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キリリクの部屋
35000HIT記念ダリア様リク 巻ノ下 by由乃
   『夏に出逢ふモノ』

先ほどまで世界を焼き尽くそうとばかりに燃えていた太陽は、夜の闇に隠れてしまっていた。地上には隠れた太陽が残していった残党のように、余熱がそこここでくすぶっているばかりだ。しかしそれももう間もなく、優しく冷酷な月の冷たさに冷やされていくことだろう。



優斗はナオと二人で、村の見慣れた道を歩いていた。電灯もない田舎の夜道は暗いけれど、月や星が意外と明るいことを知れば、さほど怖いものでもない。

今日は一日、色々なところを歩き回った。その殆どが山の中で、優斗の知らない場所ばかりであった。そしてどこも素敵な場所であった。

「今日はありがとう。本当に楽しかったよ。だけどこんな時間になっちゃって大丈夫かな、家の人に怒られたりしない?」

「大丈夫だよ。それより私も今日は楽しかった。こちらこそありがとう」

「そんな。だけどせめて家まで送るよ」

優斗はそう申し出たが、ナオはそれをおかしそうに笑いながら断った。

「大丈夫、心配しないで。こんなところだもん、なんにもないよ」

「けど……」

優斗が食い下がろうとすると、ナオの目が優斗の目を真っ直ぐに見つめた。それで優斗はこれ以上無理強いしてはいけないような気分になった。

「じゃあ、私こっちだから、行くね」

ナオは道の分岐点で立ち止まると、優斗の目を見ずにそう言った。そのままクルッときびすを返すと、すぐに歩き出してしまった。

「ねぇ!」

優斗は慌ててナオを呼び止めた。

「明日もまた会いたいんだけど……」

ナオは振り返り、微笑みながら頷いた。優斗はそれを見てホッとした。

「それじゃまた明日、今日と同じ時間、同じ場所で!」

もう一度頷くと、ナオは再びクルッと背を向けて歩いていった。

優斗は去って行くナオをその場でしばらく見送ってから、自分も家に帰ることにした。

ナオといるときは気付かなかったが、一人になってみると周りは虫やカエルの声でとても騒がしかった。まるで二人の出逢いを記念して乱恥気パーティーでも開いてるかのようだと優斗は都合良く考えていた。



それから優斗とナオは毎日のように一緒に過ごした。いつもの時間、いつもの場所で、いつも待ち合わせをした。ナオはいつも優斗より早くそこにいた。優斗が三〇分早く着いたときも、一時間早く着いたときもナオはもうそこにいた。そして帰りはいつもナオを家まで送ることは出来なかった。まるで家を知られたくないみたいだと優斗は思った。優斗は不思議に思ったけれど、途中から気にしないことにした。優斗はナオと一緒に過ごせるだけで嬉しかったし、余計なことをしてナオを傷付けるのも嫌だった。

本当は気にならない訳ではなかったが、隠すのは理由があるかもしれなかったし、いつかは話してくれると思うことにした。優斗の予想では、お父さんがとても厳しくて恐ろしい人なのか、ナオは親戚の家に預けられていて家の中で肩身の狭い思いをしているかのどちらかだったが、確かめることはしなかった。

優斗はナオのことを詮索しないと決めてからはより楽しくて幸せな時間を過ごせた。余計なことは気にせず、今目の前にいるナオを大切にしようと思ってからは、どんどんナオが魅力的になっていく気がして不思議だった。それは単にナオ自身のことを知っていき新たな魅力に気付いたということと、ナオに紛れもない恋をして盲目気味になっていただけのことであったが、優斗にはナオに魔法でも掛けられているかのように感じられていた。

しかし幸せな時間にも終わりがきた。優斗が都会の家に帰る日が来たのだ。初めから分かっていたことだったのに優斗はすっかり忘れていた。

優斗は帰宅する前日、ナオに言おう言おうと思いながら言い出せず、とうとう夜になってしまった。

「大丈夫? 今日一日ずっと変だったよ?」

ナオが心配そうに優斗を覗き込んだ。その表情はどこか不安げで、儚くて、綺麗だった。手放したくはないけれど、何も言わぬまま別れることはもっとしたくない。優斗はそこでやっと決意を固めた。

