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季節外れの編入生 22


いつも俺たちの想いは一緒だった。
俺があの人に出会うまでは。
あの人に出会って、何もかもが変わっていった。
もちろん俺の想いも傾きかけていた。
だけど、俺は変わるのが恐くて、伸ばされた手を拒絶した。
それがすべての始まりだったように思う。
変わることを恐れ、変わってしまったことを認めることができない。
それでも、いつかは認められる日がくるだろうか。
そんな淡い願いにも似た想いを胸に秘めていた。

「よーし、そろそろ授業を始めるか……教科書九十六ページから」

一部始終を傍観していた丹波先生の授業開始の合図と共に、黒板が白いチョークの文字で埋まっていく。
意外に丁寧で見やすい字だった。
どうやら、丹波先生の担当教科は化学らしい。
大学で薬学を専攻していた俺にとっては、得意分野だ。
とは言っても、まだ教科書を一冊も貰っていない俺は戸惑っていた。
呉羽がさりげなく、机を近づけて教科書を見せてくれた。

「じゃあ、この問題を白雪」
「「はい」」

いきなりの指名に志乃と俺が同時に席を立つ。
息が合いすぎて可笑しかったのか、志乃がこちらを見てクスクスと笑う。
いつからだろうか、志乃だけが笑うようになったのは。
いつからだろうか、貼りついた笑顔の仮面が剥がれなくなったのは。
いつからだろうか、何をしても心が満たされなくなったのは。
考えれば考えるほどその答えは余計に遠ざかっていった。

「あ?めんどくせぇな……姫乃、早くしろ」
「はい」

丹波先生に指名され、教科書に書かれた応用問題をざっと読む。
さして難しい問題ではないにしろ、なかなか捻くれた問題ではある。
面倒だと思いながら、黒板に説明と化学式を書いていく。
久々に見る化学式にわずかながら興奮した。
大学では薬物ついて研究をしていただけあって、今の授業の内容は特に好きな分野だから仕方ない。
何だか久々に試験管を触りたくて、ウズウズしてきた。

「できました」
「よし、正解……次いくぞ」

ちょっとした満足感と無数の視線を浴びながら席に着いた。
最近はほとんど家にいたから人の視線を浴びるのも、仕事以外では慣れていない。
まして露骨な悪意を持った視線を初めて感じた。
中身は同じ人間なのに外見が変わるだけでこうも態度が違う。
一体、本当の自分がどちらなのかわからなくなる。
姫乃という自分なのか、セツという自分なのか、わからなくなる。
どちらも同じ人間であるのに両方は必要とされない。
それなら求められている自分は、どちらなのだろうか。

「何なんだよ……」

誰にも聞こえないくらい小さな声でひとりごちた。
俺を俺のまま好きだと受けとめてくれる人は、一体この世界に何人いるだろうか。
ほんのわずかでもいいから、たった一人でもいいから、ありのままを好きになってくれる人がいてほしい。

「ベンゼンとプロペンをフリーデル・クラフツ反応で付加反応させることでイソプロピルベンゼンができ、酸化させてアセトンとフェノールを得る反応を……姫宮、何法だ?」

いつの間にか寝ていた呉羽は頭を怠そうに持ち上げ、欠伸をした。
ちらりと黒板に視線を向け、すぐに興味をなくしたように机に視線を落とした。

「……クメン法」
「正解だ、クメン法によってアセトンとフェノールとは別に中間生成物ができる……じゃあ南……はいないから志乃、何ができる?」
「クメンヒドロペルオキシド」
「正解……ここはテストに出すから覚えとけよ」

一心に授業を進めていく丹波先生の背中を見ながら、頭の中ではこれからのことを考えていた。
仕事のこと、学園のこと、婚約のこと、恭夜先輩のこと、そして将来のこと。
今まで見ないようにしていた現実を急に突きつけられた気がした。

「ちゃんと決めないと……」

どうするにしろ、何か大事なものの犠牲が伴う。
ならば、何を犠牲にするのが一番賢いのかを俺は決めなければいけない。
それがどんな結末になろうとも、いずれ選ばなければならないのだ。
善は急げというが、急がば回れという言葉があるのだ。
急いたところで、正常な判断はできないだろう。
ゆっくり時間をかけて、自分自身の気持ちを、正しいと思うものを見つけたい。

「俺の気持ち」

見つけて、伝えられる日がくるだろうか。
過去を乗り越えられるだろうか。
自分に嘘を吐かなくてよくなるだろうか。
窓から見上げた空は、曇りのない澄み切った青が広がっていた。



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