6月のゲジゲジ
単衣の男2
ただ青い顔をしたボクは、睨み合う二人を呆然と眺めていた。
(わ……わ、別れるって。へっ!?だってパンちゃん男でしょ!?この人だって…………えぇ!?ええぇーーー!?)
今まさに一触即発の状態の二人を余所に、経験値オーバーを期したボクの頭は大いに混乱し、とても二人の会話にはついていけなかった。
「大体何だよ!?このソラ豆みたいな顔した冴えない丸メガネは!?」
男はボクを指差しながら、さも気にくわないと言わんばかりに見下ろしてくる。
「ソラ豆……うまいよ」
(パンちゃん……どんなフォローだよ。しかもそんな無表情で)
ショックで固まるボクを置き去りに、パンちゃんはボクをマジマジと見た。
「そういう話をしてんじゃねぇよ!!」
案の定、この一言は相手の逆鱗に触れたらしく、男の手に一層の力が加わった。
「…………っ!!」
(い、一体どうしたらいいんだ!?誰か呼んだ方がいいのかな!?)
どんどん締め上げられるパンちゃんの腕が赤く変色してきた。
「ちょっと待って下さい……あの、手を離してくれませんか!?」
「あんたは黙ってろ!!これは俺たちの問題だ!!」
「もちろんです。でも、パンちゃんの腕が可哀想なので……とりあえず離してあげて下さい。それに、話し合いなら腕を締め上げなくたっていいでしょう!?」
「ーーっ!!このガキっ!!」
平手打ちの一発でもふってくるかと思ったけれど、檜扉が動く気配に男はパンちゃんから手を離した。
「何事です!?」
(ヨ……ヨネ子さん!!救いの女神ならぬ、救いの老婆だ。神様も捨てたもんじゃない)
「あら、あなた。確か斑目さんのところの新見さん……でしたか!?以前一度、池波先生の展覧会でお会いしましたわね。斑目先生は元気にしていらっしゃるかしら!?腰を痛められたと聞きましたけど」
「墨田流のご当主に名前を覚えて頂けるとは光栄です。えぇ、お陰様で家元はピンビンしていらっしゃいますよ」
「そうですか。それは残念ね」
ヨネ子さんは心底残念そうに振る舞った。
「また悪いご冗談を……」
(冗談!?……本当に!?)
「ふふ、当然ですわ」
(く……黒い!!黒すぎる!!)
多分ヨネ子さんは本気で言ったんだ。
その証拠に、この雨空の中、二人から放たれる禍々しいオーラで辺りが一段と陰鬱とした。
今現在、華道界には凌ぎを削る大きな流派が三つある。
一つ目がさっきヨネ子さんの話にも登場した池波流。最も歴史が長く、いわば華道界のエリート集団だ。
次いで、ヨネ子さんが率いる墨田流。温故知新で昔からの生け花もするし、新しいものにもどんどん挑戦する花を愛する自由派集団。
最後が、斑目流。血気盛んなタイプが多いこの流派は、ダイナミックな作品を作る人が多い。猪突猛進型の猛者だけが集まる熱血派集団だ。
そういえば昔、聞いたことがある。
ウチと斑目は…………滅茶苦茶に仲が悪いと。
代表同士が仲が悪い為か、その影響は下々にまで及ぶ。
それがわかっているのか、隣に立つパンちゃんも掴まれた腕を軽くさすりながら、二人の黒いやりとりに…………ちょっと引いていた。
(何か余計にこじれてきてないかコレ!?どうしたらいいんだよコレ!?)
「何かご用でしたの!?」
「いえ、使いの途中で門前を通りかかったらちょうど二人が出てきたものですから……生徒さんにご挨拶をと思いましてね。なに、もう済みましたので、私はこれで失礼しますよ。それでは、御免下さい」
新見は丁寧にお辞儀をすると、ボクには一瞥もくれずに帰っていった。
「さあ、真野くん。あなたも早くお帰りなさい。また雨足が強まって来ましたよ。まったく、こんな時間まで何をしていたんです!?」
「あなたが花器を運べって言ったんでしょうが!!」
ボクが必死に抗議をすると
「あら。そうだったかしら!?」
あっさりとボケ返された。
「帰ります」
「そうなさい」
パンちゃんはボクに傘を手渡すと、少し屈んでボクの目線に合わせて申し訳なさそうに呟いた。
「真野……ゴメン。嫌な思いさせて。気をつけて」
そう言うと、パンちゃんはボクの左頬にそっと触れるだけのキスをした。
『○☆♪∽♂¥ё!!』
「あらまぁ、若いわねぇ」
マジマジとボクとパンちゃんを見入るヨネ子さんは、『良いものをみたわ♪』と嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ぎやぁぁぁぁ!!なっ……なにす…」
「ゴメンとありがと。……さっきかばってくれたから。口がよかった!?」
パンちゃんはさもこれが普通とでも言うように、小首を傾げる。
「し、し、しし失礼します」
ボクは深々とお辞儀をして、本日二度目の全力疾走をした。
(ちゅーされた!!ほっぺにちゅーされた!!あわわわわわ……パ、パンちゃんはやっぱりそっちの人なのか!?そうなのか!?)
和装で通りを駆け抜けながら、ボクは一人悶々と考えていた。
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