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キリリクの部屋
35000HIT記念ダリア様リク 巻ノ上 by由乃
 『夏に出逢ふモノ』


夏は、お盆があるからだろうか。それとも、暑さがその境界を奪うのだろうか。

蜃気楼は幻。だけど夏が見せたそれは、幻ではなく普段は見ることが出来ないだけの、真実の在りようなのかもしれない。


高校二年の夏休み。優斗は祖父母のいる田舎へ、両親と共に帰っていた。毎年夏はここで過ごしている。

小さな頃はよく、三つ年下の弟和樹と山で虫取りや川で魚の手掴みなんかをして過ごしていた。

高校生になった今は昔ほど活動的にはならないが、優斗はゴミゴミした都会よりも長閑な田舎が好きで、自然と足は山や川へと向かうのだった。

「ただいまぁ」

「お帰りなさい、ゆうちゃん。丁度いい時間に帰ってきたね」

時々フラッと出る散歩から戻った優斗を出迎えたのは、いつも笑顔の祖母と、空きっ腹を刺激する夕飯の匂い。

「ホント、いいタイミング。優斗、手を洗ったらすぐご飯だからね」

祖母が出てきた奥の台所から母が顔を覗かせている。祖母と母は、夕飯はいつも一緒に作り、朝と昼は交代制にしているようだ。我が家の嫁と姑が渡る世間には、鬼など入る隙間もないな。優斗はそう思いながら洗面所に向かうのだった。



「今日はちょっとゆっくりだったな」

先程まで元気だった太陽は、今や最後の力を振り絞るように真っ赤に燃えていた。夏の太陽はちゃんと残業代を貰えているのだろうか。

「うん、途中で予定変更して駅前の方まで行ってたから」

食卓を家族六人で囲みながら、父の問いに答える。

「駅までっ? 兄ちゃんてばホントよくやるよ」

「お前も家でゲームしたりゴロゴロしたりばっかじゃなくて、たまには外に出ろよ、中学生」

「うっさい」

ここの家から駅前までは、歩くと片道一時間くらい掛かる。往復だと二時間だ。

「どうしてまた?」

祖父が優斗に尋ねる。

「ん〜、山の周りの林沿いに散歩してたらさ、なんか真っ白な猫がいて」

「あらま、猫?」

母は猫好きだ。

「草の中にいたからちゃんと姿は見てないけど、弱ってるっぽくて」

「子猫だったのかい?」

祖母は動物全般が好き。

「いや、体は小さくなかった。けど、おっきくなったばっかかな。そんな感じだった」

「それで?」

父。

「食べ物でもやろうかと思ったけど、何も持ってなかったから、駅前の店まで行って帰って、まだそこにいたらエサをやろうと思って」

「いたのか?」

祖父。

「うん。とりあえず缶詰めと猫用ミルクを置いて、しばらく見てたらちゃんと食べた。だからたぶん大丈夫だと思うよ」

「そんな猫のためによく二時間も歩く気になるよ。っつうか買ってくるよか家帰った方が早くない? ハムとか牛乳とかあるじゃん」

「人間の食べ物って猫にはよくないと思って。どうせ散歩のついでだったし」
その後、母と祖母の二人を中心に、猫談義に花が咲いた。



翌日、優斗は昨日の猫の様子が気になり、昼過ぎにまた散歩に出ることにした。

「あ、そだ。和樹も一緒に散歩行くか?」

「俺はいいよ、暑いし。外出たくない」

特に猫好きでもない和樹に、猫は何のエサにもならなかったようだ。

「そうか。じゃあ、行ってきます」

「行ってらっしゃい」

家族みんなの返事が返ってくる。なんだか大袈裟なようにも感じるが、そんなことも夏休みくらいなのでいいかと思う。

玄関を一歩外に出ると、いかにも機嫌の良さそうな太陽が燦然と輝いていた。目眩のようなものが優斗を襲う。陽炎が世界を包む。まだ動いてもないのに、ジワッと汗が滲んでくる。優斗は思う。こんなのも、悪くはない。優斗は、不思議な夏の世界に一歩踏み出した。

