洛陽の花弁 実存変身




黒桐鮮花が路上駐車の黒いワーゲンに戻ってきたのは二時間後のことだった。
蛍塚音子の持ってた『逆説の猫』の情報は少なく、実際は30分程度で仕事の話は終わった。あとの一時間半は何をしていたかというと、彼女の兄である黒桐幹也の話である。彼女は助手席を倒して隙を持て余しているバゼットを見ながら、無駄話(鮮花にとっては有意義だった)に花を咲かせていたのは秘密にしとこうと思った。
バタンと運転席に乗り込む。
「なにか分かったのか?」
バゼットの問いに「はい」と返事し、ポケットから小さなノートを取り出す。
「彼、逆説の猫は今朝、幹也の情報にあった薬の売人から大量のモルヒネを買ってます。彼は強力な痛み止めなら何でも良いと言ってたそうなので、目的は乱用ではなく本当に痛み止めなのでしょう。
あと売人を通じて彼を見つけるのは無理そうです。『もう痛み止めを買う必要も無いだろう』と彼は言ってたらしいですから。一体どういう意味だったんでしょうね。
それと、彼は彼を揺すろうとした売人を数人殺しています。さらには…」
黒桐鮮花は知り得た事実をバゼットに淡々と説明していく。最近では黒桐鮮花が調べ、バゼットが派手に暴れて解決し、黒桐鮮花が後始末をするという構図が出来上がっていた。この分だとバゼットの仕事はまだ先になりそうだ。なにせ『逆説の猫』の居場所が分からないのだ。
「午後は彼が殺した売人達の殺害現場を洗いましょう。もしかしたら何かあるかもしれません」
黒桐鮮花は壊れそうな音で車をだす。バゼットは椅子を元の角度に戻してシートベルトを締める。
「そういえば。バゼットさんは彼が、逆説の猫がどんな人だったのか、知ってたりしませんか?」
車を走らせながら黒桐鮮花はバゼットに問う。
「魔術協会の資料にも名前が残っていただけで、写真を見つけるだけで諜報部は必死。人捜しに長けた幹也じゃなければ、この街に潜伏してるのだって分からなかったでしょう。それに『グレゴール・ザムザ』でしたっけ。秘密兵器だか何だか知りませんけど、正体不明すぎます」
バゼットは何やら思い出すようにピアスを弄る。彼女の癖だ。考えごとをするとき、彼女はいつもピアスを弄る。
「少女だよ」
「え?」
殺伐とした魔術士達の会話に唐突に出てきた少女という単語、それに呆気にとられ変な声を出してしまう黒桐鮮花。
「グレゴール・ザムザ。運悪く『起源』に目覚めてしまって街一つを消してしまうような魔法を手に入れてしまった少女。街を一つ消す度に、少しずつ体が虫に変身していく哀れな少女。その能力、世界の全てを変質し霧散させてしまう魔法を買われ魔術協会に死都纖滅用の兵器として運用されていた少女だ。
一方、逆説の猫はグレーゴル・ザムザの世話役だな。外界からの干渉や観測を遮断する空間に干渉する魔術『檻』をつかう、隠密行動のエキスパートだ。元は対魔術戦部隊の狙撃手だったが、ザムザの力に巻き込まれ、部隊が彼一人を除き全滅。以後彼は唯一ザムザの力の影響を受けなかった魔術士として、ザムザの運用を任されることになる。
無敵の盾を持つ姿無きスナイパー、街を一つ消す程の魔法を使う異形の少女。厄介な敵だ
まあ、全ては噂の範疇を出ないが」
バゼットの話を聞いた黒桐鮮花は「はあ」と大きなため息をつく。
「要するに、それって駆け落ちってことですね」
「極論言ってしまえばそうだな。自分の兄様との禁断の恋に生きる黒桐鮮花にとってはやはり辛い仕事か?恋する二人を追い詰めるのは」
「これは仕事です。私情は挟みません」
「それはなかなか良い心がけだ」
そう言ったバゼットは「着いたら起こしてくれ」と、シートを倒して寝てしまった。
黒桐鮮花は窓の外を流れる風景を眺める。彼女はそこに、自分達が追い詰めるであろう哀れな恋人達の姿を幻視した。