「今日ずっと言おうと思ってたんだけど、俺、明日帰ることになったんだ……」

「え?」

ナオの瞳が揺れる。優斗は慌てて何かを言おうとするが、何と言ったら良いのか分からず、中途半端に開かれた口からは言葉が出て来なかった。そしてナオはその目を伏せてしまった。

「そう……」

ナオにも分かっていた。優斗がこの土地の者でない以上いつか自分の土地に帰る日が来るのは仕方がなかった。

「優斗……。優斗は、楽しかった?」

「楽しかった、楽しかったよ!」

「ホント? 良かった」

ホッとしたような、今にも泣き出しそうな、そんな顔を見せてナオは微笑んだ。

「俺、ナオのこと好きなんだ。初めて会ったときから、毎日会う度にもっともっと好きになった。俺、今日でナオとの関係終わりになんてしたくないんだ。だから……、俺と、付き合って欲しい」

想いが破裂したように言葉が溢れた。だけど後悔はしたくないから、誤魔化したりせずにナオを見つめた。ナオは思ってもみなかったというように驚いた顔をしていた。逆に優斗はそれが意外だった。毎日誘ったりしたし、一緒にいるときの自分の様子で殆ど気持ちがバレていると思っていた。そして、自分の気持ちに気付いていながら一緒にいてくれるということは、もしかしたらナオも自分に同じ気持ちを持ってくれているのかもしれない、そう思っていた。しかしナオが自分の気持ちに全く気付いていなかったのなら望みは薄いかもしれない。

ナオは戸惑っているようだった。駄目かもしれない、優斗がそう思ったとき、ナオはゆっくりと頷いた。

「え、いいのっ?」

諦めかけた瞬間だったため驚いて聞き直すと、ナオはもう一度頷いた。

「俺、俺、来年もまた絶対来るから!」

ナオが頷く。

「今度来たら、俺またいつもの時間にいつもの場所で待ってるから」

ナオは頷く。

「俺、俺……」

またしても優斗は言葉を失った。何か言いたいが言葉にならない。だけど気持ちが溢れてくる。次の瞬間、優斗はナオを抱き締めていた。

ナオは携帯電話を持っていないらしかった。何か事情があるのだろうが、家の電話番号も住所も場所も教えてくれなかった。だから今日別れたら来年またナオに直接会うまでナオと一切の関わりを持つことは出来ない。だから優斗はナオの感触を確かめるように力強く抱き締める。腕の中でナオが苦しそうに唸るのも気にしない。

「またね」

「うん」

「また……」

「うん」

「また会お」

「うん」

ナオの声が聞きたくて、優斗は何度も問い掛ける。

しばらくの間優斗はナオを離さなかった。しかしいつまでもそうしている訳にはいかない。もう随分と遅い時間になってしまった。優斗は名残惜しさで、ゆっくりとナオから体を離した。

「じゃあ、また来年……」

「うん……」

そう言いながらも二人ともなかなかその場を離れようとしない。

「今日は、私にお見送りさせて?」

「分かった」

意を決したように優斗は後ろを向いて歩き始めた。しばらく歩いてから振り向くとナオが手を振っているようだった。それほど離れたとは思っていなかったが、今日の空は暗く、ナオが手を振っているのが辛うじて分かる程にしか照らしてはくれなかった。その場で少しの間、ナオによく見えるように大きく手を振り返してから優斗はまた歩きだした。これでもう、次にナオの姿を見られるのは今から一年後だ。



祖父母たちの待つ家に着くと、中は慌ただしかった。意外なことに弟の和樹が一番落ち着いていた。帰り支度はいいのかと聞くと、今日一日の暇を潰すためにゆっくりじっくりやったのだから支度は完璧だと言った。

