6月のゲジゲジ
習い事3
先ずは頭の中で生けてみる。
スポーツをする人がするイメージトレーニングのようなものだ。
生ける形も大切で、花を生ける際、流派によってその形は異なるが、墨田流には大きく分けて三つの形式がある。
一つ目は、いけばなとして歴史的に最も古く、一定のきまりを守って複雑な形をつくる『立花(りっか)』
それから、三種類までの花でシンプルに生ける形をとる『生花(せいか)』
最後に、文字通り決まりを持たずに自由に生ける形をとるのが『自由花(じゆうか)』
どれも奇数で生けることが原則で、それぞれの中にまた細かな手法がある。
それらの一つ一つを覚えるだけでも一苦労だが、更に苦心するのは教わった通りに生けられることが極めて稀であるということ。
特に、生ける際の生け手の気持ちは作品自体に直接反映されてしまうので、未熟な心持ちでは直ぐに作品に感情が表れてしまう。
何年経っても教わった通りにはいかない。
繰り返しの練習と、粘り強く花と自分に向き合う姿勢が、生け花には不可欠だ。
作品が出来上がると、想像力をフルに働かせて気を張っていたためかドッと疲れが湧いてきた。
周りを見渡すと、真剣な顔つきで、首を捻って思案している人がまだ数人いた。
「出来ましたか!?あら。遅刻してきた割には……」
(いい出来でしょ!?)
ヨネ子さんが言わんとする言葉の先を、ボクは心の内で引き継いだ。
今日は良いことが続かなかったので、ボクは思わぬ作品の出来に、嬉しくて自然と顔の筋肉が緩んだ。
「まったく、あなたという人は。こういう時は謙遜するものですよ。良い出来に心踊るのはわかりますが、表に出しすぎです。分かったらそのニコニコ顔を引っ込めなさい」
(うっ……バレたか)
ボクは慌てて顔を引き締めると、ヨネ子師範の直しを受けた。
「全体に良い出来です。ただ、左のこの松は余分でしたね……それから……」
作品の削除は本当に勉強になる。
今の自分に何が足りないのかが、明確になるから。
師範が一通りみんなの作品を見てアドバイスを終えた頃、日は完全に落ちて外は暗かった。
「最後に、今日は皆さんにご紹介しておきたい人がおります」
師範の大仰な台詞を聞いた生徒たちは皆、まっすぐに姿勢を正して前を見た。
「それじゃあ、お入りなさい。パンちゃん。パンちゃ〜ん」
師範から放たれた思いもよらぬ甘え声に、一同はずっこけそうになった。
その姿は、ボクに『ヨネ子さんとお呼び』と叱りつけた素の彼女だ。
でもヨネ子さんは、おじじの話をする時だってこんな声は出さない。
「なんだ!?師範のあの黄金糖並みに甘ったるい声は!?一体相手は誰なんだよ!?」
「先生がベタ惚れなんですもの!!きっとどこかのお家元よ」
「いいえ、意外にも間男だったり……やるわね。先生もまだまだお若いわ!!」
生徒たちによる勝手な憶測が飛びかう中、ボクは見た。
あの風貌は、一度目にしたら二度と忘れることはない。
やっぱり今日のボクには男難の相が出ている。
軽やかに襖(ふすま)が開かれると、マラカイトグリーンの瞳がしっかりとボクを捉えた。
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