黒桐鮮花とバゼットは古いマンションの一室の前に立っていた。
黒桐鮮花はポケットから赤い染料を出しドアノブに小さく文字を書く。死を意味するエオのルーン。それに少しだけ魔力を注ぎドアノブを回す。するとガチャリ、鍵のかかっていたはずの扉が開く。ドアノブからはブスブスと煙が出ていて、染料で書かれたルーン文字は茶色く溶け、読めなくなっていた。
「魔力をエオ(死)のルーンで物理的エネルギーに変換、鍵を壊したのか。相変わらず乱暴だな」
「バゼットさんには負けます。あなたならドアごとぶっ飛ばすでしょう」
「ああ、そうだな。否定はしない」
扉が開く。中の荷物は既に運び込まれていて、ガランとしていた。壁や床に飛び散った大量の血液は拭き取られてはいたが黒くシミになっていて、元通りにするには清掃屋ではなく内装屋が必要だろう。その黒いシミだけが前の住人の痕跡だった。
「バゼットさん、これを」
黒桐鮮花がノートの切れ端を差し出す。
「これは?」
「ウィン(幸運と洞察力)のルーンが書いてます。気休め程度ですが、物探しのお守りになるでしょう」
「気が利くな。有り難く受け取っておく」
バゼットはその紙切れを胸ポケットに突っ込んだ。
「で、どう思います」
土足のままで室内を物色するバゼットに黒桐鮮花は質問する。
「玄関の所で一人、ドア越しに喉に掻き切ってる。力技でチェーンロックを引きちぎり室内へ侵入。リビングにいた二人目を切りつけるもピストルで逆襲され一撃目は致命傷にならず。しかし二撃目で腕をすっ飛ばし、三撃目でオシマイ。そんな所かな。獲物はは酷く切れ味の良い刃物、恐らくは対魔術戦部隊に居たときに使っていた、聖堂教会代行者仕様の各種儀礼済み短剣。無茶苦茶な力で振り回してる。彼は空間を支配する魔術のエキスパートだ。空間的な強化や加速、重力操作の魔術で体と短剣を強化したのだろう。奴は魔術師の癖に教会の奴らみたいな戦い方をするからな。厄介な奴だ」
壁に空いた弾痕を中指で犯し広げるバゼット。その目は完全に魔術師の冷徹な瞳だった。
「驚きました。警察の見解と同じです。凶器は刃渡り50センチ程度の刃物。犯人は仮面ライダーみたいな馬鹿力。魔術協会を首になったら警察で働けますよ」
「それは無理な話だな。経験済みだ。昔、協会から遠ざかっていた時期に日本で職探しをした事があったが、警察は無理だった。資格がない、と門前払いだ」
「それは初耳です」
黒桐鮮花は就職活動をするバゼットを想像し、クスリと笑う。酷く似合っていない。
「笑いたければ笑え。就活を笑う者は無職に泣くことになる」
そう妙な格言を曰ったバゼットは、床に飛び散った血の後に触れるべくしゃがみ込む。
「流石だ。これだけ派手にやっておきながら、全く魔力の痕跡が見つからない。自らの隠匿を得意とする狙撃手の名は伊達じゃないか。」
立ち上がるバゼット。その胸ポケットから一枚の紙切れが滑り落ちる。ウィン、洞察力と幸運のルーンを書き込んだあの紙切れだ。それは窓辺まで滑っていき、それを拾おうとしたバゼットの視線は自然と窓の外に向かうことになる。
キラリ。向のマンションの屋上に、鏡のような物が反射するのが見えた。背筋が凍る。狙撃ライフルのスコープだった。
「狙撃だ、逃げろ!」
その刹那、窓ガラスを突き破って魔弾がバゼットを襲う。頭部をガードした左腕に弾丸が刺さり、魔術防壁を、強化筋肉を強化骨格を、引きちぎり砕き打ち抜いていく。左腕の中で軌道を変えてバゼットの右耳を掠めた弾丸は、壁に大穴を開けてやっと勢いを止めた。
走り出すバゼット。半開きのドアを体当たりするように開け、落っこちるように階段を下りる。形振り構わぬ逃走、先に退却していた黒桐鮮花が乗ったワーゲンに飛び乗のると、車はギュルギュルとタイヤをアスファルトに擦りつけ急発進した。雨でタイヤが酷く滑る。
「なんだったんですか、あれは」
「狙撃だ。堅牢で比重の重い儀礼済みシルバーブレッドにあらゆる魔術的強化を施し、軽量弾並の高速と精密さで射出する。戦車の装甲を貫通し、あらゆる神秘を吹き飛ばす、最強の銀の魔弾だ。左手が強化外骨格仕様の義手じゃなければ頭を吹き飛ばされて死んでた」
そう言ってちぎれかけた左手腕を掲げたバゼット。傷は弾丸の運動エネルギーと呪いで犯され、紫の人造筋肉と白い骨、オイルとも血ともつかない液体がこぼれていた。
「運が良いのか、悪いのか。とりあえず今日はホテルに戻りましょう。体制を整えないと」
「そうだな。そうだ、言い忘れていた。ウィン(幸運、洞察力)のルーンのお守り、助かった。あれがなければ銃撃に気付けなかっただろう」
どういたしまして、と答えた黒桐鮮花は少しだけ微笑んだ。それは相棒が助かった安堵か、それとも助かるキッカケを作ったのが自分だったという誉れか。それは彼女自身にもわからなかった。
ただ確かなのは『雨の日には大切な人が死にかける』というジンクスが頭一杯に広がっていて、とくに『大切な人』の部分が教会の鐘のように響きわたってるってことだった。
そう、黒桐鮮花にとってバゼットは『大切な人』だったのだ。その事に気付いてしまった黒桐鮮花は、恥ずかしさで逃げてしまいたくなった。
黒いワーゲンは壊れそうな音をたて、雨のバイパスを制限速度オーバーで逃走していた。





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