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B
土方の誕生日から二週間が過ぎた。
今までは三日に一回は会うなり、会えない時は電話なりをしていた二人の間に、会話はあれから無い。



避けているわけではないのだが、双方どう接していいか分からず疎遠になりかけているのだろう。


それでも、互いの動向は気になっていた。二人の中間に立つ総悟から何も聞かされないので怪我も病気もしていないのは分かるが、それだけだった。



こうしている間にも、別れの時は刻一刻と迫っている。なのに、電話しようとする指があと一歩、動かないのだ。






「何してるんだろう…私…」



家の近所にあるスーパーで買い物中、ミツバはつい呟いてしまった。


カゴには三、四日分の二人の食事材料が入っているが、どれを買うか吟味している中でのその台詞は店内の雑音に消えてしまった。



首を振って、製造年月日の新しい鶏肉のパックをカゴに入れる。
鶏肉が安いから、明日は親子丼でも作ろうか。それともチャーハンにするか。冷蔵庫に野菜が余っていたから、具沢山のチキンカレーもいいかもしれない。


そんなことを考えている中でも、頭を過る男の顔があった。
振り払おうにも振り払えない、別れを決意した男。たとえそれが物理的な別れだとしても、その隔たりが心理的な別れに繋がるパターンは少なくないことをミツバは知っていた。



自分で決めたことなのに悲しくて、つい屋外であるにも関わらず涙が出そうになる。それを人知れず堪えて、カゴを強く握りしめた。その時だ。




「…ミツバさん?」




不意に、声をかけられたのは。












ミツバに移動のことを知らせてから間もなく二週間。


彼女の気持ちが落ち着くまで此方から余計な連絡はよそうと思っていたが、まさかここまで音沙汰が無いとは思わなかった。



かと言って連絡をするほど土方は器用な男ではない。彼女が話をすることを苦痛に思うならしたくはない。たとえ、もうすぐ会えなくなるとしても。




「…ミツバ…」




警察署の屋上、誰もいない、普段は立ち入り禁止の札がかかっているここはこの街で土方が気に入っている場所の一つだった。
高いビルがそうそうなく、街全体が見渡せる。


愛用の煙草の煙を吐いて、頭を埋めている女の名を呟いた。
煙とともに消えたそれは、鬼の副署長と呼ばれる土方の内側を掻き乱す。




「…すまねぇな…」



人知れず呟いた愛しい女への謝罪。
ミツバと縁を切るつもりは無いが、離れてしまう自分はこれから彼女の身に何かが起こってもすぐ駆け付けて守ってやれない。
弟がいるから心配はないだろうが、総悟は所詮弟であり、恋人にはなれない。



もし、自分が離れた後に彼女を本当に愛して守って傍にいて幸せにできる男が表れたら、取り敢えず半殺しにするがそれでも彼女を託すだろう。




好きな女には、幸せになって欲しいのだ。




自嘲気味に笑って、短くなった煙草を捨てて踏み付ける。まるで、自分自身にそうするように強く。




「…土方さん」




その時だった。
誰もいないはずの屋上で、彼の名を呼ぶ人影が表れたのは。















「そう…土方さんが…」




スーパーからほど近い喫茶店で、ミツバはことの成り行きを話した。


ミツバの正面に座る、抹茶ラテを頼んだ志村妙はただ黙って、彼女の話を聞いていた。
もとより二人には親交があった。
出会ったきっかけはミツバの弟の総悟と、妙が妹のように可愛がっている神楽からだったのだが、境遇が似ているせいか気が合って二人でお茶をすることも多々あった。



だが今回のお茶はいつものような明るい雰囲気は漂っていない。
スーパーでミツバを見かけた妙は、その元気の無さについ声をかけて喫茶店に誘ったのだ。




「私、もうどうしていいか…十四郎さんのことは、とても好きだけど…そーちゃんが…」



涙を堪えているようだ、声が震えている。


いつもならカフェオレに備え付けの唐辛子を空になるまで注ぐ彼女が、今は一口も飲んでいないし唐辛子に手すら伸びない。




「あの…お妙さん…」


「はい?」


「もし、お妙さんの好きな人が遠くに行くとしたら…お妙さんはどうします…?」



妙にも弟がいた。
総悟ほど強くはないが総悟より常識があって、総悟と同じくらいのシスコン。


言ってからミツバは、ごめんなさい変なこと聞いちゃってと笑って見せたが、その笑顔は妙が、皆が好きな愛嬌が無かった。




「そうですね…私ももしそうなったら、凄く悩むと思います。新ちゃんは私の大事な弟ですし、ずっと一緒にいたから離れるなんて…」



そこまで言って、妙はでも、と続けた。



「ミツバさん、沖田さ…総悟くんは、知ってるんですか?弟と離れたくないから土方さんに着いていかないこと…」



ミツバは首を横に振った。
土方の移動については知っているだろうが、そのことでミツバがどう結論付けたのか、弟には言っていなかった。



「もし、ミツバさんが私で、総悟くんが新ちゃんだったら…新ちゃんは怒ると思います。自分のために幸せから遠ざからないでくれ、って…」



そのことは、ミツバも想像はついていた。優しい彼はきっと、自分のせいで姉が恋人と別れることになったと知れば、たとえ認めていない男であってもショックを受けるだろう、と。



