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しとしとぴっちゃん。

(傘、忘れてきちゃったな)

朝から快晴だったものだからついつい油断した。お昼頃から急に雲行きが怪しくなってきたのを、授業中教室の窓から眺めていたが、部活が終わり帰り際になった所で灰色の雲は遂に泣き出してしまった。ザーッと雨音が鼓膜を刺激するのを感じながらぼんやりと空を眺める。雨はそう簡単に止みそうにはない。

(みんなもういないし、どうしようか)

部活が終わり早々にテニス部のメンバーは帰宅してしまった。神尾と伊武は神尾行きつけのCDショップへ。桜井、内村、石田は本屋へ行くと言っていた。自分だけが何となく乗る気になれなくて簡単に断りをいれ、暫くしてから一人部室からのたくたと出てみれば既に雨に降られてしまったという状況。今度からは学校に一本、置き傘をしておくべきなのかもしれない。今から雨の中濡れて帰宅する気力は無いに等しい。思わず口から溜め息が漏れた。

「…森か?」

「、たちばな、さん?」

降りしきる雨の中に黒い蝙蝠傘。その傘の下には見慣れた先輩が少し驚いた顔をしながら立っていた。最近髪の色を金髪に変えたから、やけに薄暗く感じる今日のような日でも周りに溶け込むことなく視界に入る(勿論色を変える前だってその存在は限り無く大きく周りに溶け込む事なんてなかったのだが、)。

「どうした、帰ってなかったのか」

「―あ、はい」

「神尾たちはどうした?」

「先に帰りました」

そうか。と簡素な返答を返す橘の手に握られているのは部室の鍵らしきもの。もう帰ったと思っていたが、鍵かけに戻ってきたらしい。ピシャピシャ小さな水溜まりを踏みながら、自分より大きな橘が隣に並んだ。

「傘、忘れたのか」

がちゃん、と施錠される音。いよいよ部室も閉められ、雨の中行く宛てがなくなってきた。いっそのこと、これ以上雨が酷くならないうちに走って帰るのが得策なのかもしれない。家まで走って、直ぐに湯を沸かして風呂に入れば風邪はひかないだろう。汗もかいてることだし、雨に濡れて汗を洗い流すのも偶には悪くない。皆無な気力を振り絞り、鞄をぎゅうと握り締めた。

「大丈夫です、もう帰りますんで、」

「森、」

バサリと掲げられたら黒い蝙蝠傘。驚いて目を丸くしていれば、直ぐ隣にいた橘は目を細めて笑った。

「男二人で傘にはいるのなんて、サムいかもしれないが、入っていかないか?」

偶には一緒に帰ろう。そう言って笑う橘に、森はただ口を開けながら何とか首を縦に振った。







「にしても、凄い雨だな」

「明日はグラウンドの整備ですね、」

新生手作りテニスコートは水捌けが悪いから、きっと朝一番で整備しなければ明日は一日テニスが出来なくなるだろう。明日は忙しいな。たわいもない会話をしながら帰り道のアスファルトを踏みしめる。所々に水溜まりが出来ていて歩きにくいくらいだから、明日のグラウンド整備は本当に酷いだろう。
黒い蝙蝠傘の下から見上げる空は相変わらず暗く濁っていて気持ちが悪い。はあー、とこっそりため息をついて視線を少しずらせば、橘の金色に染まった頭が見えた。あ、と思う。

「―橘さん、」

不意に手を伸ばして金色の短い髪に触れる。見上げた橘の瞳が、キョトンと丸くなった、途端にピシャリと頬が濡れる。気付いたら傘は橘の手から抜け落ち、道路の上に転がっていた。一気に頭から濡れそぼる、冷たい。

「濡れちまったな、」

声をかけられてやっと我に返る、急いで触れていた髪から手を離しアスファルトに転がった傘を拾い上げた。悪いな、と困ったように笑う橘に首を振って傘を渡す。

「あの、橘さ」

「森、」

ぐいっと胸に押し付けられた黒い蝙蝠傘。きゅ、とアスファルトが擦れる音。少しだけ離れた金色の髪。ザーザーと雨の音が煩い。

「傘差して早く帰れ、」

風邪引くなよ、ふわりと笑い水溜まりを踏みながら遠ざかる橘。薄暗い帰り道を金色の髪がどんどん、どんどん遠ざかる。橘から貰った蝙蝠傘がずるりとアスファルトに落ち、かしゃんと音を立てた。薄暗い帰り道の向こうに消えた橘の、先の顔が頭によぎる。まだ雨は降り続いているし、服が肌に張り付き冷たい、寒い。
顔を上げた空はやっぱりまだ暗くて気持ちが悪かった。


この雨が晴れたら虹は見えるだろうか、

(アナタの視線の先にあるものに、僕は混ざっているだろうか?)


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もしも橘さんの見ているものが、不動峰じゃなくて千歳だったら。千歳の事を引きずる橘さんと、橘さんの変化に気付く森。不動峰のメンバーの中でも橘さんの内側のことにいち早く感づくのは森だと思う。
例えそれが何のことか解らなくても、例え報われなかったとしても。


H22.10.30


あきゅろす。
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