慌ただしいのは主に母親と祖母だった。

「おや、なんかあったかい?」

そう声を掛けてきたのは祖父だ。母と祖母が騒がしくするのを楽しむように眺めていた祖父が優斗の方を見て表情を読み取ったようだ。

「別に……」

「寂しくなるねぇ」

優斗はドキッとした。ナオとのことがバレていたのかと思った。しかしすぐにそうではなく、自分たちが家に帰ってしまうからだと気付いた。そしてナオのことで頭がいっぱいで祖父母とのことを考えもしなかったことに少し罪悪感を覚えた。

「優斗、おじいちゃんもおばあちゃんも、優斗たちが元気なだけで凄く嬉しいんだ。その上こうして毎年顔を見せに来てくれる、それで十分だよ。優斗と和樹はね、自分の見たいところをしっかりと見つめればいい。お父さんとお母さんはきっとそんな優斗たちを見ていてくれる。そしておじいちゃんとおばあちゃんはそんな優斗たちみんなを見ている。ね、それでいいんだよ」

祖父には全てバレバレなんじゃないかと優斗は思った。

「来年、また来るからね」

「はい、待ってるよ」

優斗は笑った。祖父も笑っていた。

それから優斗は帰りの支度を始めた。和樹と違って散らかしたりしなかったたので、支度を終えるまでにそれほど時間は掛からなかった。



優斗が去った後をナオはジッと見つめていた。優斗が最後に振り返った顔がまだ網膜に焼き付いている。ナオに良く見えるように手を大きく振り返してきたので自分が手を振ったのは見えていたようだ。しかしその表情からナオ自身のことはもうあまり見えていなかったのかもしれないとナオは思った。自分と優斗の違いを感じた。

優斗はもう行ってしまった。時間と共にその思いが強くなっていった。優斗を騙してしまった。とうとう最後まで何も言えなかった。本当は言わないといけなかったのに。優斗に本当のことを話さないといけなかったのに。自分は、人間じゃないんだって。

「優斗ぉ……。優斗、ごめんね……」

ナオはその場に泣き崩れた。優斗が自分を好きだと言ってくれた。そんなこと有り得ないと思っていたのに。嬉しくて受け入れてしまった。優斗を騙しているのに。そんな気持ちが溢れてきて、ナオを押し潰そうとする。

優斗がナオを好きだと言ったことがナオには嬉しくて、だから余計に言い出せなかった。そして嬉しい分だけ、本当のことが言えずに騙しているのが辛かった。

ナオは人間ではなかった。もっと言えば生きてすらいない。

ナオと優斗の初めての出逢いはいつもの待ち合わせ場所。そして、ナオが死んだその日。

ナオは優斗がエサを与えた猫だった。前日の大雨の影響で弱り瀕死の状態だったときに、ナオの前に優斗が現れた。ナオのことをしばらく眺めてから優斗は去り、しばらくするとエサとミルクを持って戻ってきた。そのときナオは既に虫の息だったが、エサとミルクを運んできた優しい優斗に恋をした。自分はもう助からないと分かっていたが、優斗を悲しませたくないから最後の力を振り絞ってエサを食べるフリをした。優斗はそれを見て去っていった。ナオの心は満たされた。嬉しいなぁ、恩返し出来たらなぁ。そう思いながらナオは息絶えた。

気が付いたらナオは人間の姿で立っていた。体の所々がユラユラと蜃気楼のように揺らめいて安定しなかったが、意識ははっきりしていた。恩返しがしたいという気持ちがナオの存在を支えているようだ。今のナオはアヤカシのようなものだった。しかしナオは恩返しをするチャンスを得た。自分が死んだことが優斗にバレないように、優斗が置いていったエサとミルクは中身だけ捨てた。

翌日待ち伏せしていたナオの前に優斗は現れた。優斗に自分の姿が見えるか不安だったが、何度か呼びかけたときに優斗が自分に気付いたのでナオは安心した。

それからナオは優斗に恩返しをして消えるつもりだった。

その日は優斗に恩返しをすることは出来なかった。翌日再び会う約束が出来たことが嬉しかった。恩返しをすることがナオの存在を支えていたが、ナオは死ぬ直前に優斗に恋をしたのだから少しでも長く一緒にいられることになったのはナオにとっては嬉しい出来事だった。

