洛陽の花弁 実存変身




黒桐鮮花の予言は的中し、その日は雨だった。
彼女は路肩に止めた真っ黒なビートルの運転席で、ハンドルに寄っ掛かりながらうなだれていた。
低い雲は街を押しつぶすような灰色だった。
「雨の日は嫌いなの」
黒桐鮮花の唐突な告白に、助手席のバゼットは食べかけのカロリーメイトを危うく落としそうになる。
「それはその、あれかな。ええと、十八番の発火の魔術が上手くいかないとかからか?」
普段ならば自分の弱みを見せまいとするはずの負けず嫌いな彼女が「雨の日は嫌いなの」と、自ら自分の弱みをさらけ出す。その異常事態にしこたま慌てるバゼットを鮮花は初な男の子みたいで可愛いと思ってしまう。
「それもあります。」
そう、それだけではないのだ。たしかに、彼女の最大の武器であり、まともに使える数少ない魔術である『発火』は雨や湿気に弱い。しかし、『灼く』事に特化した突然変異的な魔術師である黒桐鮮花の炎は、最早雨など関係なく蒸発させるほどに強力だ。彼女には雨など弱点にはなり得なかった。
黒桐鮮花は疲れた顔で溜め息をつく。
「私、雨に呪われてるんです。私の大切な人たちが死にそうになる時って、決まって雨が降ってるんです」
そう、いつもの雨が降っていた。最愛の人である兄が左目を失い両足に一生引きずる不自由を負った日も、同じ高校の親友が嵐の中ズタズタになって病院にかつぎ込まれた日も雨だった。あの忌々しい恋敵も嵐の日に左手を失い、二月の雨の中で兄を巻き込み死にかけた。
「嫌なジンクスだ。私も雨の日は今日つけるようにしよう」
かじりかけのカロリーメイトを口に放り込んだバゼットはフロントガラスに映る風景を眺めている。彼女は食事をするとき、酷く無防備だ。彼女らしからぬボンヤリたした瞳は、普段の彼女とは別物だった。
「対象が動き出した。白い軽四だ。追跡頼む。」
はい、と返事する黒桐鮮花。エンジンのかかった黒いワーゲンは滑り出し白い軽自動車を追う。クラッチを踏む度にガリガリと嫌な音がする。
「おい、おい。整備不良の車で事故死なんて嫌なんだが、リコリス」
「雨の日は呪われてるんです。我慢してください。あと、リコリスって呼ぶのは止めてくださいね。電柱にぶつけますよ」
無駄を嫌うはずの魔術士達には似合わない馬鹿な会話をする二人を乗せたワーゲンは、壊れそうな音をたてながら進んでいく。
「ふう」
黒桐鮮花の溜め息は湿気た車内に溶けていった。


「蛍塚音子さんですね」
白い軽四から出てきた眠そうな目をした女に、黒桐鮮花は訪ねた。蛍塚音子と呼ばれた女は何かを思い出すような表情で「あんたは誰かな?」と聞き返した。
「申し送れました。私、探偵をしています黒桐鮮花と言います。今日はあなたのお仕事の件で訪ねたいことがあり伺いました」
蛍塚音子はまた何かを思い出そうと考え込む。
「コクトー…。もしかして幹也君の妹さんかい?」
「兄を、黒桐幹也を知ってるんですか?」
「彼とは長い付き合いなんだ。助けたり、助けられたり、色々と世話になってる。それにしても兄妹揃って探偵か。あんたら面白いな」
ニヤニヤと笑う蛍塚音子。あの兄さんは相変わらず危ない事に首を突っ込んでるようだな、と溜め息をつく黒桐鮮花。
「それで、要件はなんだ。まさか探偵さんが『大麻を吸いたいから売ってくれ』じゃないだろう?」
「私は薬には興味ありません。探偵が求めるのは情報です。この男に見覚えはありませんか?」
黒桐鮮花は小さなノートを上着から取り出し、そこに挟み込まれた一枚の写真を差し出す。白髪の、人形めいた顔の男が写っていた。
蛍塚音子は「ああ、彼ね」と呟きポケットから一本のアンプル剤を取り出した。
「彼ならさっき会ったばかしだな。コイツを大量に買っていったよ。強力な痛み止めだ」
「強力、ですか。」
「うん、強力。末期ガンの痛み止めなんかにも使われる奴。モルヒネだよ」
「今後、彼と会う予定は?」
「ないね。彼も『これで最後だ』なんて、薬を買う奴らしかぬことを言ってた。オマケに「今までありがとう」なんてお礼までされたよ」
「彼の居場所、わかりますか?」
「いんや。」
眠そうな目。蛍塚音子は小さく欠伸をする。その仕草は猫に良く似ていた。
「彼については深く詮索しない方が良いよ。妙な、嫌な噂が流れている」
「噂、ですか」
蛍塚音子は猫のように笑う。黒猫の不吉な笑みだ。
「彼の弱みを探って揺すろうと嗅ぎ回った奴らが数人死んでいる。ひどい死に方だったそうだ。」
噂だけどね、と蛍塚音子は付け足して、また小さく欠伸をした。
「ふう」
黒桐鮮花がため息をつく。
これだから雨の日は嫌なのだ。黒桐鮮花にとっての雨は、死に神の影によく似ていた。
パタパタとビニール傘を打ちつける雨
彼女はそれを、めい一杯睨みつけた。




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