□センチメンタル自販機 ─色取月─ 五感を駆使して濃厚な秋の気配を感じ取った修学旅行明け九月四週目水曜日の午後。 僅かな間お別れをしたこの街でも、其処彼処で秋の足音が響いているようだった。 例えば、学校を抜け出して今まさに向かっている、自販機群へと続く道の途中でも。 暖色に彩られつつある木々、手袋には早いけど冷たくなった風。 昨日まで振り続けていた雨もすっかり上がり、屋根に登って竿を振り回しても届きそうにないくらい、彼方に広がる青空。 たくさんの足音が反響し合って、また別の“秋音”を生み出しているようにも思えた。 ────なんて、詩的なことを想うのも、芸術の秋だから、かな。 適当に理由をつけながら、夏よりも気持ち静かに、ゆったりと歩く。 芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋。 隙間産業の得意なこの国なら“婚活の秋”なんてのも選択肢に上がるかもしれない。 法律的にはすでに結婚可能な年齢に達しているあたしだけど、今のところする予定もないし相手もいない。 ついでにしたいとも思っていない。 …………あくまでも、今のところ。 「後輩ちゃんの夏服も今日で見納め……あぁ、夏が終わってしまう!」 「先輩、夏なんてひと月前に終わってます」 「何を仰る後輩ちゃん。衣替えを前に夏が終わるなんて社会通念が許してもこの先輩が許しませんよっ」 「それじゃあ先輩の大好きな自販機さんに聞いてみてください。温かい飲み物、増えてますよね?」 「ぬぐっ、痛いところを……!」 そう、あたしが不在だった四日間の内に、いつもの自販機にはちょっとした変化があった。 おしることコーンスープだけだった自販機に温かいコーヒーや紅茶が追加されたのだ。 他の自販機には前から入っていた銘柄とはいえ、こうして人の手が加えられていることを確認できたのは、なんだか新鮮で、ちょっとだけ嬉しかった。 ひょっとしたら業者さんからも忘れられちゃってるんじゃないかと思うくらい見た目はボロになってきたけど、こうして商品の入れ替えがあったりするうちは大丈夫だろう。 この場所に、レトロな自販機たちは生きているんだ。 「別にいいじゃないですか、夏服の一つや二つ。来年の夏に────ぁ」 「うん。来年の夏には、もう卒業してるから」 「…………えっと、その」 「だからさ、今日は後輩ちゃんの夏服姿を網膜に焼き付けようと思うんだ」 「先輩……」 「あぁ、そうだっ、七月のときみたいにプリンシェイク飲みながら快走する後輩ちゃんなんて最高じゃないか! よしよし、さっそく買ってくるよ!!」 「え? や、ちょっ、まだ誰も飲むなんてっ」 「大丈夫! 夏服にプリンシェイクが似合う女子高生ランキングなら間違いなく後輩ちゃんが一番さ!!」 そんなイロモノランキングにノミネートなんてされたくない────そう思いながらも、先輩の“後輩ちゃんが一番”という言葉に、ついつい口元が緩んでしまう。 心だけじゃない。 表情だって、秋の空と一緒。 でも、できるなら。 今日くらいは、ずっとこの表情のままでいたい。 カーブミラーの向こう、照れ笑いを隠そうともしないあたしに、小さく手を振った。 ‡ ‡ ‡ 「そうだ。先輩、お土産です」 「お土産? おぉ、修学旅行の」 道すがら、この街に不在だった四日間での戦利品を手渡すべく、鞄を探る。 家族を除くと、個人的なお土産を渡すのは先輩くらいだ。 同級生は一緒に旅行に行ったし、部活に入ってないあたしは他に渡す人もいなかった。 「はい、なんとそれは────」 「楽しみだなぁ。確か広島から東に戻ってきたんだっけ? えぇと、宮島とか姫路城とか道頓堀とか? これはもう何をもらえても喜ぶ以外にないねっ。まさか後輩ちゃんに限って、途中下車した京都駅で買った生八ツ橋をお土産にするなんてこともないだろうし」 「────たった今、先輩へのお土産を渡さない法案が賛成多数で可決されました」 「え」 「それじゃあ今日はこれで。さようなら、先輩」 「ちょ、わ、ちょっと待ってってば! まさか後輩ちゃんのお土産って……」 「そうですよね、どうせなら通天閣のペナントとか買ってくれば良かったですよね、姫路城の模型とか買ってくれば良かったですよね。気の利かない後輩でごめんなさい」 「なっ、ばっ、そんなことあるもんかっ! 後輩ちゃんにもらえるお土産だったらなんだって喜んでもらうよ!」 これみよがしに、淡々と言葉を紡いでいく。 