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小説
猫の日

僕は昔、猫を飼っていた。
珍しい金色がかった毛をした小さな猫。真っ直ぐに僕を見上げる大きな目とシャンと伸びた背筋。気まぐれに僕に擦り寄って来て、僕が触ろうとするとパッと離れていく。思わせぶりな僕の可愛い猫ちゃん。


*猫の贈り物


名前は公一と言った。
僕がまだ小学生だった頃、近所の空き地で拾ったのだ。ボロボロに汚れてほとんど死にかけみたいな様子だった。でも家に連れ帰り、洗ってミルクを与えると途端に元気になりそこらを跳び回っていた。公一は好奇心旺盛な性格で僕の絵を描くための道具とか今までの絵とか、とにかく僕の大切なものを噛んだり引っかいたり本当に最初は大変だった。叱るといつも大きな瞳を震わせながら気まずそうにこちらを振り向いた。その顔が可愛くて可愛くて、たまらず僕はその顔を舐めてよく公一を怖がらせていた。小さな体を押さえ込んでレロレロと舐めあげると、ふぎゃふぎゃ鳴いて逃げ出そうとする公一。可愛かった。


僕が構ってやろうとするとプイと逃げ出す癖に、集中して絵を描いていると擦り寄って来て脚の間に潜り込んでくる。頭を撫でようとすると猫パンチするくせに、ご飯を作ってやっているとしきりに頭をこすりつけてくる。僕が笑っていると遠巻きにじっと眺めているだけなのに、泣いていると寄ってきて涙を舐めとってくる。


そんな素直じゃない僕の公一。真っ直ぐな背筋と大きな目を持った僕の公一。可愛い可愛い僕の公一。ずっと一緒に居たのに、いつも一緒に居たのに、公一はなんの前触れもなく僕の前から消えた。16歳の夏の日。僕の漫画が賞をとった日だった。上機嫌でちょっと高い猫缶を買って帰ったのに、公一はいつまでたっても姿を見せなかった。何度呼び掛けても、どこからも「ニャア」という可愛い声は返って来なかった。雪が降っても、桜が咲いても、公一は戻ってこなかった。いつか帰ってくると信じていつも窓を少しだけ開けていたけど、いつの間にかそれもやめた。あの日買った猫缶もいつの間にかなくした。公一を思って涙を流すことも無くなり、僕の毎日は漫画だけに埋め尽くされるようになった。それから数年、僕は一人だった。誰とも話さない。笑わない、泣かない、怒らない。面白い漫画を描く。そのためだけに僕は生きていた。日々色を失っていく日常を何とも思わなくなっていたある日、運命の出逢いが僕を襲ったんだ。伺うように僕の家に向かって来る人影。短い金色の髪。小さな体。


公一だと思った。公一が戻ってきたんだ、と。思わず呼び鈴を押そうとしている彼の手首を掴んで、我に返った。何をしているんだ僕は。この子は公一じゃない。第一この子は人間だ。しかし僕を真っ直ぐ見上げる大きな目、シャンと伸びた背筋、そして康一という名前。この子は公一じゃない。でも僕は欲しくなった。勇気があってかっこよくて可愛くて僕にだけ素直じゃない康一君が。彼が欲しくてたまらなくなった。公一の代わりじゃない。康一君自身が欲しい。そう強く思った。


康一君といる内にいつの間にか日常は色を取り戻していた。僕は一人じゃなくなった。鈴美お姉ちゃん、クソ仗助、億康、承太郎さん、そして康一君。皆に囲まれて僕は笑ったり泣いたり怒ったり。
きっと康一君は公一が贈ってくれた僕への贈り物なんだ。どんどん死んでいく僕への贈り物。僕を救ってくれた最高の贈り物。僕は絶対に康一君を一生大切にしようと誓った。大切にして、二度と手放さない。僕は今、幸せだよ。だからどうか、公一も幸せでいて。康一君も、公一も、ずっと大好きだ。君達と出会えてよかった。


ありがとう。



(2012年 猫の日)



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