第三の国
獄中の計画2
生唾を呑んで頭上の通気孔を睨む。暑くもないのに手には汗がにじんで瞬きも止めた。
相手が敵なら鋭利な刃物の切っ先でも光るだろう。そう思うと身体は自然と構えた。
「叫ばないでくださいねー」
気の抜ける言葉遣いに油断を誘われる訳にはいかない。味方を装った敵かもしれないんだ。俺は騙されねぇ。
「ふんぬりゃぉ!!」
奇妙な掛け声と共に頭上からは外の土が降って来て、俺は体にかからないよう無意識に後退りした。
「今晩は」
――――ギヤァ!!!!!
現れた男の生首に俺は獣のように叫びそうになって慌てて自分で口を塞いだ。地面に腹這いになって狭い通気孔から無理やり顔を出している。首元にチラリと見えるオンボロの服が味方であることを物語っていたけど、見慣れない顔がどうにも不信感を募らせた。
「ゴーダさんですね!?初めまして。私ペコリーノと申します。ロックフォールさん始め宮殿奴隷の方々からの依頼でここまで参りました」
ああ、握手が出来なくて残念だ。私の腕がもっと長ければ――言いながら通気孔から頭を下げる男に俺は黙ったままでいた。最近気づいた聞こえの悪い左側を庇いながら骸骨かと思うような男の細面を眺めた。
突き出した頬骨や大きな目玉が肉のない埋まっている。歳は四十くらいか。奴隷服を着てロックフォールの名前を出されてもどこか信じられなかった。
「生きてますね」
「それはどう受け取ればいい――死んでた方がロックフォールには都合がいいって事か!?いや、むしろあんたがここにいるのは本当にロックフォールの依頼なのかよ!?」
一つ疑い始めると次から次へと湧き出る懸念に囚われて、何もかもが信じられなくなっていく。
「といいますと!?」
小さな深呼吸をして肚を決め、真っ直ぐに上を見た。
「あんた本当に奴隷なのか!?」
男は黙った。
顔の表情、肩の筋肉、喉の動きに呼吸音。俺は男のわずかな動揺も見逃さないように注視して、いつ襲いかかってきてもいいように心だけは構えていた。
長い牽制の時間が流れる。息を呑む事さえ躊躇った。秋風が男の横をすり抜けて俺の伸びた髪を揺らす。
やがて男は正直に聞いてきた。
「何故そう思うのですか!?私が奴隷ではないと」
「あんたは俺を救いに来る奴隷の振りをして実は殺しに来たんじゃないか!?」
「なるほど。面識のない私が疑わしいわけですね」
「ああ、信じられない。監視だと疑えば尚更だ」
「何とも素直。そして想像力が豊かですねー。では伺いましょう。一体私を使って誰がそんな企みをするのですか!?」
「瀕死の高砂」
畳み掛けるようにして言葉を繋いだ。
「監視長の下にいるヤツなら奴隷服の調達なんかわけないだろう。アイツは俺を憎んでるはずだ。処刑班に引き渡す前に殺してやりたいと思ってるに決まってる!!!!」
「ゴーダ少年、私の不恰好をご覧なさい。こんな狭い所から顔を出してあなたを殺す!?こんな間抜けな暗殺者がいますか!?ははっ、冗談にしても笑えない」
そんな事を言うくせに無遠慮にケタケタ笑う骸骨の生首に気持ちがささくれ立っていった。頭に血が昇る。
「でもそれは違いますね。あの人があなたを憎んでいる!?逆でしょう。生意気な子供のいい厄介払いが出来たと腹の中で笑っていますよ……だってそうでしょう!?自分の手を汚す事なく処刑班が公にあなたを消してくれるんですから」
思い上がりの勘違いもたいがいにした方がいい。
見下しながら通気孔の生首は俺に言った。怒りで体が震える。でも真実の鞭が今まで受けたどの鞭よりも痛かった。
「今さら殺す程の価値なんてあなたにはないんです」
視界がぐにゃりと歪んでいく。よろめきながら足に繋がった鉄球の重石を引き摺って側にあった樽に手をついた。臭い。濁った水には蒼白の自分が映っていて情けなくこちらを見返していた。
「あなたの親友。チェダーさんでしたっけ!?私も一度お会いしましたが、綺麗な方ですね。今まで性奴隷にされなかったのが不思議なくらいだ」
樽に寄りかかって聞こえてきたのは久しぶりに聞く友人の名前だった。
「いいじゃないですかー。あの人は慈悲深い方ですからきっと可愛がられていますよ!?」
―――身体ごとね。
安い挑発だと分かっていた。でも親友を罵倒する男の言葉に何かが弾け飛んだ。
笑う膝に気合いをいれると俺はボロ布の囚人服を脱いで樽に両腕を突っ込んだ。立ち上がる臭いも気にせず服全体が重みを増すまで水に浸け、引き上げた布塊を小さく丸めて袖の部分を持って振り回す。
「腐った飲み水を置いてった監視に初めて感謝するよ」
小さく笑いありったけの力を込めて生首目掛けてぶん投げた。
「ブ…ッ…ハァァッ!!!!」
男の鼻に命中した特性玉は床に弾けて水を撒き散らし、当の本人は衝撃で頭を通気孔の角にぶつけ鼻血を垂らしていた。
「ふざけんじゃねぇ!!どうせ敵なんだろう。だったら回りくどいことしてないで降りてこいよ骸骨野郎!!ぶっ飛ばしてやる!!」
足元の樽蓋を踏みつけながらこめかみの血管が膨れ上がっていくのを感じた。体は熱く、口は汚く罵り、骨を通して自分に響く罵声にも苛立った。目の前の男が許せない。
もう一度服を掴んだ時、男の横に別の顔が現れた。
「何だよペコリーノ!!お前そんなヤツだったのかよ!!ロックフォールが大丈夫だって言うから信じてここまで着いてきたのに……お前は何て嫌なヤツなんだ!!バカ、バカペコリーノ!!」
「あいたっ!!もうー、何をするんですか。あなたは私がよしと言うまで黙っていると約束したでしょう!?どうしてくれるんです、台無しじゃありませんかー」
「ウルサイ!!バカ!!チェダーはきっと闘ってるよ!!ゴーダだってあんなガリになって…うっ…皆は死んでるかもって言ったけどやっぱり生きてたじゃんか!!エメンタールだって奴隷から白い目で見られても頑張ってるよ!!みんな闘ってんだ!!それなのに――そんな言い方するなバカヤロー!!」
それは懐かしい幼顔と聞き覚えのある高い声だった。
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