洛陽の花弁 実存変身




光る携帯電話のディスプレイ。降りしきる雨の中、路上駐車の車の中で黒桐鮮花は電話をかけていた。
「橙子さん、事務所の二階にあるあの作品。一体何なんですか?」
〈ああ、見つかってしまったのか。すまんな。あんな物見てしまったら、お前、仕事やり辛くなるだろうに〉
「私は大丈夫です。それよりちゃんと説明してください!」
〈おい、おい。そんな涙声で大丈夫と言われても説得力ないぞ〉
「いいから、説明してください」
〈わかった、わかった。説明するから落ち着け。
あれはただの感傷だ。我ながら、らしくない物を作ったと思ってる。あれは遠い昔に作ってしまった可哀想な作品への慰霊碑だ。『だったらいいな』の、ifから生まれた詰まらない贖罪だ。
たしかにあの子らとは深い仲だったこともあったが、もう過去の事だ。お前は私と彼らのことなんて気にせず、自分の仕事をこなせばいい〉
「わかりました。そこまで言うなら、もう追求しません。すみませんでした。では、仕事の途中なので失礼します」
〈おい。まて、まだ切るな。あれを見せたのは幹也か?」
「ええ、そうですけど」
〈そうか。奴には感謝しないとな〉
「何故、ですか?」
〈あの人形達の顔を見たら、お前悲しむだろう。あの作品、ギャラリーに出品するときに顔を削り取ってしまおうと思ってたんだ。でも、もう隠す必要がなくなった。堂々と公開できる。だから幹也には感謝しないとな、という話しだ〉
「それは橙子さんの都合でしょう。幹也にトラウマ植え付けられた私はどうすればいいんですか!」
〈アハハ、頭に血が上って調子出てきたな。鮮花はメソメソ泣いてるより、怒ってる方が似合ってる。いいぞ、その調子だ。まあ、トラウマに関しては幹也に直接償ってもらえ。奴を手込めにする良いチャンスだ〉
「なにが『いいぞ、その調子だ』ですか!わかりました。ええ分かりましたとも。橙子さんが私のことをどう思ってるか、よくわかりましたとも。電話、切りますね。さようなら!」
〈鮮花!〉
「何ですか、まだ用ですか。」
〈お前は優秀な魔術士だ。自分のエゴを通しつつ、それでも必ず全てを手に入れると私は信じてる。〉
「ええ、私は橙子さんの 弟子です。全てを取りこぼしたとしても、自分のエゴだけは死ぬまで通しますよ」
〈流石は『禁忌』の起源を持つ者だな。『全てを取りこぼしても』の下りは聞き捨てならんが。まあ、安心した。では、また次に会うときを楽しみにしている。期待しているぞ〉
「ええ、期待しててください」
切れる会話。同時に黒いビートルのエンジンがかかる。壊れそうなギアチェンジをするそれは、急発進で走り出す。
雨はまだ止みそうになかった。



山道を走る、一台の白いバン。それは魔術協会からグレゴール・ザムザと一緒に逃げ出した逆説の猫が、一人では動けない彼女を乗せて走るために買った物だった。
二人で色んな風景を見に行った。二人で色んな時を過ごした。そのための車だった。
そして今、逆説の猫とグレゴール・ザムザを乗せた白いバンは、全てを終わらせるために走っていた。目的地は魔術協会の研究施設。人の『起源』を覚醒させる実験を行っている施設だ。
グレーゴル・ザムザはそこで生まれ、そこで自らの起源『変身』を覚醒させられた。そこでの彼女は兵器として扱われていた。
彼女にはそれが酷く悲しいことに思えた。だから、これ以上自分みたいな哀れな怪物が生まれないように、研究所を消すことを決意したのだった。
白いバンが停まる。遠くには白い研究施設が見える。
「あれが、すべての始まりの場所か」
「ええ。そして、全ての終わりの場所。今日で全部オシマイ。あんなに望んでいたのに、いざ目の前にすると寂しいものね」
「まだ続くさ」
「嘘つき」
沈黙が続く。車内は湿った空調と、打ちつける雨と、フロントガラスを往復するワイパーの音が支配していた。そこに時々、グレゴール・ザムザの苦しげな息使いがまじる。
「体が痛むのか?」
「いや、違うの」
グレゴール・ザムザは泣いていた。『変身』の力を使う度に虫に近づいていく体、それに耐えきれない人間の魂が悲鳴をあげていた。
逆説の猫とグレゴール・ザムザが初めてあった頃、彼女はまだ人の形をしていた。しかし、街を一つ消す度に、夜を一つ越す度に、四肢は退化し胴体は硬くひび割れ、時々精神までが虫の本能に引きずられるようになった。退化していく体には人の脳は負担なのか、最近では人としての覚醒を蛹のような睡眠が浸食するようになっている。
あと一、二回『変身』の魔法を使えば、虫としての生が人としての自分を殺すことを彼女は理解していた。しかし、それでもなお、彼女は終わりに向かって疾走する事を止めない。早いか遅いかだけの違いなのだ。ならば、より人間的で劇的な意味のある死を求めよう。そう決意したのだった。
「ねえ。今までの私の『変身』って、辛くて醜い物だったでしょ。でもね、次の『変身』はとっても綺麗にかわれる気がするの」
「ああ、ザムザがそう思うのなら、そうなるんだろう。きっと綺麗な変身なんだろうな」
私は幸せだ。グレゴール・ザムザはそう思った。こんな醜い私を選んだ優しい男。この男に出会えて良かった。
そして、この優しい男を裏切って汚い虫の死骸をさらすであろう自分自身に、グレゴール・ザムザは「嘘つき」と、小さく呟いた。


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