だから、ミツバは自分の決断を明かさなかった。




「新ちゃん、前に言ったんです。姉上が幸せになるなら、僕は泣きながら赤飯炊く覚悟はもうできてる、って。おかしいですよね、普段はあんなに姉上は僕のモノだ、って顔してるのに」




総悟は、態度こそ土方を姉から遠ざけようとはしているが何だかんだで姉の幸せと板挟みになっているのは分かる。
土方に仕掛ける度を超えた悪戯が、いつも急所を外しているのはそのためだ。




「だから、私は新ちゃんが…弟がそう言ってくれたら、好きな人に着いていくのも考えます。今はまだ、新ちゃんが一番大事だからそうなるかは分かりませんけど…」




ミツバは土方にどうするか聞かれた時、咄嗟に弟を一人にしてはいけない、離れたくないと思ったのだ。弟が何を思っているか考える暇もないまま。




「…お妙さん」


「はい」


「ありがとうございます…少し、楽になりました。そーちゃんと話してみます」



そう言って笑ったミツバには、妙が好きな温かいものが少しではあるが戻って来ていた。













「一本もらいやすぜ」



そう言って土方の煙草を一本失敬した沖田は、火を付けて煙を肺に流し込んだ。


普段沖田は吸わない方の人間だが、気を落ち着かせようとする時は誰かから貰って吸っている。
専らその相手は土方だが。




「…何だよ、今更あの日のことネチネチ文句いいに来たのか?」



そうでないと分かっていながらあえて尋ねる。沖田をいつもの調子に戻すために。



「別に…姉上に何したかは、誕生日だったってんで大目に見てあげまさァ」



別に抱いたのはあの日が初めてではなかったのだが、それを言うと否応なしに撃ち殺されそうだったので言わなかった。



「土方さん…姉上と連絡とってますかィ?」


「…してねぇな。あの日以来」


「そうですかィ…だったら、姉上がずっと泣いてることも知らねえか」



さらりと言った沖田の言葉に、土方は動揺を隠せなかった。
犯人に鉄パイプで抵抗されようが大人数に囲まれようが平然としている男が、だ。


泣いている?ずっと?
あの時流した涙は土方に申し訳なくて流したものだった。その種の涙ならば、時が過ぎれば引くはずだ。




「俺が見てる所では泣いちゃいませんぜ。ただ、俺がいないとき…一人きりのときはずっと泣いてる。分かるんでさァ、いくら隠そうとしても、俺は弟だから」



沖田の方を見ると、金網の向こうにある街を見ていた。あの中にいる姉を、見ていた。



「姉上を泣かせてんのは…俺だ…」


「お前じゃねぇだろ…ミツバが泣いてるのは、俺が…」


「やれやれ、鬼の副署長も身内の心境には疎いみてーですねィ」




茶化したように言ったが、そこに土方の知る生意気さと皮肉は無かった。




「姉上を泣かせてんのは俺なんです…。昔からずっと、俺は姉上に頼りっぱなしで…苦労かけて、散々色んなモン我慢させて…いつの間にか、姉上を俺に縛り付けてたんでさァ。二人三脚の紐なんかじゃねえ、もっと冷たくて痛々しい鎖に」



沖田がここまで自虐的になるのは珍しい。それこそ床上浸水どころか大洪水でも起こるのではないか。
だが、そんな軽口を叩くような隙はこの雰囲気には存在しなかった。




「俺は…本当なら、姉上を誰にも渡したくねぇ。けど、俺は所詮弟だ…姉上の涙を止めることは、できやしねぇんです…」



金網を掴む沖田の表情は見えない。
だが、普段なら死んでも弱みを見せたくない土方にこんな話をするということは、それほど切羽詰まっているのだろう。


そんな中で、姉がどうすれば笑えるのかが分かっているのだろう。




「本当は、アンタにこんなこと言いたくはねぇ…けど出来るのはアンタしかいねぇんだ…土方さん、姉上を…姉上を、俺から…」



プライドが天を貫きそうな彼の懇願を、最後まで言わせず肩に手を置いたのは土方なりの借りの返し方だった。あの日、ミツバと二人きりにしてくれたことへの。




「分かった…分かったから、もう言うな、総悟」



それに、今の沖田の言葉で土方も背中を押された気がした。
恐らく、聞かなければこのままにしておいただろうことを、する決心がついたのだ。




「お前の言いたいことは分かった。だけどな総悟、お前一つ勘違いしてんぞ」



そしてこれから言うことは、その背中を押されたことへの借りを返すこと。




「お前の姉貴は…ミツバは、お前に縛られてるなんて欠片も思ってねぇよ。アイツはお前を大事にしたくて大事にしてただけだ。お前も姉貴を大事にしてた。ただそれだけだ」



沖田が息を詰まらせたのが分かったが、気付かないふりをした。




「お前の言葉に甘えて、俺は最後に悪あがきをするが…それを受けてアイツがどうするかは、アイツが決めることだ」





短くなって沖田の指を焼きかけた煙草を抜き取り、捨てた。
これから先、どんなことが待ち受けているからまだ誰も知ることはなかった。












(いよいよ佳境です。来週で決着をば!)

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