洛陽の花弁 実存変身




「あなたの恋人はいい人ね」
魔女、黒桐鮮花は冷たい体のグレゴール・ザムザに語りかける。
「最後まであなたを守ろうとしている」
仰向けに倒れ、白い体とを投げ出したザムザ。彼女の体に巻きつけられた包帯と、白く流れる髪。それは何かの繭を連想させ、空を見つめる青い瞳は「蝶になりたかったの、空を飛びたかったの」と主張してるように見えた。
「私はあなたが羨ましい」
万有引力のように黒い服を着た魔女が、白い繭の少女の瞼に、そっと触れる。
「本当に、本当に綺麗な寝顔ね。羨ましい」
黒桐鮮花はグレゴール・ザムザの瞼を下ろす。
「おやすみなさい」
こうしてグレゴール・ザムザの瞳は、黒桐鮮花の手によって閉じられた。


ガチャン、ガチャンと耳をつん裂くような金属音が森に響く。バゼットのフラガラックの魔剣が、逆説の猫の銀の魔弾を切り伏せる音だ。
バゼットは焦っていた。宙を舞い、全ての脅威を切り伏せる魔剣フラガラック。これがある限りは魔弾で死ぬ心配はしなくていいだろう。
問題は彼女の魔力量だった。神話を再現するほどの優秀な魔術師であるバゼットだったが、それでも神の振るった魔剣を長時間展開し続けるのは人間の身には過ぎた行為だった。一方逆説の猫は、バゼットにある程度の脅威を与え続けつつ、最小限の弾丸と魔力で長期戦に持ち込もうとしている。バゼットの魔力が切れるのが先か、逆説の猫が発見されるのが先か。この戦いはそういう戦いだった。
「ガチャン!」
さっきとは別の方向から飛んできた魔弾をフラガラックが切り伏せる。球体の姿をとったそれは、バチリ、バチリ、と魔力を放電しながらバゼットの周りを衛星のように守護していた。
逆説の猫は、外界からの観測と干渉を遮断する魔術『檻』を展開し、移動をしながら銃撃を行っている。
『檻』が開き、ライフルを構えた彼の姿が見えるのは弾丸を射出するための僅かな時間のみ。硝煙の臭いは雨に消され、足音や草木を分け入る音さえたてない。その様子は獲物を追い詰める狩人。バゼットは確実に追い詰められていた。
「ガチャン!」
またバゼットの目の前で魔弾が弾け、それを防いだ魔剣がバチリと魔力を喰らう。あと十分もすれば、バゼットの全魔力はフラガラックに喰い尽くされることになるだろう。
神の魔剣を持つ魔術師と、無敵の盾を持つ魔弾の射手。決着の時は、刻々と近付いていた。



青々とした樹海に突如として出現した、直径一キロメートルはあるだろう巨大なクレーター。そこの真ん中で黒桐鮮花はバゼットが帰ってくるのを待っていた。
「ガチャン!」と、バゼットと逆説の猫が闘う音を遠くに聞きながら、チェリーレッドのトランクに腰掛けた彼女はその傍らに眠る白い少女を見る。
柔らかそうな白い肌。退化して消えてしまった四肢。蚕の糸を思わせる、白く流れる髪。薄く閉じられた瞼と、その下で眠る空のように青い瞳。彼女の優しい恋人が手当したのだろう、丁寧に巻かれた包帯。剥がれかけたガーゼの下に見えるのは堅くなりひび割れた皮膚と、傷から滲む青色の血。
その全てが痛々しく、悲しくて、綺麗に見えた。
「ガチャン!」
遠くから金属と金属がぶつかる音が聞こえてくる。
「ガチャン!」
その音が、目の前の少女の亡骸を感傷的に見つめる優しい女を、炎の魔女に変えていく。
「ガチャン!」
近づいてくる金属音を睨みつけた黒桐鮮花はポケットから火蜥蜴の皮で作られた手袋を取り出すと、それを右手にはめ、指をピアノを弾くように動かし馴染ませる。
「ガチャン!」
一際大きく鳴った魔剣と魔弾の弾ける音。黒い皮手袋の右腕が、ゆっくりと掲げられる。
「ごめんね、ザムザ」
黒桐鮮花はもう居ない。そこに居たのは、彼岸に火焔の鮮やかさで咲き乱れる紅い花。彼岸花に例えられた炎の魔女、リコリスだった。
「アザカ、炎だ。奴をいぶりだせ!」
五百メートル先、樹海を突っ切ってクレーターに逃げ込んできたバゼットが叫ぶ。
「ガチャン!」
逆説の猫の魔弾が魔剣フラガラックに遮られ、銀の粉を撒き散らす。
「鮮花じゃありません。リコリスです」
バゼットの呼び掛けにそう言い放った魔女は、
「 S m a n i o s o! 」
『熱狂』『激昂』『荒れ狂った表情』『速く』『腹立たしい』『苛立ち』そして『憧れ』。Smaniosoの単語が意味するもの全てを『炎』という神秘に宿して世界に叩きつけた。
魔女を中心に炎がうねり渦巻き、世界を赤く舐めまわす。その炎は、彼岸花の持つ無数の花弁によく似ていた。






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あきゅろす。
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