そんなあたしとは裏腹に、先輩の慌てぶりは面白くらいに加速していく。 そうだ、夏の始まる頃にあった冷水病の話のときみたいな感じだ。 本当は今すぐにでも笑い出してしまいたいけれど、ここは我慢。 目を軽く瞑って、可能な限りのすまし顔で、先輩に頭を下げて歩き出す。 数えて五歩。 それ以上は、足を出しても進めなかった。 なぜって、それは、先輩が──── 「せっ、せせ、先輩っ? 何をぅっ!?」 「からかってすいませんでしたっ、さっきのことは全面的に謝ります! ごめんよ後輩ちゃんっ」 「そうじゃなくてっ、その、て! 手が!」 「だって、掴まなきゃ帰っちゃうじゃんかっ」 「それはその、なんというかフリであって……あぁ、もう、拗ねた真似してごめんなさいでしたぁっ!」 強引に先輩の手を振り解く。 顔が熱くなる。 肩で息をしながら、緩慢な手つきで、鞄からお土産を取り出す。 火照った顔を見られたくなくて、俯いたまま、先輩へと手渡した。 「……お土産です。いつも、お世話になっているので」 「あ、あぁ。ありがとう、後輩ちゃん」 ありがとう。 たった一言でこんなにも気持ちが昂ぶるあたしは、かなりわかりやすい性格をしているのだと思う。 ビニール袋の擦れる音が、秋風に混じる。 「おぉ、生八ツ橋!」 「……そんな風に驚いたって、八ツ橋は八ツ橋ですよ。味気なくてごめんなさい」 「何言ってるんだ後輩ちゃん、お土産としてもらえる八ツ橋の破壊力を君は知らないのか」 「うー、だってさっき先輩がー」 「それはそれ。って、あれ? もう一つ?」 少しだけ、顔を上げた。 不思議そうな顔をして、手にした平たい包装紙を軽く動かしている先輩が見えた。 「開けてもいいかな?」 「き、聞くなら八ツ橋を開けるときにも聞いてください」 「それもそうだね、悪かったです。で、開けてもいい?」 「……御自由にどうぞ」 言うが早いか、先輩は手際よく包装紙を剥ぎ取り、その隠し玉の正体をまじまじと眺めた。 「────しゃもじ?」 「です」 「…………ありがとう、美味しくご飯を炊くことにするよ?」 「あはは、何で疑問形なんですか」 「そ、それは、だって」 杓文字(しゃもじ)、杓文字……と、ぶつぶつ呟きながら、右手に掴んだ杓文字をくるくると弄びながら、先輩が考え込む。 てっきり知っていると思ったけど、どうやら知らなかったらしい。 気づけばいつもの自販機の近くまで来ていたのを良いことに、少し冷たくなった指先を温めるべく、入れ替わりとなった暖かいミルクティーを買い求める。 あたしが隣からいなくなるのがわかったのか、先輩も足を止めた。 取り出し口に落ちてきた紅茶は、想像していたよりも熱く、思わず取りこぼしそうになった。 「宮島のお土産ですよ。定番だって聞きました」 「ほほー。向こうでは稲作が盛んなのか」 「違いますよ、えーと…………」 …………由来は、なんだっけ? 「なんとかがどうのこうので、杓文字作りが有名なんですよ」 「────素晴らしい笑顔をありがとう、後輩ちゃん。でもちっとも解説になってないぞ」 「もう、忘れちゃったんだから仕方ないじゃないですかっ。一応、縁起物なんですよ、召し取る、って意味合いで」 「めしとる……ああ、捕まえる、というか手に入れる、的な」 「お察しの通りです」 プルタブを起こし、缶の淵へと唇を近づける。 立ち昇る蒸気と一緒に飲み込んだミルクティーは、舌に熱く、けれどどこかほっとする甘さを含む、お気に入りの味だった。 何か見えるでもないのに、午後の太陽に杓文字をかざす先輩の横顔が、秋の憂いを含んだようで綺麗に見えた。 思わず見惚れてしまいそうになる。 「っ、あつっ」 「後輩ちゃんっ? だ、だいじょぶ?」 「ぅ……はい、大丈夫です」 顔を背けるように思い切ってミルクティーを傾けたあたしを、数瞬前のあたしは笑うだろうか。 だって仕方ない、意識してしまうんだ。 何気ない動作に、何気ない一言に。 ────これが、恋。 「お守りです」 「お守り?」 「受験生でしょうが。少しくらいご利益に縋ってもいいと思いまして」 「ああ────ありがとう、後輩ちゃん。大切にするよ」 「…………ドウイタシマシテ」 どうか、恋する乙女を笑わないでほしい。 ぶっきらぼうに、先輩の顔も見れずに返事をするあたしを、笑わないでほしい。 あぁ、そうだ、あたしは、あたしを心地良い陽だまりに誘ってくれるこの先輩が────好きなんだ。 黙って、先輩の隣を歩く。 半歩分、先輩に近づいて。 そんな、九月四週目水曜日の午後。 [*前へ] [戻る] |