6月のゲジゲジ
弟子3
ボクたちは黙々と花器を片付けた。
互いに何を話すわけでもなく、ボクに至ってはこの状況から一秒でも早く解放されたいとただ切に願っていた。
(…く…っ……)
だけど、いくら何でもこれは。
(………き……きまずい)
沈黙をものともしないタイプなのか、彼は静かに別室に花器を運んでいく。
廊下を行き来するたびに、ボクの視界の先では朱色の髪が左右に揺れた。
降り続ける無数の雨がトントンと戸を打ちつけ、いつまでも不規則に鳴り響いていた。
先にボソボソと頼りなく口を開いたのは彼だった。
「……ル……う」
「へっ!?」
ボクはいきなりの不意打ちにすっとんきょうな裏声を発した。
「す、すみません。もう一度仰ってもらえますか!?」
声の小さな彼の言葉が届く位置まで移動を図る。
花器を持って前後に離れて歩きながら話をするのも危ないので、ボクは彼から半歩下がった場所に身を置くことにした。
「タオル……ありがと」
二人で廊下をゆっくりと歩きながら、彼はもう一度そう口にした。
(バ……バ、バレてる!!何で!?どうして!?)
パンちゃんがいつ気がついたのかは判らないが、気がついていたなら早く言ってくれとボクは叫びたくなった。
身体が火照って、顔も掌もお腹も肩もやたらと熱かった。
ボクが一人、過剰に彼を意識して勝手に浮き沈みを繰り返していた間に、彼は顔色ひとつ変えないでボクを見つけ出していたのだ。
(は……はずかしい)
「あ、ぁぁあの、いつ気がつかれましたか!?」
とりあえず聞いてみる。
「……さっき。真野が、なんか肉まんみたいな人とはなしてたとき」
ツラツラと控えめに彼は主張した。
「あっ…ハハッ。あっ、そうですか。すみません私語なんかして。ハハハッ」
(ボッ、ボンレスハムー!!!!)
「…………ぬれた!?」
「あっ、大丈夫です。予備のタオルあったので……はい」
「……よかった」
(えっ!?)
二酸化炭素を吐き出しながら、彼はその目に安堵の優しさを映した。
着物を身にまとっていても、その奇抜な格好はちょっと近づき難いけれど、案外いい人なのかもしれないと思った。
「タオル……今度洗って返す。あと、敬語いらない」
「いや、そんな。無理です。それに、タオルは捨てちゃって構いませんから」
「……敬語イヤ」
イヤって……。
さっき曲がり角で会った時は、ボクが逃げるようにしてその場を去ったから気がつかなかったけど、どうも彼の見た目と話し方がミスマッチしているように感じる。
抑揚のないボソボソとした話し方。時々片言のようになる言葉の癖。どこか子供っぽさがチラつく話し方だが、何故かそれが彼の魅力の一部になっているのが不思議だ。
「敬語イヤ」
彼はちょっとふてくされながらボクに再度念を押した。
「あっ!は……ぃ。いや……うん。でも、本当にタオルは返さなくていいから。『スーパーとくとく』で洗剤のおまけに貰っただけだから」
しばらくすると、わかったと小さな返答が寄越された。
「あの、ところで、ヨネ……師範とはどうやって知り合ったの!?」
年齢不詳だけれど、恐らく二十歳前後くらいであろう彼が、いかにして華道界の重鎮と出逢ったかに興味を引かれた。
「…………ばあちゃん」
「えっ!?おばあちゃんなの!?」
(は、初耳だ。ヨネ子さんの家族ってそういえば誰一人見たことがなかったけど……なんか、濃い家系だな)
「じゃあキミはさ……」
「パンちゃんでいい」
あぁ……。自分で『ちゃん』まで言ってしまうんだ。というよりも、彼に本名はないのだろうか。でも今ので、ボクは彼にヨネ子さんの片鱗が少し垣間みえた気がした。
「パ、パンちゃんはずっと生け花してたの!?」
男の子をちゃん付けする機会など、友達の少ないボクにはほとんど経験がなく、思わずどもってしまった。
「……子供のときからずっと」
成る程。ヨネ子さんのお孫さんの上に、子供の頃からずっと花を教え続けていたのならば、ヨネ子さんのあの甘い態度もしっくりとくる。
「そっか。ボクも時間だけは長く生け花してるけど、てんでダメ。ハハッ。……パンちゃんの今日の作品は本当に凄かった」
(ちょっと悔しくなるくらい)
そう付け加えようとしたボクの弱さは、ぐっと堪えた。
同じテーマ、同じ取り合わせを使っても歴然としていた実力差。
なまじ上手く出来たと喜んだだけに、そのショックは鉛のように重くズッシリと、ボクの身に降りかかったんだ。
「ダメじゃない」
「でも……」
「……ダメなんかじゃなかった。花は誰かとくらべるものじゃない。ばあちゃんがいっつも言ってる。真野は精一杯に生けた。それは作品見たらわかる……オレは真野が生けた花、すきだ」
グリーンの瞳でまっすぐ、まっすぐに見詰められた。
これは格好良い。女の子ならイチコロだろう。
「うっ…………あっ、う、うん。どうも、ありがとう」
ボクは男の子だから恋に落ちたりはしないけれど、それでもこれ以上ないと言うほどに全身が熱を持った。
初めてそんな風に面と向かって作品を褒めてもらえたから。
嬉しかった。
これ以上ない程に。
それからボクたちは重たい花器を全て丁寧に運び終えると、荷物を取りに床の間に戻った。
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