それからもナオは恩返しという名目で優斗と一緒の時間を過ごした。しばらくそうしているとナオは優斗の傍から離れたくないという思いが芽生えてくることに気付いた。しかしそれは叶わないこと。恩返しが済めば消えてしまう。今は優斗が明日も会おうと言ってくれるから、優斗の願いを聞くことは恩返しに繋がるから存在出来ているだけなのだ。

そうして優斗と一緒にいる時間を伸ばしていた。しかし、それも優斗が地元に帰ることになったら出来なくなる。優斗への気持ちが強くなればなる程ナオはその日がくるのが恐かった。

そしてとうとう今日、恐れていたことを告げられてしまった。終わったと思った。どうしようもなく辛かった。それなのに、優斗はナオに好きだと言ってくれた。その上来年また会おうと言ってくれたのだ。嬉しい。本当に嬉しい。その約束があればきっとまた優斗と会える。そう思ってナオは優斗の告白を受け入れ、その約束を交わしてしまった。

しかし、自分が猫でしかも既に死んでいることを隠して優斗の気持ちを受け入れるのは最低なことだ。騙しているのと同じだ。真実を知っていれば優斗が自分に告白するなど有り得ないのだから。

優斗のことを想うならば本当のことを話して、二度と優斗の前に姿を現さないよう消えてしまわなければならないのに。自分がしているのは最低なことだ。優斗に対する酷い裏切りだ。

優斗が行ってしまって、ナオの心をそんな気持ちが支配していった。それと共にその心が壊れていくような苦しみを感じた。

結局優斗には本当のことが言えなかったが、一度優斗の気持ちを受け入れてしまった以上、真実は告げずに消えた方が優斗にとっては良いことかもしれない。ナオはそう思い始めた。

優斗がまた来年と言ってくれた。それだけで十分じゃないか。これ以上を望むことは、人でも生者でもない自分には許されない。優斗が楽しかったと言ったのだから自分の役目は終わりだ。優斗が傷付く前に消えよう。そうナオは思った。

「ごめんね、優斗。ごめんね……」

優斗の名を呼びながらナオはその場で泣き続けた。そして何度も何度も早く消えてしまおうと思った。来年会おうという約束を破ると、何度も決意しようとした。

「だけど、だけどそれでも私、優斗とまた会いたいよぉ……」



翌日、朝から優斗たち家族は各々の荷物を担いで祖父母に別れを告げた。

「じゃあね、おじいちゃん、おばあちゃん、また来るから」

優斗がそう言うと祖母は「楽しみにしてるよ」と言い、祖父は「待ってるよ」と微笑んだ。

皆それぞれが別れを済ませてから一行は出発した。その様子を遠くの陰から一匹の真っ白な猫が見つめていた。

「あっ」

優斗が声を挙げた。

「何?」

和樹は暑さと荷物の重さのせいか不機嫌そうだ。

「いや、あそこにこないだの猫がいたような気がして」

「どこ」

眉間にシワを寄せている和樹と一緒にもう一度覗き込んだが、猫の姿はもうどこにもなかった。

「しっかしまだまだ暑いなぁ」

和樹が恨めしげに太陽を睨みながらこぼした。

「ああ、だけど、この暑さももうあと二、三日だとさ。それからは秋に向けて涼しくなっていくさ」

優斗たちの前を歩いていた父親が過ぎていく夏を噛み締めるような顔でそう言うのが、なんだかアンバランスだった。だけど父親の気持ちは優斗にも分かった。涼しくなってくれるのは嬉しいが、夏は夏でなかなか良いもので、夏の間だけは暑さのせいか、なんだか異世界と繋がっているような不思議な揺らぎを感じるときがあって、それがなんだかワクワクするのだ。

だけど季節の移り変わりと共に、世界が元の、本来の姿に戻っていく。その世界に生きる自分たちも、元の日常に戻っていく。それがなんだかもの寂しい。

「お父さん、来年の夏はまた暑いかな?」

「おお、来年の夏もきっと暑いぞ〜」

こうして、今年の夏は過ぎていった。


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