優斗は早速、昨日猫に出逢った茂みへと向かった。足を踏み出すに連れ、額や頬を伝う汗も増えていく。辺りは相変わらずゆらゆらと捉えどころのない姿をしている。今日は特に暑いように感じる。

優斗は汗を拭いつつ茂みを覗いてみたが、そこには既に何もいなかった。優斗が置いてやった猫缶と猫用ミルクは共に空になっていた。ゴミを回収して、再び歩き始めた。きっと元気になったのだろう。可能性はいろいろあったが、深刻に考えても仕様のないことなので楽観的に考えることにした。そうすれば、なんとなく嬉しい気分になる。

なんだかその日は不思議な気分だった。優斗は当て所なく歩き回ることにした。疲れたら川沿いに腰を下ろし、水をすくって口に含む。ひんやりと気持ちのいい水だ。しばらくすると優斗は再び歩き出した。

家を出てから二時間程が経ったので、今日はもう帰ろうと思い家路についた。休憩していた川原は木々の屋根があり少し涼しかった。再び顔を合わせた太陽は、やはりまだまだ暑かった。

帰り道に、また猫のいた茂みの前を通った。ぼうっと歩いていた優斗は、正面から一人の女性が向かってきたことに、すれ違うその時まで気が付かなかった。

「あの、あなた……」

呼び止められてから三歩行ったところで自分のことだと気付く。

「俺、ですか?」

振り返って女性を見ると、逆光だったせいかその姿がはっきりと見えない。目を細め、手で庇を作ってよく見ると次第に輪郭が確かなものになっていく。そして間もなく目が慣れた。

そこに立っていたのは、肌の真っ白な美しいような可愛らしいような、そんな女性だった。歳は若く、優斗と同じ程かせめて二つ三つ上程度だろう。こんな魅力的な人は今までに見たことがないと優斗は思った。思わず頬が熱くなる。優斗は気付かれまいと平静を装った。

「あの、何か?」

もっと気の利いた言い回しは出来ないのかと、自分の口が憎くなる。

「昨日、ここで白い猫を助けてくれましたよね?」

「え? はぁ、まぁ」

猫のことなどすっかり忘れていた優斗は虚を突かれた。

「あの子、ウチの子なんです。ありがとうございました、本当に助かりました!」

そう言ってその女の子は笑った。

「それで、あなたに何かお礼がしたくって……」

今度は上目がちに優斗の様子を窺っている。表情がコロコロと変わる様子が優斗にはおかしかった。優斗が笑うのを見て女の子は不安そうな顔になる。

「あ、いや。その、お礼なんていいよ。そんな大したことしてないし」

「だけど、それじゃあたしが納得出来ません! 何かして欲しいこととかないんですか?」

この子は思いの外頑固なようだ。

「けどなぁ、して欲しいことって言われてもそんなすぐには……」

「あ、じゃあ明日までに。っていうのはどうですか? あたし、明日またここで待ってますから、して欲しいことを思い付いたら来て下さい。ね?」

「まぁ、明日も俺は暇だし、別にいいけど」

「じゃあ決まりです!」

女の子は本当に嬉しそうな表情をしている。いい子なんだろうなと、優斗は思う。

「だったら一応、二時頃に来るよ」

「分かりましたっ。待ってますね」

まるで子どものようなはしゃぎようだ。表情も子どものように無垢で、もしかしたら自分よりも年下かもしれないとさえ思った。

「それじゃあ、また明日」

優斗はそう言って踵を返した。

「あの、あたしナオです! あなたは……?」

「俺は優斗」

上半身だけで振り返って名前を告げる。

「優斗さん、また明日」

「うん」

優斗はまた歩き始めた。最後に見たナオの表情からは感情を読み取れなかった。なんとなく印象に残る不思議な表情。深く、色んな物が混ざり合ったようなそんな表情に思えた。やっぱりナオは年上かもしれない。

何はともあれ、優斗は明日が楽しみだった。よく分からない内に、明日また会う約束が出来たのだ。だけど、お礼に何をして貰うかはどうしても思い付かなかった。


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