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風花と残月
佇立瞑目

 目を開けて、一番最初に天井が見えた。続いて周りの景色が目に入り、部屋の中に転がされているんだと分かる。

 腕を動かそうと思ったのだが、ずっと拘束されていたせいか痺れて上手く動かせない。だんだんと意識がはっきりし始めて、それと同時に体のあちこちが痛んだ。
 終わりが見えない苦痛に意識を手放したのは何時ごろだったろうか。時計を見る余裕すらなかったせいで、どのくらい意識を飛ばしていたのかわからず、首だけを動かして今の日時を確認すれば、午前二時。ゼロと別れてから、丸二日近く経っている。

 部屋の中に洋輔の姿はない。今日は夜勤みたいだ。
 転がされている床の冷たさに、意識を失う寸前の光景と共に吐き気がこみ上げる。

(とりあえず、風呂……)

 何も処理されていない下半身が不快で、今ある最大限の力を振り絞ってふらふらと風呂場に向かった。
 一歩踏み出すたびに洋輔の精液が俺の脚の間から伝い落ち、それが床を汚していく。血液交じりのそれにうんざりしながら、やっとの思いで浴室までたどり着いた。

 脱いだシャツの首周りはべっとりと血に濡れていた。至る所に血が飛び散っていて、あまりにも多い出血量に背筋が冷たくなる。こののまま殺されるかもしれないと思ったあの感覚を思い出して、恐怖から逃れるように首を振る。

 一応、恋人のはずなんだけどな、とそう思った自分に苦い笑いが漏れた。
 恋人同士、なんてそんな関係はとっくの昔に崩壊している。愛情なんてお互いに持ってないだろう。キスも、抱擁も、もう一年以上してない。ただ、洋輔の欲望を満たすために傍に居るようなものだ。

 ボタンのほとんど弾け飛んだシャツを抱きしめる。汚れていない部分に鼻先を押し当てれば、まだ薄く残っていた白檀が香って。ゼロの家で得た安心感と、洋輔と暮らし始めた頃の幸福感が重なった。

 一人暮らしを始めてすぐ、中学で部活の先輩だった洋輔に告白された。
 人間関係に飢えていた俺はそれを受け入れて、一緒に暮らし始めたのはそれから一年ほど経ってからだ。俺の人生で最も調子が良かったのはこの頃だろう。

 最初は、セックスの時に体を叩くようになった。「痛ぇのが好きなんだろ?」は当時の洋輔の口癖だ。
 洋輔に捨てられるのが怖くて拒めずにいたのだが、思えばそれがそもそもの間違いだったのだろう。手を上げられるたび、湧き上がる恐怖心に震える体を必死に押さえ込んで、それでも洋輔の傍にいたいと思った。エスカレートして、無意味に傷つけられたりすることが増えたのはいつ頃だろうか。そんな事も思い出せないくらい、今の関係が当たり前になってしまった。全ての原因は、拒めなかった俺にある。

 ゆっくりと瞼を開け、戻れない過去を悔やむ気持ちに終止符を打つ。抱き締めたままだったシャツを洗濯機に放り込んで、それの本来の持ち主を思い出した。

 洗濯すればあの香りはなくなってしまうけど、それでいい。あの香りが思い出させる記憶は優しすぎて、俺が直面している現実とのギャップは大ききすぎる。そんなものを傍に置いていたって辛い気持ちになるだけだ。

 どうせ得られない安息なら、最初から無かった事にしてしまった方がいい、と。僅かに残る後悔に気付かないふりをしたまま、浴室の扉を開けた。


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