついた血液をシャワーで流せば、傷がぱっくりと口を開けた。湯が沁みて痛い。

 自分でも汚いと思うこの体を、他人が見たらどう思うだろう。だれがどう見たって偶然できてしまったものには思えない。
 体に残る傷は、洋輔が付けたのが半分、残りの半分は実家に居たころに親父が付けたものだ。

 ドロドロの下半身を洗いながら、親父の事を思い出す。簡単に手を上げる親父だったな、と思う。
 しょっちゅう殴られていたし、酷いときには煙草の火を押し付けられたこともある。小学生のガキが大人に力で敵うはずもなく、俺の体には少しずつ傷が増えていった。
 わき腹にあるでかい切り傷は、酒に酔った親父が割れた酒瓶でつけたものだ。
 理不尽な暴力は、高校に上がった俺が親父の身長を追い越すまで続いた。

 泡まみれの体をシャワーで流し、今日のことを振り返る。

 ガキの頃みたいに、抵抗しようがない暴力を受けるのに比べれば、洋輔との関係はまだマシなほうだと思っていた。普段はもう少し力の加減がされているのだ。
 でも、今日は容赦なく殴られた。暴力はいつものことだが、手加減されるのとされないのとでは体への負担が全然違う。
 拘束されていた腕はベルトの擦り傷ができてるし、打ち付けられた頭もいまだに痛い。無理矢理突っ込まれた穴は裂け、無理な体勢でヤられたせいで、体の間接がいたるところで悲鳴を上げている。

 洋輔が俺にナイフを押し付けたとき、子供の頃の恐怖が蘇った。絶対的な力で抵抗を抑え込み、恐怖に震える俺を蹂躙していく。
 こんな関係はさっさと終わらせればいいものを、行くあてのなさと、振り下ろされる拳が怖くて何も言い出せないでいる。

 実家から逃げ出したときは、こんな風に何かを怖いなんて思いもしなかった。ただ、あの家に居たくないという思いだけで行動をすることができたのに。
 年を重ねて少しずつ臆病になっている自分に気づかされる。

 行くあても金も無いのに逃げ出すなんて、我ながらよくできたな、と思う。
 それぐらい、親父が俺に振るった暴力を許せなかったということなのだろう。実家には、この先一生戻るつもりはない。


 ……そこまで考えて、ふと胸の内に一滴の墨が落ちた。
 突然、後頭部に殴られたような痛みが走る。

「……え?」

 頭に生まれた痛みは、ズキズキと脈打ちながら強さを増していく。
 心臓が大きな音を立て始めて、そのままどんどん鼓動が早くなる。突然のことに脳も体も処理が追いつかない。

 胸の内側に落ちた墨が、じわじわと頭の中を侵食して行き、カメラのシャッターを切るように、痛む頭の中で過去の情景が断片的に蘇ってきた。


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