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第三の国
あけびとエメンタール11


「何か用ですかね!?あんまり一人にしたくないんですけど」


俺はゆっくりと振り向き、棘のある口調で自分とチェダーを無理矢理引き裂いた男に不満を漏らした。室内を照らす暖かな蝋燭の炎が、ゆったりと長椅子にくつろぐ主を優しく包んでいる。



「お前はあいつの母ちゃんかよ。源平がついてるだろ。いいから座れ」


軽く鼻で笑いながらあけびは手にした二つの杯に酒を注いだ。チェダーを追って立ちつくしていた俺はため息を吐きながら黙って席についた。自分の重みの分だけ沈むこの高そうな椅子は、どうも落ち着かない。



居心地悪く目の前に置かれた杯に目をやると、なみなみと注がれた酒からはほんのり甘い香りがした。その嗅ぎ慣れた蜂蜜の香りに、二人だけになった警戒心が少しだけ和らいだ気がした。


机には新鮮な果物が積まれてあり、あけびはその中からレモンを取り出すと備え付けの小さなナイフで手際良く輪切りにした。みずみずしい黄色の果肉の爽やかな芳香が部屋を充たす。あけびは指についた果汁を音を立てて舐め、その絵画のように様になる一駒に俺は無意識のうちに釘付けになっていた。


「なに見とれてるんだよ!?」

あけびは楽しそうにくつくつと笑いながら余裕の表情で俺を眺めた。


「べつに。見てません」


素っ気なく答えたつもりだったが、図星を指摘されて高鳴る俺の鼓動がまるで聞こえるかのように、あけびは口元だけで笑ってみせた。



見透かされている。どんな小細工も通用しない。あけびを前にするとふとそんな気にかられるのは何故だろうか。


俺が物思いに耽っている間に、あけびはレモンの汁で濡れた手を綺麗に拭って懐から小さな袋を取り出した。何かが転がり落ちる音に顔を上げた。


卓上には袋から転がり落ちた小さな球体がいくつか横たわっている。その白く光る物体に俺は目を凝らした。そして、その正体に驚いた。



「……真珠!?それも、ミモレットの!!」


「ああ。お前、よく分かったな」


「パニール内じゃどこでも真珠は採れるけど、そんな粒が大きくて光沢を放つのはミモレットのだけだ!!」

島の集まりからなるパニールでは、俺たちのいるリコッタ以外にも代表される島が三つある。そのひとつがミモレットであり、リコッタ西に位置するミモレット沖では一等上質な真珠が採れることで有名だった。特に婚儀が決まった花嫁への贈り物として、首飾りや耳飾りをあつらえるのがリコッタでの古くからの習わしになっていて流通も多かったのだが……。卓上に転がる真珠に、息を飲む。



和神の支配下に置かれる前は町でも盛大に婚礼が行われていたけど、記憶に残るどの花嫁を飾りつけていたそれよりもあけびが手にしているのは大きい。


「さあ、見てろ!!」


あけびはそのうちの二つを取り出すとあろうことか酒の中に入れてしまった。


「ちょっ!!何してるんだよ!!バカか、あんた!!」


「いいから黙って見てろって」


商法の一環で勉強した真珠の価値が咄嗟に頭を過り俺は慌てて止めに入ったが、伸ばした手をあっさりとあけびに捕まれて俺は勢いを削がれた。


ミモレットの真珠を酒に交ぜるなんて何て物の価値を知らない馬鹿な真似をと、激しい怒りと困惑に体を熱らせながら杯を見ていると次第に変わる異変に気がついた。


「泡が……」


時間が経つにつれ溶けだした真珠からは気泡が出ており、杯にいくつもの粒が現れた。耳を近づけるとぱちぱちと何かが弾ける音がして、驚いて杯を覗き込んだ。そして、いつまでもそうしている俺の頭を手でどかし、あけびは先程切ったレモンの輪切りも杯の中に落とした。


「飲め」


蜂蜜とレモンの甘酸っぱい香りが鼻孔をくすぐる。どんな味がするのか、高まる興味を抑えられずに杯に口をつけた。はちみつの甘味と軽い口当たり、そして舌の上で弾けるあの気泡が不思議な感覚だった。


「おいしい」


素直に呟いて、ハッとした。目の前にいるのはこんな風に純粋な自分を見せたい相手ではない。心中で自分の間抜けさを叱責して、ふてくされながら満足気に酒を啜る男に嫌味を言った。


「……いつもこんな豪華な飲み方を!?」


「冗談よせよ。来客全員にこんな手の込んだ酒を出してたら、俺は三日で破綻する」


じゃあどうして裕福な貴族でも位の高い監視でもない、ただの奴隷である俺にこんな物を出すのか。不可解だった。


「これは特別なやつだけだよ」


「そうみんなに言ってるんだろ!?」


「ハハッ。さあな。でもまあ、気に入ったみたいで良かったよ」


はぐらかすように答えたあけびに、少し苛立った。何でこんな事で苛立つのかも分からず、また腹を立てた。ぐびぐび酒を飲みたい気分だったが、一口飲む度に高価な真珠のことが頭を掠めてそれさえも叶わない。



「それで!?何の用です!?」


俺は冒頭の台詞を再度繰り返して、どこか掴めない相手を睨み上げた。


「いつまでベッタリくっついてるんだ!?」


明らかにチェダーのことを指しているその言葉に俺は少しだけ眉を潜めた。どうしてあけびがこんな事を言うのか、その真意が掴めない。








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あきゅろす。
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