秘すれば、花 米沢城の廊下が俄に騒がしくなった。 口々に話す声と、武具の擦れる金属音、そして、足早にかけていく足音。 それらは城の奥の大広間に向かっていた。 伊達軍の朝議は早い。 それは日が昇ってしまうとこれだけの人数が一堂に会すればたちまち部屋が蒸し風呂と化してしまうからだ。 また兵の生活を律するためにと軍師片倉小十郎が定めたのだ。 しかしこの早起きは奥州筆頭、伊達政宗には少しきついらしい。 主としてしゃんとふるまっているものの、起きぬけで覚醒しきらぬ身体を無理やり動かしているのが男たちには隠してもわかってしまうのだ。 たいてい朝議の開始ぎりぎりに姿を現す政宗はすこぶる機嫌が悪い。 しかも連日のこの暑さで機嫌の悪さに拍車がかかっている。 日はまだ昇りきってはいないが、大人数の集まれば部屋の空気はすぐにむっとする。 だから男たちは早めに広間に集まり、静かに坐して暑さを少しでも下げておこうと思っていた。 自分たちの主が来るまで、少しだけ服の袷を寛げてうわさ話でもしながら、と。 だが、最初に広間の障子を開けた男たちが部屋に入らずそこで突っ立ってしまったので後ろに続く男たちが廊下で立ち往生することになった。 そして最前で障子を開けた男が声を上げた。 「ひ、筆頭……!おはようございやす!」 廊下にひしめく男たちの間にざわりと喧騒が走る。 自分たちよりも先に政宗が居たことなど皆無なのだ。 ようやく部屋の前に滞っていた列が流れ出し、男たちは広間に入っていく。 そしていつもと違う調子に戸惑いながらも威勢よく政宗に朝の挨拶をした。 「あぁ、お早う」 そう返す政宗の声はいつもの機嫌悪そうな低い声と打って変わってどこか楽しそうだった。 整列して坐していく男たちは余計に戸惑いながらも、主の手前それを口に出すことができない。 男たちは隣のものと目配せをしながら政宗の様子を伺っていた。 「朝議を始める。が、小十郎のやつまだ来てねぇのか」 いつもなら政宗よりもずっと早くにやってきているはずの小十郎が居ないのだ。 男たちは気づいてはいたが、政宗が口に出したのを皮切りに口々に話し始めた。 と、その時男たちの後ろの障子がぴしゃりと開いた。 そして振り返った男たちは驚きのあまり言葉を失った。 そんな中で政宗だけが動じることなく、むしろ先ほどよりにやりと笑みを深くした。 「Good morning,小十郎。どうした?今日のお前はなかなかCoolじゃねぇか」 「は。たまにはこのような格好もよいかと」 どうしたんだ?片倉様が、とどよめく男たちを小十郎はぎろりと鋭い一瞥で黙らせると、静かに男たちの横を抜けて政宗の隣に行く。 男たちの視線は小十郎の頭にくぎ付けになっていた。 「その髪型も似合うじゃねぇか、惚れるぜ」 「政宗様、御冗談はおよしください」 正座をしようと前かがみになった小十郎の肩に黒い髪がかかる。 今日の小十郎はいつものように髪を後ろに撫でつけず、そのまま下ろしていたのだ。 いつもらしからぬ政宗の含み笑いと、いつもらしからぬ小十郎の髪型に男たちが動揺を抱いたまま、朝議が進みはじめた。 周辺国の様子や、村の農作業の進み具合などの報告が終わり、いよいよ戦の話題となった。 しかし取り上げられたのは奥州北部の小競り合いくらいで、伊達軍が出陣するような戦はここしばらく起きていない。 大した盛り上がりも見せずにつつがなく朝議は終了した。 長時間の正座から解放された男たちは騒がしく広間を出て行った。 見張り番に行く者、剣の訓練に行く者、外出の準備をする者、集まった時とは違いみなそれぞれの方向へ散っていく。 