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時雨の涙 12
時雨の涙 12


この二年、俺は様々なことを教えられた。
銃の撃ち方、人間の殺し方、自殺に見せ掛ける方法、身の隠し方、それこそ立派な暗殺者になれそうなくらいの技術を叩き込まれた。
その中で、今回自殺に見せ掛けることを俺は選んだ。
義兄さんの車にブレーキがかからないようにケーブルに細工をする。
ごめんなさい、心の中で何度も謝罪した。

「……きょ、う?」

戸惑うように紡がれた俺の名前。
この名前を知っているのは、もうこの世に一人しかいない。
忘れられていく自分の存在と名前。
そんな中で、義兄さんだけは変わらずに俺に居場所を与えてくれた。

「響、響……会いたかった……っ」

後ろから強く抱き込まれて、一瞬頭が真っ白になった。
懐かしい大好きなぬくもり。
今一番焦がれていて、今一番会いたくなかった人。

「……義兄さ、ん」

振り向くことはできない。
どんなに名前を呼ばれようと、どんなに強く抱き締められたとしても。
たとえ、この世で一番愛しい人であったとしても。
心が、身体が、揺らいでしまうから。

「俺も、会いたかった……」

心が、逃げてほしいと悲痛な声をあげる。
身体が、死なないでと拒絶する。
心が、身体が、俺のすべてが、俺自身を否定する。
俺はどこを間違ってしまったんだろう。
大事な人の命を奪ってまで、俺に生きる権利なんかあるのだろうか。
義兄さんは、俺の身体を解放した。

「響、こっちに向いてくれないか?」

今、振り向くことはできない。
こんな泣きそうな顔も、汚れた心も、見られたくない。
義兄さんの前だけでは、綺麗でいたい。
義兄さんの中にある俺のイメージを壊したくない。

「……ゃ……やだっ……」

肩に置かれた手を振り払った。
その後、足は自然と走り出す。
義兄さんが呼びとめる声は、もう聞こえることはない。
溢れそうな想いも、とまらない涙も、全部義兄さんが好きだから。
その想いは、永遠に伝わることがないのだから。
気づけば、路地裏の影になった場所に小さく蹲っていた。

「最後の会話は楽しめたか?」

蔑むように、低い声で死刑宣告のような言葉が発せられた。
俺は蹲ったまま、見上げた。

「別に、義兄さん嫌いだから」

俺は義兄さんが嫌いだった。
好きなんて、そんな感情は始めからなかった。
俺は俺自身が大事で、この頬をつたう涙は、胸を焦がす想いは、始めからなかった。
無理矢理、自分自身に戒めをかけた。

「お前の義兄さん、今から車で帰るみたいだぞ」

少しだけクロが悲しそうな顔をした気がした。
驚きが隠せなかった。
クロが、悲しそうな顔なんてするはずがないのにそう見えた自分が馬鹿みたいで。
俺は俯いて、膝頭に額を押しあてた。

「……朔羅は?」
「先に一人で帰ったみたいだ」
「携帯、貸して」

クロは黙って、ポケットから取り出した携帯を俺に渡した。
俺には、クロのしたいことがわからない。
俺を殺そうとしたり、仲間にしようとしたり、契約を持ちかけたり、義兄さんを殺せと言ったり。
それに従う俺も自分自身がわからない。
慣れた手つきで番号を押した。
長い呼び出し音。

『もしもし?』
「……」

懐かしい綺麗な澄んだ声。
義兄さんとは違った愛おしさを感じた。
電話したというのに何を言っていいのか、わからない。
これから起こることを言うべきなのか、頭が真っ白になって言葉が見つからない。

『もしもし?』
「……朔羅」

きっと今の声は掠れていた。
弱々しくて、聞き取れたかどうかわからない。
でも、朔羅には聞こえない方がいいのかもしれない。
こんなにも幼い朔羅を傷つけることになってしまって、俺自身も後悔している。
全部、俺が悪い。
次の言葉が、喉の奥に詰まって声にならない。

「……響兄ちゃん?」

朔羅が俺の名前を呼んだことで、罪悪感が大きくなった。
俺は、なんてことをしてしまったんだろう。
兄のように慕ってくれている朔羅の思いを踏みにじるようなことをして。

「……ごめん、ごめん」

お前から父さんと母さんを奪う。
親からの愛情の大切さを俺は誰よりも自分自身が一番知っていたはずなのに。
子供は愛情がないと壊れるんだ。
どんな物にもかなわない、目に見えない大切なもの。
それを俺は、朔羅から奪おうとしているんだ。

「兄ちゃん?どうしたの?」

俺は、これ以上朔羅の声を聞くことができなくて電話を切った。
俺の心は決まっていた。
涙はとまっていた。
駆け出す。
この先にどんなことがあっても、俺はもう迷わない、道を間違えたりしない。



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