そんな中、小十郎と政宗の二人は未だ奥州の地図を床に広げたまま広間に残っていた。 二人は無言で目の前の地図を眺めている。 身じろぎ一つしない二人の間には静寂が垂れこめている。 さざ波一つ立てず、鏡のように周りの風景を写し込む川面のような静けさだ。 その静寂に不意に石が投げ込まれた。 政宗が耐えきれないという風に笑いだしたのだ。 喉の奥で殺していた声は一度出てしまえばとどまることを知らなかった。 常にcool(この語は政宗が好んで使うのでおそらく伊達軍での理解度は九割を超える)を貫く政宗を知る伊達軍の男たちが見れば、口を開けたまま硬直するだろう。 そのくらい政宗は男たちの前は奥州筆頭の名に恥じぬ毅然とした態度なのだが。 幼いころからの傅役であり今は晴れて情人となった小十郎の前だけではありのままの態度を晒すのだ。 自分だけに見せる年相応の表情に愛らしさや庇護欲を感じずにはいられないのだが、如何せん今回の悪戯は目に余る。 けらけらと腹を抱えて笑う政宗を横目に小十郎は盛大にため息をついた。 それを聞いてどうにか笑いを宥めた政宗は、目尻に浮かんだ涙を指先でついと拭いながら口を開いた。 「Ha,おっかし……腹が痛くて死にそうだ」 「まったく、どなたのせいだか」 「怒るなよ、その髪型も似合ってるって言ってんだろ」 政宗は地図を押しやり、小十郎の前に座った。 そして小十郎の首筋にかかる髪をまとめて後ろに流す。 すると着物の襟と耳の間にくっきりとした鬱血の痕が現れた。 小十郎がともすれば無礼も思われるだろうにもかかわらず、髪を下ろしたまま朝議に出たのはこの襟では隠せない痕を隠すための苦肉の策であった。 「そういう問題じゃありません。悪戯が過ぎますぞ、政宗様」 「悪戯なんかじゃねぇよ。わかってんだろ?お前は俺の右目だ。他の奴に取られちゃ困るんだよ」 さりげなくお前の、を強調して口にした政宗は小十郎の膝に右手をついて身を寄せ、鬱血の痕に重ねて口づけた。 「悪戯だったとしたってきっちりし返し受けてんだ。おあいこだろ?」 ほら、と言わんばかりに小十郎の目の前で政宗は詰めた袷を寛げる。 胸元まで開かれた袷の合間に、鎖骨の下に口づけの痕が現れた。 小十郎の髪型の印象が強すぎて男たちは気づかなかったようだが、今日の政宗は着物の袷をこれでもかというほどきっちりと詰めていたのだ。 「お気持ちはわかりますが、かようなものは人目に付かぬからこそ情が沸くというもの」 そういうと小十郎は政宗の肩を抱いて、点々と散らばる痕の中にもう一つ付け足した。 肌に触れた髪のくすぐったさに小十郎の腕の中で政宗が身をよじる。 「秘すれば花、ですよ。まぁ意味は少しばかり違いますが、日に当たらぬ肌にこそ綺麗に映えるでしょう」 花びらみたいに綺麗ですよ、と小十郎が政宗の耳元で囁くと白い頬が朱に染まる。 結局、いつもこうなのだ。 自分から仕掛けたはずなのにいつの間にか形勢逆転。 ちょっとくらい頬を染めてみろと思っていたはずが自分が真っ赤に染まる始末。 この展開が、悔しい。 だが、これも惚れた弱みだととりあえず観念して政宗は小十郎の胸に顔を埋めた。 -------------------------------------------- 後書き☆ 少しいつもと小説の書き方を変えて行動中心の書き方に。 アニメ弐の1話の会議のシーンにちょっと触発されてみました。 秘すれば花という素敵な言葉を生かしてみたかったのですが撃沈…… [*前へ][次へ#] [戻る] |